ブライアン・ジョーンズ!ローリングストーンズ創始者の実像に迫る

洋楽に詳しいとは言えない私が、ブライアン・ジョーンズの存在を知ったのは2006年に日本で公開された映画だった。

ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男

1969年にストーンズを脱退後、謎の死を遂げたブライアン・ジョーンズは、実は殺されたのだという内容。

ローリングストーンズの創始者でありながら、なぜクビになってしまったのか、なぜこんな亡くなり方をしたのか気になったため、ブライアン・ジョーンズについて調べ始めた。

「女とドラッグとアルコールに溺れて自滅したクレイジーなヤツ」がブライアン・ジョーンズについてのイメージ。

しかし、調べているうちに、
「この人、すごく誤解されてる、誤解を解きたい!」
と半ば使命感にかられ、ブログでブライアン・ジョーンズについて私なりの解釈を書き始めた。

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ブライアン・ジョーンズの生い立ちからストーンズ結成まで

赤ちゃんの頃

ブライアン・ジョーンズは、1942年2月28日、イギリス、チェルトナム、固い中流階級の家で生まれた。

IQ135と頭は良かったが、14歳のガールフレンドを妊娠させたとして学校を退学せざるを得なくなってしまう。

ここで一言。

若気のいたりだったのでしょうけれど、私にはブライアンは遊びでガールフレンドと接していたのではなく、本当に彼女のことが好きだったのと思えます。

だって、こんなにお似合いの2人。ガールフレンドの素敵なこと♡

その後、職を転々し、アレクシス・コーナーが演奏するブルースに夢中になり、毎週ロンドンのライブハウスに通うようになる。

アレクシス・コーナー

ブライアンは自分のバンドを作るべく、メンバー集めを始め、ローリングストーンズを結成、バンド名は、敬愛するマディ・ウォーターズの曲名「Rollin’ Stone」からつけた。

バンドは、ブルースのコピーを演奏。

ブライアンはバンドリーダーとして、ストーンズの売り込みに奔走した。

当時、本気で音楽でやっていこうと必死だったのは、メンバーの中でブライアンだけだったという。

ブライアンには音楽しかなかったから。

その様子は、異常なくらいだったと。

「物事を始めるときには、それくらいのヤツがいないとダメなんだ」と語られている。(たぶんミック・ジャガーの発言)

バンドの主導権を譲った理由

本気でグループを引っ張っていたブライアンは、バンドの主導権を徐々に失うようになる。

なぜ、ブライアンは主導権を譲り、挙句の果てにバンドから去ることになったのだろうか。

詳しくはこのブログでも触れています↓

ライブ活動を続けるものの、いまひとつ売れない。

「マディ・ウォーターズのレコードをかけながら俺たち3人でしゃべった時のことを覚えているよ。俺たちのやってる音楽はまちがっていないのに、まともな仕事がないんだったら、ちょっと今やってる音楽のことは忘れたらどうだろうかと考えたんだ。たぶん俺たちは失敗だったんだろうと。結局俺たちはたいしたことをしてなかったんだ、ただ丸1年間、音楽を学んできただけだったんだってね。だからもう限界だろうって考えたよ。もし俺たちが完全に失敗だったとしてもそれでいいじゃないか。少なくとも挑戦はしたんだから」

これはブライアンが言っていたとされることで、俺たち3人というのは、ブライアン、ミック、キースだろう。

「もう限界」と諦めかけたところに現れたのが、ビートルズのマネージャーもしていたという19歳のアンドリュー・オールダム。

「君たちをスターにしてやる」
敏腕マネージャーのアンドリューに任せると、バンドはぐんぐん売れ始めた。

アンドリュー・ルーグ・オールダム

アンドリューはビートルズに対抗して、不良のイメージでストーンズを売った。

キャッチコピーは、あなたの娘さんを彼らと交際させられますか?

バンドは若者からは支持されたが、固い頭の大人たちからは嫌われることに。

ブライアンはアンドリューの商業路線に納得できず、よく意見を戦わせていたという。

反発心は最後まで持っていたのだろうが、ブライアンはどうやっても自分のやり方で売れなかったのだから、アンドリューのやり方に従うことにしたのではないか。

そして徐々に、バンド内での主導権を失っていった。

ブライアン・ジョーンズは「やんちゃなお坊ちゃま」で体が弱かった

ブライアンは基本、育ちが良いやんちゃなお坊ちゃまだ。

言葉遣いも、雰囲気も、ほかのメンバーとは違っていたという証言が複数ある。

ブライアンは気取っていたつもりはなくても、浮いていたということ。

友達も貴族階級が多い。背伸びしていたのではなく、彼らとのつきあいが楽だったのではないか。

手前:ドラッグ問題でブライアンと共に逮捕されたprince stanislas(通称スタッシュ)。めちゃくちゃ貴族。

ストーンズの不良的なイメージを「演じる」のが一番上手だったブライアン。

しかし、不良的なイメージを維持するために、上の意見を聞かないことに疑問を持っていたと言われている。

また、彼を語るうえで忘れてはいけないのは、体力のなさだ。

喘息持ちで常に発作の恐怖と戦っていた。

未診断の側頭葉てんかんも患っていたとされている。(脳に病があると本人は気づいていた証言もあり)

常に、医者通いをしていて、未診断の症状については、「ストレス」で片付けられていたようだ。

健康な若者であってもきついハードなスケジュールに、体がついていかなかった。

ドラッグを知った当時は、今では禁止されているドラッグは医者が処方するような扱いで、違法ではなかったという。

ブライアンにとってドラッグは、心痛をラクにしてくれるものだったのではないか。

普段から、医者に処方されていた薬をたくさん飲んでいて、今だと禁止されている薬の飲み合わせをしていたとも言われている。

その飲み合わせをしていて生き延びたのは奇蹟だったと。

ココで触れてます↓

ミック・ジャガーはブライアン・ジョーンズを理解していた

ブライアンとメンバーの間には確執があったと言われている。

イジメられて、クビにされ、1か月も経たないうちに亡くなってしまったと。

本当にそうだろうか。

20代の若者だった彼らが、ハードなスケジュールをこなしながら、べったり仲良くする余裕がなかったというだけではないのか。

キース・リチャーズに恋人のアニタを取られたと言われているが、キースが奪ったのではなくアニタがキースを選んだだけだろう。

アニタ・パレンバーグ
(2017年6月13日逝去 享年75)

また、ミック・ジャガーとは確執があったと言われているが、一番ブライアンを理解していたように思う。

ミックは、デビュー前、ブライアンの言うことを聞く弟分のようだったという。ブライアンがバンドを軌道にのせたから、頭がいいミックは大学を辞めるという選択ができたのではないか。

ミックは、バンド脱退後のブライアンを心配し、

「ブライアンの様子を見に行ってくれ、俺たちじゃもうダメなんだ」

と、アレクシス・コーナーに頼んでいたという。アレクシス・コーナーは頻繁にブライアンの屋敷を訪れていたが、亡くなった日はたまたま行っていなかった。

2019年で没後50年だけれど

ブライアン・ジョーンズは1969年7月3日に、自宅のプールで亡くなった。享年27。

2019年で没後50年を迎える。

ストーンズはといえば、結成50年を超え、いまだに転がり続けている。

こんな奇蹟のようなバンドが他にあるだろうか。

そのローリングストーンズのメンバーを1人ずつ集めたのはブライアンだ。

「あなたのメンバー選びは間違っていなかった」と、ブライアンの功績を称えたい。

今でもブライアンの魂はストーンズと共に転がり続けている。