「悲しい」から「涙が出る」とは限らない、けれど確かに在る悲しみ

人間は悲しみに遭遇したとき、涙が出てくるものだという考え方があるかと思います。

しかし、自分の中に確かに生じている悲しみを感じても、泣く・嘆く・取り乱す・号泣するなどにはならないことがあるようです。悲しみを通り越してしまっているような、ただ茫然としているような。

悲しみが大きすぎるから、たぶんまともに受け止めたら自分が壊れてしまいそうで、自己防衛が働いているといったような。

ローリング・ストーンズ・ファン・クラブ公認、ストーンズ・トリビュート・バンド「THE BEGGARS」のTOBYさんが旅立たれたそうです……

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出会いは新橋駅西口SL広場

出会いは2008年でした。

2006年から急激にブライアンにハマった私は、映画「SHINE A LIGHT」公開直前イベントに行ったのです。

THE BEGGARSのストーンズ愛に心打たれた私は、その後ライブにも足を運びました。

ブライアン期の音楽にあふれた「東京jajouka」については、デビューライブから通いました。こちら、ブログの中にTOBYさんのお名前が出てきますね。。。

インタビューにも応じてくださいました・・

ファンサービス精神にあふれているTOBYさんは、私などにも優しく接してくださり、ハンドルネームのRucaちゃんと呼んでくださいました。

そして、お店を開いていたので、インタビューブログにも登場してくださいました。

かっこいいTシャツを扱われていて、ブライアンTシャツを2枚は買いました。最近、身の回りの片付け中ではありますが、これらは絶対に手放しません。

身体の不調を抱えられてもいて、2018年に入院されたときにもブログを書きました。

私のリハビリも応援してくださっていた

最近では、令和カウントダウンライブに行き、お会いしました。

また、セッションライブにリコーダーで参戦し、お会いしました。

その後、私も2019年に緊急入院し、現在もリハビリ中。

入院のことやリハビリのことで、励ましていただいていました。

とてもうれしく、良くなったら、またライブに行ってご挨拶しようって思っていました。絶対、その日は来るんだって、私の頑張り次第なんだって、楽しみにしていたのに。

まだ「悲しみ」を受け入れられない

喪失感は癒やすものではなく、抱えて生きていくものだと思います。

そして、その痛みに慣れ、自分の一部にするには、その喪失感の受け入れ方を模索することが必要なのだと思います。すなわち「見守っていてください」とか「恥じないように生きていく」とか「魂とともに生きていく」とか。

またはぼんやりと、喪失感に寄り添っていくとか。

悲しみにとらわれて、落ちていきすぎてしまうのは、つら過ぎる。

この自分の中にある悲しみと向き合うには準備がいるようです。まだ、悲しみを受け入れられません。

考えようとすると、ただひたすら、ぼんやりしてしまいます。

だから、まだ私は、何かを祈ることすらできないでいます。まだ信じられないし、信じたくないのです。

でも、このように思い返していて、湧き上がってきた想いが、言葉があります。

「ありがとうございます」

たくさんの思いやりを、喜びを、楽しさを、優しさを、素晴らしい音楽をありがとうございます。もう、抱えきれないほどの、あふれる感謝と敬意しかありません。

「Money(RS-style)」東京ジャジューカ in 2015