ジンバブエへの旅(ブライアン・ジョーンズがローリング・ストーンズにいた証拠だってないですよ!)

ジンバブエへの旅(帰国まで)」の続きです。

今回の旅のご報告、最終回です。

前回のブログで書いたヨハネスブルグ空港で読んでいた本は、「グラスホッパー」(伊坂幸太郎著、角川文庫)。

グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

伊坂 幸太郎
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少し前にDVDで「重力ピエロ」という映画を観ておもしろかったので、原作者の伊坂幸太郎さんの本を読んでみたくなったのだ。

伊坂さんの著書を調べていたら、ブライアン・ジョーンズの名前が出てくる小説を発見した。
それが「グラスホッパー」。

殺し屋が出てくるような内容で、ブライアンの名前が出てこなかったら、読んでみようとは思わなかっただろう。

ブライアンの名前は登場人物の殺された妻の生前の台詞として出てくる。

彼女は、「だってさ、ローリング・ストーンズに、ブライアン・ジョーンズがいたことだって、誰も覚えてないじゃない」とそんな馬鹿げた話を持ち出した。
「ブライアン・ジョーンズのことは覚えているだろう」
「嘘? 証拠もないのに」
「レコードとかCDが残ってるじゃないか」ゴダールの撮った映像にも映っている、と鈴木は付け足した。あれは、ひどく寂しげな、ブライアン・ジョーンズだったけれど。
「そうかなあ」と彼女は、懐疑的だった。「ブライアン・ジョーンズが、ストーンズのメンバーだったなんてさ、誰も覚えてないって。そんな証拠はないんだって」
「いや、忘れたのは君だけだと思う」可愛そうな、ブライアン。

更に同じ登場人物が、自分が言っていることをどうしても相手に信じてもらえず、「証拠はどこだ?」と切り替えされて、思わず生前の妻の言葉を叫ぶ。

「証拠なんて関係ないじゃないですか。僕を信じてください。だいたい、それを言ったら、ブライアン・ジョーンズがローリング・ストーンズにいた証拠だってないですよ!」

私はヨハネスブルグの空港で、「今回の旅のテーマは自己嫌悪に陥ることだったのだろうか」「いや、そんなことない、なにか他の意味があるはず」「それはなんだろうなんだろう……」
と思いながら、この本を読んでいた。
そしてラストの方に出てきた↓この台詞↓にハッとしたのだ。

「いろいろ考えたんですけど。でも、せっかく生きているのに、死んでるみたいだと妻に悪いじゃないですか」

こう続く。

見てろよ。僕は生きてるみたいに生きるんだ。

私はこの台詞を読んだとき、死んでしまった妻=ブライアンに思えた。
そして言われた気がしたのだ。

「君はせっかく生きているのに!」
って。

「自己嫌悪に陥るのだって、生きているこそだからなんだよ。でも生きていれば、自分のダメだなって思う部分を改善していくことができるじゃないか。それって、素晴らしいことだと思わない?」

もう亡くなってしまっているブライアンに、「生きていることの素晴らしさ」を教えてもらった気がしたのだ。

落ち込んでうつむいているんじゃなくて、生きていることを謳歌しなよ」って。

ブライアンに感謝しながら、考えていて更に思いついた。

ブライアンはストーンズを脱退してから1ケ月もせずに亡くなった。

未だにメンバーと不仲だった、特にミックやキースとは確執があった、と言う人もいる。

ブライアンは自分を切ったメンバーを恨んで、悪口を言っていたとも伝えられている。

でも本当だろうか?

伝えられていることは事実とは違うのではないだろうか。

または小さなことが、別の違う意味を持って大きく伝えられてしまっているのではないか。

脱退前、レコーディングにもまともに参加できなくなっていたブライアンは、電話をしてきては、他のメンバーが気を悪くしていないかと心配していたという。

甘えてサボっていたのではなくて、本当に演奏できるような状態じゃなかったのではないだろうか。

ブライアンはドラッグの問題で、散々叩かれた。
当時のキースの証言↓
「ブライアンはあんな場所に立っていられるような男じゃないんだ。まるで猟犬が血の匂いを嗅ぎつけたときみたいに、彼を責めたてている。 『責めたてていれば、いまに奴は死んじまうさ』 そんな残酷な気持ちで、ブライアンを何度も何度も痛めつけてやがるんだ。あのやり方はレニー・ブルースがやられたときと同じだぜ。ミックと俺に対しては、『奴らはおとなしい連中さ』くらいに思っているのだろう。特に『ザ・タイムス』の社説がでたあとはな。だがブライアンに関しては違う。奴らは彼が脆いことを知っていていじめぬいているんだ」

私は数日間のアフリカへの旅の緊迫感だけで、神経が疲れてしまった。

平常心を持っていたなら、違う対応ができたのではないかと、自己嫌悪に陥ることになってしまった。

ブライアンの場合は、元々身体が弱いのに、何年にも渡りハードスケジュールをこなし、そして世間から叩かれまくったのである。

繊細だったブライアンが、演奏もできないほどの状態になってしまっても、不思議ではなかったのではないか。

以前のブログ「ブライアンとキース・リチャーズ part16」の中で、スタンリーブースにグループ仲について非難されたブライアンはこう答えている。

ブライアンは、沈む夕陽の下で、ちょっと悲しそうに、くすっと笑った。
「いや、そんなことはないよ。おれは、ミックによく電話しているし、ミック、キース、おれ、三人とも、お互いに話し合ってはいるさ」

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の聴き方が変わる本」では、”ジャンピン・ジャック・フラッシュ”の誕生を、ブライアンはメンバーの兄貴分として、本当にうれしかったのではないか、と私は解釈している。

結果的にはブライアンの追悼コンサートとなってしまったハイド・パークのコンサートにブライアンは呼ばれていた。

気がすすまないながらも、ブライアンは行こうとしていたのではないか。

ブライアンを呼ぶことを提案したミックは、嫌がらせをしたのではなく、それがミックなりの思いやりだったのではないか。

私は、ブライアンはメンバーの気持ちも理解していて、恨むどころか申し訳ないなって思っていて、嫌っていたのではなく、むしろ大好きだったのだと思った。

そこで、ブライアンから受け取ったように思えたメッセージが更なる大きな意味を持つ。

「自己嫌悪になってたって、落ち込んだって、自分はもう死んでしまったからどうにもできない。
誤解を解くこともできないし、ギクシャクしてしまったメンバーと、またいい人間関係を築きなおすこともできない」

「でも、生きていたらさ、いろいろなこと、していけるじゃない。それなのに、なんで落ち込んでるの? 自分と違って、生きていて何でもできるのに」

自己嫌悪になるな、落ち込むな、じゃない、
そういうことを感じる心も必要で、大切なのはそれを少しずつでもよくしていこうとすることだよ、

生きていれば、いくらでもそれができるんだよ、
だから生きているって素晴らしいことなんだよ。

そんなわけで、自己嫌悪になっている自分を責められるのではなく、励まされている気がして、ヨハネスブルグ空港で、私は泣けてきてしまったのだ。

同時に思った。

ブライアンはたぶん、メンバーが今もバンド名を守って活動していることをとっても嬉しく思っているんじゃないかって。

今回のジンバブエへの旅は、
行く前から、行っている間も、帰ってきてからもしばらく気が張っていて、
浮かれるように楽しくて素晴らしかったとは言い難い。

でも、間違いなく、いい経験と言う意味では素晴らしかった。

魂レベルの旅だったのかもしれない。
魂が求めた体験だったから、導かれるように出かけて行ったのかな、わからないけど。

日本を知ることは、日本以外から日本を見ることでもある。

私は大好きだなって思った日本を守っていきたいなって思ったし、
日本から、東京から、心を豊かにできるような何かを発信していけたらいいなと思う。

今の私なりに、旅を通して気づいたことを書きましたが、もしかしてもう少し時間が経ってから、
もっと別の意味があったことに気づけるのかもしれない。

そんな瞬間が訪れることを、期待しすぎず、少し楽しみにしていたいと思う。