ブライアンとキース・リチャーズ part18

いきなり涼しく……、というより寒くなりました。
待ち行く人も、衣替え。既にウールっぽい服を着ている人もいたりして。
うっかり薄着で風邪をひかないように、気をつけなくてはいけませんね。

さて、ブライアンの話題です。

ブライアンの死後、ブライアンに捧げたというアルバム「Through The Past, Darkly」の中に書かれている詩、
When this you see, remember me
and bear me in your mind
Let all the world say what they may,
speak of me as you find

これを見るとき、私を思い出しておくれ
そして心にとどめておくれ
世間が何といおうと
きみの思うとおりの私を語っておくれ

ですが、ビルの著書「ストーン・アローン」によると、ブライアン本人ですらも、その存在を知らなかったブライアンの私生児、1960年8月4日生まれの娘(ブライアンと同じ側頭葉てんかんの持病がある)がこのアルバムの詩を見たときのことを次のように語ったと書かれています。

「アルバム・カバーを見て、ブライアンの書いた短い詩を見たとき、すべてがぴんときたの」

この女性は、自分の父親がブライアンであると”ピンときた”ということなのですが、私が気になったのは、彼女がこの詩を”ブライアンの書いた詩”であると言っているところ。

この通りだとすれば、生前、何かに書きとめたブライアンの詩がアルバム・ジャケットにプリントされたということなのでしょうか。

そしてこれがブライアンの遺した言葉であるなら、私が勝手に思いつくままブライアンのことを書いていることも、ブライアンが望んでいたことなのでしょうか。

そうだとしたら、どこかで微笑みながら見ていてくれるかも……。
(ハッ・o・、またまた妄想炸裂しちゃいました)

*************************
日々、慌しく過ごしていて、頭が回転せず(頭が回転しないのは慌しいせいじゃなくて、元々?^^;)、中々更新できなかった「ブライアンとキース・リチャーズ part17」の続きをいってみようと思います。

思い起こせば去年から書いているという長いシリーズになってしまいました……
ブライアンが亡くなった後のキースのコメント、のひとつ。

「ブライアンが死んだことについては、やっぱり、って感じだった。死ねばいいなんて本気で思っちゃいなかったが、そう思ってるやつも確かにいたよ。けど、ああやっぱり、っていうのが正直な気持ちだった。それに本音を言えば、あいつの死に涙を流す気持ちにはなれなかった。言ってみれば、『ああ、あいつ、とうとう死んじまったのか』って感じかな。冷たく聞こえるだろうが、あいつはおれたちの足手まといだったんだ。おれたちはずっと、あいつの尻拭いをさせられてきたんだからな。あいつの思い出はみんなでたいせつにするし、あの若さで死ぬなんて、残酷すぎると思う。けど、あいつの死はほかの誰でもない、あいつ自身が望んだことだったんだ。死ぬとっくの前から、ブライアンの人生は終わっていた――彼はもう、ストーンズのメンバーじゃなくなっていたんだからね」

ブライアンの死について、キースのコメントはいくつかありますが、うーん、このコメント、正直な気持ちなのでしょうが、ブライアンのファンとしては複雑です。

私はいろいろなことがあったにしろ、ブライアンはキースを好きだったと思うのです。

裏表がなくって、あたたかい繊細な心を持っている、負けん気が強いキースのことが。

だから出会った頃、それほどテクニックがなかったキースをメンバーにしたのだと。

キースを(ミックのことだって)、本物のミュージシャンになるよう導いたのは、ブライアンだったと思うのです。

山川健一さんの記事に、次のように書かれています。

ストーンズのベーシストだったビル・ワイマンは言っている。
「ブライアンがバンドを作ったんだ。彼が名前をつけて、彼が僕らひとりひとりを選んだんだ。僕が4番目でキースが3番目、チャーリーが5番目だった」
兄貴分のブライアンはミックやキースなどの弟分にブルースを教えた。ミックにはブルースハープを、キースにはギターを教えたのである。
自分でラジオ局に電話をかけ、新しいバンドのライヴの告知を頼んだ時、バンド名を聞かれた。共同生活をしていたイーディス・グローヴのアパートの床にはLPレコードが散らばっていて、ふと見下ろすとマディ・ウォーターズのアルバムが足元にあった。その曲名を見て、反射的にブライアンは答えた。
「バンドネームは、ザ・ローリング・ストーンズです」

そうです、
ブライアンがメンバーひとりひとりを選んで、自分が知っている音楽を教え、バンドを売り込み、バンド名をつけたんでしょう?

これ、事実ですよね。

ブライアンがいなくても、ストーンズは誕生したでしょうか。この最強のメンバーが揃えられたのでしょうか。

いえ、やはり私は、ストーンズの誕生にはブライアンはなくてはならない存在だったと思います。

体調を崩して演奏が出来ないことが多かったにしろ、決して、”足手まとい”なだけの存在ではなかったと確信します。

しかし、キースがブライアンのことをまったく認めていなかったかといえば、そんなことはなくて、それなりにきちんと評価はしていたと思います。

キースはブライアンのことを”よく知っている”と発言していますが(故にインタビューで、他殺の可能性もある、と語っているのですが)、私にはキースはブライアンのことを、実はそれほどよく理解していなかったように思えます。

キースには繊細な部分もあるのでしょうが、物事の裏などをあまり深く考えたりしないタイプなのではないでしょうか。

だから例えば、ブライアンの振る舞いの裏にある心理なども深く考えず、見た通り、感じた通りにしか受け止めなかった。

多少、裏の心理に気付いたとしても「複雑で、面倒くさいやつだな」って、思うだけ。

要するに、「うざいヤツ」。

気をひきたくて、わざと問題を起こしたりする態度も「うざい」。

がんばろうって時に、体調を崩している自己管理の出来なさも「うざい」。

ブライアンは自己管理が出来なかったわけじゃなくて、本当に体力がなかったのだと思うのですが。

ブライアンが亡くなった後の、ビルのコメント。
「本当にショックだった。いつも半分目覚めていて、半分眠っているような奴だったけど、いわゆるへヴィ・ドラッグをやっている姿は一度も見たことがなかったよ。いつも錠剤、錠剤、錠剤、酒って感じで、その両方をやり過ぎたんだ」

身体が弱い人って、大体、自分の身体にとても神経質で、無理はしないようにするものではないですか?

”ブライアンはへヴィ・ドラッグはやらなかった”

同じようなことをアニタも言っているので、ドラッグ漬けだったように語られているブライアンですが、実際はそれほどドラッグに溺れていたわけではなかったのかもしれません。

ただビルのコメントにある、
「いつも半分目覚めていて、半分眠っているような奴だった」
というのが気になるのですが、ブライアンは普段から人から見ると”ドラッグでもやっているような雰囲気の人”で、だから事実以上に、ドラッグに依存していたように思われたのでは。

医者から処方されていた合法の薬だけでも、量は多かったのでしょうし。

以前、キースの友情というのは「家族的」なものなのではないか、と書きました。

これを前提に考えてみると、キースはブライアンのことを、ある意味では好きだったけれど、ある意味では嫌いで(好きだったのは音楽的な面と遊び心があったところ、嫌いだったのは所謂”うざい”ところ)、でも、「家族的」な友情を感じているから、嫌なところには目を瞑って、うまく付き合っていくしかないな、って思っていたのではないでしょうか。

要するに、世話が焼けるけれど見捨てられない家族との付き合いのように。

ブライアンの方は、自分のことをよく理解してくれていないにしても、いえ、理解してくれてないようなキースだからこそ、好きだったと思うのです。

だから、そのキースが自分と付き合っていたアニタを連れて行ってしまった時、心から信じていた友達に裏切られたという、大きなショックを受けたものと思われます。

ブライアンの死の翌朝、オフィスに現れたキースは、ストーンズのアシスタント、シャーリー・アーノルドの手をしっかりと握り締め、「大丈夫か?」と言った。

シャーリーは、
「確かに仲間うちではブライアンは若死にするだろうっていうのが定説になっていたけど、実際あんなことになったら、やっぱりショックだった」
と語っている。

ハイドパークで予定していたフリーコンサートについて、ミックは、
「中止しよう」
と言ったが、キースとチャーリーは予定通りやろうと言い張った。追悼コンサートに変え、ブライアンに俺たちの曲を捧げるんだ、と。

ここで登場しているシャーリー・アーノルドはブライアンの死の前日、ブライアンと電話で話したと言われています。

そのエピソードは以前、「BLUE TURNS TO GREY」で書きました。

その後、私は「2005年のストーンズ」で、実はブライアンはこの時、シャーリーに「コンサートには来る必要はない」と言って欲しかったのではないかと書きましたが、この読みは当たってたかも?と思える記述を見つけました。

ストーンズのボディ・ガードだったトム・キーロックの日記より。

私は、何度かバンドを離れた後も彼(ブライアン)に会ったが一向によくなっていなかった。彼はハイドパークに誘われていた。私が彼にそれを言うと、「俺はなんてついてないんだ」と言っただけだった。

ブライアンの本音は、追い出されたストーンズのコンサートに顔を出すなんて真っ平だった。

だけど、感情を抑えて客観的に考えて、「やっぱり行くべきなのかも」と思った。

そしてシャーリーに何気なく意見を聞いてみた。

……ブライアンって、こういう人だったのです。

決して自分勝手なだけの人じゃない、周囲とのバランスも考えようとする人。

ふ~、久々に長々と書いてしまいました。

さて次回は、ブライアンの亡き後のキースについて、また出会った頃は仲がよかったブライアンとキースの関係が、どう変わっていってしまったのか、思ったことを書いてみようと思います。

ミックのブログをはるかに抜いてpart18までくるとは思っていませんでしたが、そろそろLastが見えてきました^^

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コメント

  1. 如雲図 より:

    こんばんは、はじめまして。ブライアン関係の文章、全部読ませていただきました。そもそもは、〈A Degree of Murder〉の字幕付きDVD、買おうかな、どうしようかな、と思っていろいろ検索していてこちらにお邪魔することにあいなったわけですが、読み始めたら、あまりの研究熱心さにうたれ、読みふけってしまいました。私もブライアンを永遠のアイドルと自認してはや20年をすぎ(叔父の影響で子供の頃から60年代のストーンズを聴いていましたから、それも換算するともっとですね。初めて自分で買ったストーンズのアルバムは〈Dirty Work〉でしたが)、それでもやはり、ブライアンをもっと再評価しなくては、いや、もっときちんと評価されるべき、という思いを強めている次第です。まあ、そうしたDVDなどが出ていること自体、それなりに評価の気運はあるんでしょうが、もっときちんとしたかたちで、しっかりした「音」でブライアンが評価されるようになってほしいと思い続けています。私もなにかできることをしたいという気になってきました。いい加減おっさんですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  2. るか。 より:

    如雲図さん、はじめまして。
    読んでくださって、ありがとうございます!
    私はブライアンの存在を映画で知ったので、ブライアンファン歴2年です。
    映画を観て、実際のブライアンのことを知りたくなりました。
    そして、
    「ブライアンは誤解されているところが多いのでは?」
    と思い、
    「少しでもブライアンに対する誤解をときたい!」
    などと使命感にも近いものを覚え、ブログに書き始めました。私の方こそ、誤解しているのかもと、不安になることもありますが。
    「A Degree of Murder」の音楽は、正式なアルバムが出ていないのが残念です。
    誰かがどこかに保管していて、「全曲ブライアン作曲のアルバム発売!」なんていうサプライズがないものかと、淡い期待をしています。
    こちらこそ、今後ともお願い致します