正常と異常の境界線|ブライアン・ジョーンズは異常だったのか?

「ザ・ローリング・ストーンズ物語」(ジョージ・トレムレット著)を読んだ。

1978年に発行された本である。

今ではAmazonでも扱いがありません。

古本サイトにはあるようなので、興味ある方はチェックしてみてください。⇒ https://www.kosho.or.jp/

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ストーンズのデビューに至るエピソードがよくわかる

著者は50年代半ばにロック・ミュージックが始まって以来、ほぼ終始一貫してロック・ライターの仕事を続けてきた、という人物。

いろいろな角度から物事を見るというのはおもしろいもので、この本には、ライターの目から見たストーンズのことがわかりやすく描かれている。

すべてはブライアンとアレクシス・コーナーとの出会いから

物語は、ストーンズの結成を促し、メンバーに大きな影響を与えたアレクシス・コーナーから始まる。

彼を慕う若きミュージシャン(の卵?)の中で、特に熱心だったのが、ブライアン・ジョーンズだった。

ブライアンは毎週、チェルトナムからはるばるやってきて、コーナーのライブ・ステージを一番熱心に見つめ、コーナーのアパートの床につぶれたまま一晩過ごすのが常だった。

ブライアンは自分のグループを結成するために奔走しだす。

望むミュージシャンを集めるために”ジャズ・ニュース”という音楽誌に三行広告を出した、これが正にまだ形も名前もないローリング・ストーンズの第一歩である。

スチュ(イアン・スチュワート)とブライアンは何週も何ヶ月もミュージシャンとシンガーをオーディションした。

ブライアンもその実力を認めたスチュをクビにしてしまった理由についてはこちらで書いています。

メンバー集めから始める

しばらくしてから、ミックがコーナーのところをやめて、ブライアンのバンドに参加することになった。

ミックがキースとディック・テイラーを連れてきた。

その後、ディック・テイラーがぬけて、ビル・ワイマンが参加し、ドラマーとしてチャーリー・ワッツが入った。

この初期段階において、成功することに最も野心的で、バンドを自分のバンドと考えていたのはブライアンだった。

ブライアン・ジョーンズは、信念の強い男であるのは勿論だったけれど、その反面、もっとも親しい友だちにも何かわけが判らぬ印象を与える謎めいた奴でもあった。彼の友人たちには、ブライアンが、何かしら人間的魅力をもっていること、とても社交的であること、女性に対して魅きつける力をもっていること、ほとんどどんな話題にも会話が楽しめる点、などのキャラクターを有していることは判っていたが、それでもなお、彼らにはブライアンが理解できなかったのである。

誰よりもストーンズを成功させるという情熱があった

ブライアンはどんな犠牲を払おうともスターになってやる、という信念にあふれていた
と、ジョルジョ・ゴメルスキー(ストーンズの初代マネージャー)は語っている。

ストーンズはゴメルスキーの元を離れ、アンドリュー・オールダムと組み、スターへの道を駆け上がっていく。

ストーンズの全メンバーの中で、この当時、一番交際範囲が広く顔が利いたのは、ブライアン・ジョーンズだっただろうか。お料理の注文には極めて大胆なセンスを発揮し、週のうち毎晩に近いほどの外出好きをきめこんだ。チェルシーの新居で果てることなく盛り上がるパーティが連日連夜行われたのもこの頃のことだった。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ゴードン・ウォーラー、ジョージ・ペイジといった有名人たちは、ブライアンの家に出入りしていた友人の中の何人かだった。ブライアンはそういった連中の中で、明けても暮れてもパーティ大会だったわけだ。
ブライアンは友だちに対し、とても誠実で愛情深かった。彼は非常に寛大な気持ちを持ったホストだった。彼は、宗教的偏見やら人種的偏見とはまるで無関係の人間だった。彼は皮膚の色からくる人種差別を格別忌み嫌ったものだ。彼は出来るかぎり人に力を貸してあげる、そういう男だった。彼は、政治や社会情勢なんかについて、たとえ何時間でもぶっ続けに話が出来る能力を持っていた。

人種差別が大嫌いだったブライアン^^!

ブライアンのことを知るうちに、
「彼は相手がどこの国の人であるとか、皮膚の色が違うとか、言葉が違うとか、そういうことで差別するような人ではなかったに違いない」
と思っていたのですが、この本にハッキリと、「人種差別を忌み嫌った」と書かれていたので、やっぱり!と思って嬉しくなった。

相手がどこの国の人であるか、ということだけで、差別的な発言をする人には嫌悪を感じてしまうので、ブライアンがそれとは真反対の人であってくれてよかった^^

しかしこの本の中にも書かれているが、自分の私生児たちの面倒を全くみようとしなかった、ということについて、友達に対しては愛情深かった彼が、何故自分の子供たちの面倒をみようとしなかったのかが不思議だ。

彼はそういうことについて、なにも感じていなかったのだろうか。

それとも責任は感じていて、でも自由でいたいという気持ちが強くて、その感情の狭間で揺らいでいたのだろうか。

隠し子たちの件については、ここで書いています。

ブライアンの頭の中は混乱していた

著者は、ブライアンには彼の仲間の多くに著しく欠如している生活上のたしなみというものが、見事にそなわっていた、と称える一方で、ブライアンは頭の中が混乱した不安定な奴だった、と書いている。

私は彼(ブライアン)にしばしば会ったし、彼と一緒に仕事をした多くの人たちを知っていたし、彼の親友も知っていた。その上での私自身の考えとしては、ブライアンにはローリング・ストーンズに入るずっと以前に、すでに定期的な精神療法が恐らく必要とされていたのじゃないか、ということなのだ。彼の生前、ジョルジョ・ゴメルスキーは私にこんな具合に話してくれた――私は、ブライアンはヒドく弱っていると思ってる。彼は、いわゆる治療が必要だったのに、なんていわれるような奴なんだよ。彼の答え方っていうのは、もはや普通どころじゃないんだ――。

ゴメルスキーはストーンズが自分の元を去っていったのを大変悲しみ、もしも自分と仕事を続けていたら、彼らの仕事はもっと意味深いものになったであろうと語っている。

そして麻薬に巻き込まれるようなこともなかったであろうと。

ブライアンの応答は常人の域をはるかにはみ出していた、というが、具体的なことがわからない。

ブライアンのどんな応答がおかしかったのだろう?

以前、「ブライアンには側頭葉癇癪の持病があったのかもしれない」ということを書きましたが、それとは別に、正常ではない、と思わせる何かがあったのだろうか?

(側頭葉癇癪について、例えばここで書きました)↓

ストーンズが売れて、多忙を極める前に、既にブライアンは精神的に治療が必要な状態だったのだろうか。

ブライアンはお喋り好きで、ジョーク好きな人だったんじゃないかなと思えるので、頭のいい彼が切り替えす応答が、頭が固い人たちには「わけがわからない」「頭がおかしいんじゃないか」などというふうに受け止められてしまったというだけなのではないのだろうか。

実際に会話を聞いたわけでもないので、どこがどう常人と違ったのかが、まるでわかりませんが。

異常なのか正常なのかの境界線は難しい

例えば、彼の奇行として、いきなり二階建てのバスを購入した、とか、絶え間なく新会社設立の構想、新事業の開拓、新しいグループの結成を真剣に練っていた、とか、訪れる街をすぐに好きになり、「ここに住む」とまわりに言いふらし、次に他の街に行くと以前言っていたことなんてすっかり忘れて「ここに住む」と言っていたことなどがあげられていますが、突拍子ない奴、と思うだけで、異常というふうには思えない。

精神的に異常か、正常かの境界線というのは、かなり難しいものなのかもしれない。

そしてこの本には、ブライアンの死については、
「(ストーンズ脱退後)一ヶ月も経たぬうち、ブライアン・ジョーンズはこの世を去った。自宅のプールの中で溺死しているのが発見されたのである。」
と短く書かれているだけだ。

忙しない時の流れの中で、外部から見たブライアンの死はこの短い文章に集約されてしまうようなことなのでしょうが、仕方がないことと理解しながらも、悲しくなってくる。

※この「正常と異常の境界線」については、またどこかで書きます。

⇒書きました! ブライアンとは関係ないけど、「正常と異常の境界線」について。

コメント

  1. モモ より:

    ブライアンジョーンズに、興味があり拝見させていただきました。
    なぜか、ブライアンと今の私と重なる部分もあり共感しました。
    ブライアンが生きていた時代にネットがあったら良かったのにとも思ったり
    しました。

  2. るか。 より:

    モモさま
    コメントありがとうございます!
    反応が遅れてしまい、すみません<(_ _)>
    ブライアンが生きていた時代にネットがあったら、
    活用していただろうな~と思います。
    一旦どっぷりハマって、有名人がゆえに嫌な目に遭って、ネット嫌いになりそうな気もします。