「Rolling Stone ブライアン・ジョーンズの生と死」レビュー、ネタバレ注意

ドキュメンタリー「Rolling Stone ブライアン・ジョーンズの生と死」を自宅レンタルで観た。

リハビリ中で余裕がなく、この映画が公開されていることも気づかなかったけれど、YouTubeを観ていたら偶然にも予告が上がってきて、調べてみたらレンタルで視聴できると判明。

早速、視聴。

いつものごとく、ブライアンファンによるブライアンに偏った妄想ブログになり、ネタバレにもなりますが、よろしかったらお楽しみください。

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事故か事件か

1969年7月3日(7月2日深夜)、自宅プールで亡くなったブライアン。享年27。

当初は事故と報道されたが、その後、事件説が広まっていく。つまり、ブライアンは事故で亡くなったのではなく殺されたのだと。

私がブライアンを知ることになった、日本では2006年に公開された映画「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」(監督:スティーヴン・リー、キャスト:レオ・グレゴリー、他)も、「実は事故ではなくて事件だった」という設定。

雇っていた建築業者フランクサラグッドによる殺人だというものだ。

今回のドキュメンタリーの中にも、監督の証言や映画のメイキングシーンなどが出てくる。

このような「実は事故ではなく事件だった」という証言や読み物、ドキュメンタリーは今までも何度か観てきた。

しかし、今回あらためて「事故だったのか、事件だったのか」と考えてみた。

ブライアンはこれをはっきりさせてほしいと思っているだろうかとも、想いを馳せてみた。正しくは、妄想してみた。

結果・・・、
ブライアンは「事故でも事件でもどっちでもいい」と思っているような気がした。あくまでも「気がした」。

「どっちでもいい」の真意は、よくわからないけど、想像するに、
「事故だって言っても事件だって言っても、どうせ都合よく解釈されるんだから、ご自由に」
と思っているのか。

または、そんなことにとらわれない(人の好奇心をコントロールするなんて無理だと悟っている)性格なのか。

頭のいいアーティスト(IQ135)なので、常人には及ばない思考回路なのかもしれない。

そんなことよりも、もっと楽しいこと、音楽的なことを話題にしてよと思っているかも。

このブライアンの気持ちは私の妄想に過ぎないけれど、「どうでもいい」と思っているというのは、なんだかしっくり。

たとえ、その場に誰かがいたのだとしても、まったく恨んでいないような気がする。「そんなのどうでもいい」と。

要するに、「この恨みを晴らしたい」どころか「恨み」自体ないような気がする。

親だって完璧じゃない

「酒と女とドラッグにおぼれ、自滅した破壊的な人物」のように評されることもあるブライアン。

個人的にはそんな狂人のようだったというより、基本的に「お金持ちの甘やかされたお坊ちゃま」だったのではないかという印象。

今回のドキュメンタリーで、やはりブライアンは裕福な家庭で育ったとされている。

しかし、すぐ下の妹がブライアンが4歳のときに亡くなり、その後生まれた妹に親の愛情が注がれ、ブライアンは愛情不足を感じていたと。

確かに、ブライアンはお堅い両親とはかち合っていなかったように思う。

以前のブログで、親の育て方がおかしかったのではないか、というようなことを書いた。

でも、今回あらためて考えてみたら、息子の行動に動揺しながらも必死に対応していたのではないかと思えた。

息子を信じ、息子の味方になり、理解しようと、親なりに必死だったのではないか。

また、ドキュメンタリーでは、1人目の子どもの母親かと思っていたヴァレリーが2人目の子どもの母親と語られていた。19歳のころ、すでにブライアンには3人の子どもがいて、生涯で6人の子ども(隠し子)がいたのだと。

ブライアンは相当に破天荒だったのではないか。とても、親が抑えたり躾けたりできないほどに。

一方、ブライアンが親を嫌っていたかというと、頭のいいブライアンは、「両親と自分は違うタイプだけど、親は自分のことを想ってくれている」とわかっていて、いつも思いやっていたように感じる。

初めてアメリカに行ったときに感激し、「お父さんお母さんも来たければ、航空券を送ります。」と手紙を送ったり、ドラッグで捕まったときには「心配しないように」と気遣ったりしていた。

ここで自論になりますが、親が子どもに理想を押し付けることがある一方で、子どもも親に理想を求めがちなもの。「親なんだからこうであってほしい」「親なのに、なんでこうなの」とか。

でも、親といえども完璧ではない。もしかしたらそれなりに精一杯やっているのかもしれないのだ。

実際、ひどい親もいるから言い切れないけれど、「親も完璧ではない」と思うと、ラクになれることもあるかも。

ブライアン親子もチグハグながら、お互い精一杯だったように思えた。

しかし、この親子関係が、破天荒でありながらもどこか自信がなく、満たされず、大人になってからも両親に認められたいと求め続けて、いつも不安定な状態にいるブライアンを作り上げたように思える。

ブライアンのカリスマ性

今回、ドキュメンタリーを観ながら、ほかのメンバーにとって、ブライアンはどう映っていたのだろうと考えた。

音楽好きの青年としてロンドンのライブハウスに集っていたころ、スライドギターを見事に弾きこなすブライアンはタダモノではないように見えただろう。

バンドを組んだ初期のころは、狂ったような情熱でストーンズを売り込んでいた。

知識も豊富で、饒舌。ルックスも良くて、若いのに子どももいる。計り知れないすごいやつ。

ドキュメンタリーの冒頭に出てくる証言。↓

「ストーンズの成功はブライアン・ジョーンズにある」
「60年代のストーンズといえばブライアン・ジョーンズだ」
「過去の英国ロック・スターの中で最高のルックスを誇っていた」
「バンドのサウンドにモロッコの民族音楽を取り入れ、ジョン・レノンやジミヘンとも親しかった」
「メンバー5人の中でリーダーだったのは明らかだ」
「彼は1960年代を切り開いた中心人物だった。若い白人の限界をことごとく打ち破ったんだ。音楽やファッション、そしてその言動でね」
「開拓者、快楽主義者、不品行、そのすべてを27年の人生で体現した」

若くてパワフルで型にはまらず、才能があり、自由に振る舞うブライアンは、周りを惹き付けずにはおかないカリスマ性があったのだろうと想像する。

ブライアンはバンドのお荷物だった?

初期のころはバンドのリーダーだったブライアン。

ミックとキースが曲を作るようになり、力関係が変わった。

ブライアンはある時期から輝きを失い、バンド内でも足手まといになったといわれている。

しかし、本当にブライアンはカリスマ性を失い、バンド内でのけ者にされていたのだろうか?

私には、ブライアンはずっと、バンド内で独特のカリスマ性を放つ存在であり続けたと感じられる。

メンバーも皆若く、忙しくて、たくさんの良くない連中にも囲まれている中、ずっとイライラもせず、仲良く穏やかでいられるほうが稀なのではないだろうか。

だから顔も見たくないと思うこともあっただろう。喧嘩もしただろう。

メンバー間の微妙な心理がわからない無責任な証言もあるだろう。

しかしブライアンは自分の得意なこと=さまざまな楽器の演奏をし、ストーンズの曲に貢献していた。

ブライアンはブライアンであり続け、本人もその場に合うよう対応を変えるようにもしていたけれど、個性(カリスマ性)が強い故に、ときに頼もしくもあり、ときにはうっとうしい存在にもなった。

悪いときだけを切り取って語ると、真実をゆがめてしまう。

うまくいっていたときも、ギクシャクしていたときもあった。

バンドから切られたのも、あのときは仕方がなかったのだろう。

たらればの話をしても意味はないかもしれないけれど、もっと長生きしていたら、お互いの個性を尊重し、いい距離感で付き合えるようになったのかもしれない。

ダメになってなんかいない、ストーンズのための音楽を考えていた

アニタの問題があったり、ドラッグ問題で打ちのめされたりはしていたものの、完全にダメな人間になっていたわけではないと思う。

そりゃ、恋人が他のメンバーと付き合い始めたら、ショックだろう。

でも、ドキュメンタリーに出てくる友人のスタッシュ(ドラッグでブライアンとともに逮捕された)は、ブライアンは「(アニタのことは)自分が悪いんだ」と話していたと。

ブライアンは自分を恋人を奪われた一方的な被害者と思っていたわけではなく、きちんと自分にも非があったことを認めていたのだ。

つまり、それくらい冷静に物事を見る思考があったということ。

また、ドラッグは繊細で体調に不安を持つブライアンにとって、精神を安定させるものであったのだろう。

喘息もちで、自分の体調には気を付けていたはずだから、自分を破滅させるほどのドラッグは摂取していなかったのではないか。

特に、逮捕されてからはやめていたはず。なのに、でっち上げで逮捕され、有罪になれば精神的に打ちのめされてもおかしくない。ブライアンでなくたって、打ちのめされる。
(1967年5月10日、スタッシュとともに逮捕→禁固刑を受け上告→1000ポンドの罰金と3年間の条件付保護観察。1968年5月21日、2度目の逮捕→9月26日判決:陪審員により一旦は有罪とされた後、最終的に裁判長に罰金刑を科された)

裁判にはミックとキースも来ていた。隣は当時の恋人、スキ・ポワティエ
(ボソッと感想:仲が悪くて気に食わないメンバーの裁判になんて来ないと思う)

判決後のミックとキースのコメントを記載しています↓

コッチフォードに住み、プールで得意な水泳をし、好きな牛乳を飲み、健康を取り戻そうとしていた。

そこでドラッグを楽しむなんてことはしていなかったと想像する。飲んでいたのは、医者に処方されていた薬だけだったのでは。

それだけでも過剰処方だったという証言も、ドキュメンタリーには出てくる。

違法な薬ではなくたって、飲めば眠くもなるし、意識もうろうにもなるだろう。

では、アニタに去られ、ドラッグ問題で見せしめのように逮捕されたブライアンはすっかり音楽的にダメな人間になっていたのだろうか。

1968年、ブライアンはモロッコでジャジューカの録音をしている。現地録音を果たした、初めての西洋人だった。

ブライアンはこの音をストーンズの音楽にも活かしたいと話していたという。

また、ドキュメンタリーの中に、ブライアンはラップをストーンズでやることを考えていたという証言も出てくる。
(しかし、ラップの歴史を調べたら、始まりは70年代だそう。ブライアンは流行るより前にラップの魅力をかぎつけていた?? だとしたら、すごい)

ブライアンには音楽的アイディアがあり、それはストーンズで演奏する音楽につながっていた。

少しも、空っぽのダメな人間なんかになっていなかった。

あの晩のことを考察してみる

さて、このドキュメンタリーを観たからには、その核心のブライアンの死は事故だったのか事件だったのかを考察してみようと思う。

事件だったとしたら、犯人は建築業者のフランク・サラグッドとされている。

仕事をきちんとしていないという理由でブライアンに解雇され、腹を立てて犯行に及んだというのだ。

しかし、フランクという人物は、仕事をしないうえに、解雇されたことに腹を立てて殺人を犯すほどの危険人物だったのか?

元々、そういう性格だったのだとしたら、フランクを紹介したトム・キーロック(ストーンズのロードマネージャー)に責任があるのでは?

フランクについては、こんな記述も↓

トム・キーロックはコッチフォードの屋敷にも出入りしていたそうで、ブライアンが亡くなった後、真実を隠すためいろいろ動いたとされている。つまり、真実を知っている重要人物といえる。

一方、ドキュメンタリーにはフランク・サラグッドは好人物ではないものの、殺人までは犯さないだろうという意見が出てくる。

また、当日はパーティーだった、パーティーではなかったが何人かが集まっていたなど、証言はさまざま。

フランクは、1993年、死の床でブライアンの殺人を告白したとされている。

トム・キーロックは2009年7月2日に逝去。

ドキュメンタリーでは、フランク以外にも怪しいと言われる人物の名があげられる。

でも、どれも真実というより、推理に過ぎない。

もう真実を知る者はこの世にいないのかもしれない。

個人的な根拠もない考察をいうなら、たとえそこに誰かが一緒にいたのだとしても、事故だったのではないかと思っている。

計画的、もしくは突発的な殺意があって起こったことではなく、不運が重なり起きてしまった事故だったのではないかと。

ブライアンはいきなり気を失うという未診断の癲癇(てんかん)の持病もあったとされている。

発作が起きたときプールに落ち、持病のことを知らない者ばかりが集まっていたため、助けるのが遅れた、とか。

もちろん、証拠があるわけではないから、あくまでも想像の域を出ない。

真実がわからないのに誰かを恨み続けたり、亡くなったときを想像したりするより、ブライアンが残してくれた音楽を楽しむとか、今もがんばっているメンバーを称えるとかをしたほうが、なんとなくブライアンは喜んでくれる気がする。

ブライアンの奏でる音を心で聴くほうが、ブライアンに関する証言を聞くよりも、ブライアンがどういう人であったかわかると思う、きっと。

映画【ROLLING STONE ブライアン・ジョーンズの生と死】予告

※おまけ

最近、こんな動画のシリーズを見つけて楽しんでます。ストーンズの関西弁おもしろい!

同時に和訳もわかってありがたいぃぃぃぃーー!

【ローリング・ストーンズ】レア・インタビュー モントリオールにて【関西弁吹替え】