洋楽にそれほど詳しくない、”ローリング・ストーンズの名前くらいは知っている程度”の私がブライアン・ジョーンズの存在を知ったのは、日本では2006年に公開された映画「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」を観たときだった。
「なぜ自分が作ったバンドから追い出されることになってしまったのか?」
「ブライアン・ジョーンズって、本当はどんな人だったんだろう?」
好奇心から、ブライアン・ジョーンズについて調べ始めた。
ブライアン・ジョーンズ在籍時の音源、映像を調べているうちに、
「この人、すごく誤解されてない?」
と感じた。
ブライアン・ジョーンズのイメージといえば、「アルコールとドラッグと女におぼれて自滅した、クレイジーなヤツ」。
そのくらいのほうがカリスマ性があっていいのかもしれないが、私にはなんとなく、ブライアン・ジョーンズはもう少し普通の人だったのではないかと思えた。
もちろんアーティスティックで変わり者の部分もあったのだろうが、クレイジーなだけではなかったのではないかと。
自分のほうがなにもわかっていず、誤解しているのかもしれないけれど、「ブライアン・ジョーンズが受けている誤解を解きたい!」という半ば使命感のような想いから、ブライアン・ジョーンズについて詳しく調べ始めた。
ブライアン・ジョーンズを知るうちに、彼が関わった人たち、音楽のことにも興味を持つようになった。そして私はジャジューカを知り、民族音楽に興味を持ち、ムビラの世界に入っていったのだ。
今回は、もしかしてブライアンが目指していたものについて、思いついたことを綴ります。
Contents
ブライアン・ジョーンズが録音したジャジューカの演奏を日本で聴きたい
ブライアン・ジョーンズを通して知ったモロッコの民族音楽、ジャジューカ。
ローリング・ストーンズの音楽とも、ロックともブルースともかけ離れているように思える音。
ブライアン・ジョーンズは、「この音をストーンズの音楽に活かしたい」と話していたという。
ジャジューカの現地録音、そしてアルバムリリース
ブライアン・ジョーンズは1968年7月23日から約1か月の間にモロッコのジャジューカ村を訪れ、彼らの演奏を録音した。現地録音を果たした、初めての西洋人だ。
録音した音源を元にアルバム「Brian Jones Presents the Pipes Of Pan At Joujouka」の編集を行ったが、なかなかリリースできず、実際に発売されたのはブライアン・ジョーンズの死から2年が過ぎた1971年だった。
ジャジューカ来日を願った日々
「ジャジューカの生演奏を聴きたい! しかも日本で!」
と思いついた私は、ジャジューカ来日に向けた行動を起こした。2007年のことだ。
まず、当時流行っていたSNS、my spaceを通して、本人たち(jajouka)に連絡。
「日本に来たいですか?」
とメッセージすると、
「行きたいです。どうしたらいいですか?」
と快い返事が。
相手をしてくれていたのは、彼らのマネージャーだった。
jajoukaとjoujouka
1971年に発売されたアルバムは「Brian Jones Presents the Pipes Of Pan At Joujouka」。ジャジューカの表記が「joujouka」となっている。どうして「jajouka」と表記されるようになったのか、不思議に思う人もいるだろう。
ブライアン・ジョーンズが彼らの音を録音した後、彼らはお家騒動で、「jajouka」と「joujouka」に分裂した。
「jajouka」はブライアン・ジョーンズが訪れた時のリーダーの息子、バシール・アタールが率いるグループ。ストーンズとのコラボを果たしている。バシールはブライアンがジャジューカ村を訪れた当時は少年だった。
「joujouka」はアルバムジャケットを描いた画家ハムリの一派。(現在のリーダーは、バシールの従兄弟なのだとか)
私が送ったメッセージに快い返事をくれたのは、jajoukaのマネージャー兼バシールの奥さんだった。
ジャジューカ来日を目指して、日本で詳しい方たちにコンタクトをとっていたところ、「彼らは2000年に来日する予定だった。チケットも発売されていたのにドタキャンした」と知ることに。
「どうしてキャンセルしたんですか?」
Jajoukaに聞いてみるも返事は無し。
私の「ジャジューカを日本に呼びたい!」プロジェクトはここで休止。生演奏が聴きたかったら、現地まで行くしかないのかなと、肩を落とすことに。
2017年ジャジューカ来日!
日本で聴くのは無理だろうと諦めかけていたジャジューカが2017年に来日した。
来日したのは「The Master Musicians of Joujouka」。
招へいに私は何も関わっていないが、招へいに尽力してくださった方たちには感謝しかない。
↓そのときのブログがコチラ
「Continental drift」でストーンズとコラボを果たした、バシール・アタールがリーダーを受け継いでいる「jajouka」のほうが本家だと思っていたし、そういった意見も聞いていた。
しかしジャジューカをよく知る人たちの間では「joujouka」のほうが伝統を受け継いでいるジャジューカなのだそう。
「The Master Musicians of Joujouka」の東京公演に行ったのは、衝撃的な体験だった。
音から発せられる、積み重ねられてきた圧倒的な歴史の重み。
本物のパワーを体中で感じると同時に湧き上がってきた疑問があった。ここまで完成された音をブライアン・ジョーンズが「ストーンズの音に活かしたい」と本当に思ったのか、ということ。
私が聴いても、彼らの音はそれだけで完成している。なにかに活かすというような音ではない。
「ストーンズの音に活かしたい」と言っていたのが事実だとしても、それは「Continental drift」のようなコラボだったのだろうか?
「Continental drift」が1989年にリリースされたと知ったときには、ブライアンが果たせなかった夢を没後20年を経て、ほかのメンバーが果たしてくれたと思ったのですが。(それとも「Continental drift」は、アフリカ音階を意識した曲なのだろうか?)
民族音楽を知る中でムビラと出会う
↑休憩中に弾いていたら撮っていただきました♪
ところで、「ジャジューカを日本に呼びたい」と動いていた時に、「ジャジューカだけではなく、もっと民族音楽を知るべきだ」と思い、民族音楽を聴ける場所に積極的に足を運んでいた。
ムビラとの出会い
さまざまな演奏に触れるうち特に深く関わることになったのが、ジンバブエ共和国に住むショナの人々の伝統楽器、ムビラ。
現地では元々、先祖の霊を呼ぶ儀式のときに演奏されるものだった。オルゴールのような音を奏でるムビラは、現在は演奏を色づける一部として使われることも多くなっている。
ジャジューカはアフリカ北部モロッコの民族音楽。
ブルースの起源はアフリカにあると言い、アフリカの音、民族音楽にも興味を持っていたブライアン・ジョーンズは、もっと長生きしていたら、アフリカをどんどん南下していき、きっとムビラにも出会ったに違いない。ムビラの綺麗だったり不思議だったりする音は、ブライアン好みだと感じた。
ムビラ弾きになる
聴くだけだったムビラを習うことになったのは、2009年。
何気なく習い始めたものの、習い始めてからムビラには流派があり、チューニングも流派や師匠によって違うということを知った。違う流派同士のプレイヤーが一緒に演奏することは、基本的には難しい。
西洋音階とアフリカ音階
ムビラの中でも西洋音階といわれるものは、日本人の耳にも心地よい。
しかしアフリカ音階のムビラの音は耳慣れないためか、苦手だという日本人もいる。
ムビラは聴いていても弾いていても、心が無になりクリアになっていく。
良い演奏は、雑多な念を取り除き、心を浄化してくれる。
私は西洋音階といわれるムビラから習い始め、今ではアフリカ音階のムビラも弾くようになった。
私が何人もいる(笑)、西洋音階のムビラ演奏
ブライアンが目指していたもの
耳慣れない音に戸惑うこともあるが、ブライアン・ジョーンズも民族音楽に触れ、アフリカ音階の存在を知ったのかもしれないと思い当たった。
だとしたら、それまでやって来た西洋音階とは違うアフリカ音階について知りたいと思ったのではないか。
「ジャジューカの音をストーンズに活かしたい」とは、単にジャジューカとコラボするという意味ではなく、アフリカ音階を取り入れてみたいということだったのかもしれない。
ジャジューカの音と演奏者に、ブライアン・ジョーンズは敬意を払っていたに違いない。
既に完成されているジャジューカの音をストーンズに活かすことを考えていたというより、アフリカ音階を学び、ストーンズの音に取り入れてみたいと考えていたというほうが、ずっと納得できる。
2019年8月、2度目の来日ツアー
クオリティが高いフライヤー。ぜひゲットしていただきたい☆
2017年に初来日を果たしたムビラ奏者、シンボッティ(Rinos Mukuwurirwa Simboti)が、2019年8月24日より2度目の来日ツアーを敢行する。
シンボッティのムビラ演奏は伝えられてきた伝統的な音をそのまま受け継いでいる原始的なアフリカ音階。シンボッティ自身、現地ジンバブエでの儀式でしか演奏をしたことがないという人物だ。
2017年に初めてシンボッティの生の音を聴いた。
力強く迷いのない静かで深い音は、バラバラになった心のピースを元の位置に戻してくれ、ありのままの自然な姿にしてくれるパワーに満ちていた。演奏を聴いた後は疲れがすっきり取れ、心地よい感覚に包まれる。
2019年、ブライアンが亡くなってから50年目。今年もまた来日するシンボッティの音を体感したい。ブライアン・ジョーンズが知りたかったであろうアフリカ音階に触れ、学びながら。
ご覧になっている皆さまも、よろしければぜひ! ブライアンが目指していたのかもしれないアフリカ音階に触れていただきたい。
※注【今回のツアーは終わりました】
前回のツアーの演奏。暗いですが;
※告知動画も作りましたー!
追記
「ブライアンがやりたいと思っていたのは、”Continental drift”のようなジャジューカとのコラボだったのだろうか」
と疑問を持った私でしたが、先ほど、こんな動画を発見。(共有できないみたいなので、URLを貼っておきます)
IN YOU 勧進帳 【ゴダイゴ】
♪きみの主人は きみ自身だ
質問と答えを きみは同時に持っている
1982年の演奏らしいです。
ゴダイゴ大好きでしたが、これは聴いたことなかったかと思います。
で、先ほど聴いて(観て)、こんな素晴らしいコラボがあるのか!と思ったのです。
和と洋の見事なコラボレーション。
伝統を敬いつつ、互いを高め合っている。
音楽の神様がいるのなら、
「神様はこんなお遊びも楽しむんだよ」
と言われたような気がしました。
だから「Continental drift」もアリなんだよって。
誰にって、もちろん、ブライアンに(笑)
(わざわざ追記してまで妄想、失礼しました)