相撲の土俵の女人禁制問題を見ていて、
「そういえば、ジャジューカ村も女人禁制だったなあ」
と思い出した。
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女人禁制だったので、スキ・ポワティエは男装をした
2006年にブライアンを知り、ブライアンについて書き始め、ジャジューカにも興味を持つようになったのですが、
当時話をする機会があった、ジャジューカに行ってきたというライターさんから、
「まだジャジューカ村は女人禁制だと思いますよ」
と情報をいただいた。
でも最近は村でフェスティバルなどが催されていて、その様子を見ると女性もいるので、いつのまにか女人禁制ではなくなったのだろう。
しかし、ジャジューカ村は女人禁制だった時代がある。
1968年にブライアンがジャジューカ村で現地録音をした頃には、確かに女人禁制だった。
恋人だったスキ・ポワティエが録音に同行したいと言い出し(ブライアンの希望だったという説もあり)、仕方がないので、スキ・ポワティエは男装をしてジャジューカ村に入った。
スキ・ポワティエ
スキ・ポワティエ(Suki Potier)は1947年11月14日生まれのモデル。
スキとブライアンの間にいるのは、トム・キーロック
スキはブライアンの友人だったギネスの御曹司、タラ・ブラウニーの愛人だった。
タラは1966年12月に交通事故で亡くなりますが、そのとき同乗していたのがスキ・ポワティエだったという。
悲しむスキを慰めたのが、タラの友人だったブライアン。
その縁で、のちにつきあうことになったようだ。
以前にも書いていますが、このタラ・ブラウニーの死について、ジョン・レノンが歌詞を作ったと言われている。
ジョン・レノン自身は否定しているようですが。
He didn’t notice that the lights had changed(彼は信号が変わったことに気付かなかった)
The Beatles – A Day In The Life
しかし、何度、観ても、まさにドラッグの世界……。
ジャジューカ村での録音後のブライアンとスキ
スキ・ポワティエの男装が現地の人にバレなかったどうなのかはわからない。
だけど、私はこれを読んだときに思った。
「あ~、どんなに外見を装っても、神様はお見通しだっただろうな~」
女人禁制というのは、現地の人にバレなければいいということではなくて、神様との約束みたいなものと感じたので、男装をして行けばいいというものではなかったのだろうと思えた。
その後、ブライアンは1969年に亡くなった。
スキ・ポワティエは1981年6月23日にポルトガルで亡くなったそうだ。旦那さんと一緒に休暇中の交通事故で。
1947年生まれなので享年34。(誕生日前だから33歳だったのか…)
彼らの早すぎる死が、
女人禁制のジャジューカ村に男装をして入るなんて、神様を騙すようなことをしたから
かどうかはわからない。
でもやっぱり「男装して入る」なんて、現地の伝統を軽く見るようなことはしてはいけないと思う。
伝統であっても、時代とともに変えていかなければいけないこともある、
ならば、神様にきちんと相談、報告をすればいいんじゃないかな?
などと思いついたのは、以前、こんな経験をしたからだ。
風との会話
ココで詳しく書いているのですが、要約。
妄想が強すぎと思われるかもしれませんが、本当のお話^^;
自然の存在と会話をしてみたいなと思っていた私は、2011年のある日、風と会話することに成功。
なにか質問してみようと、
「原子力の代わりに自然の力(風とか火とか水とか)を使おうという話が出ていますが、どう思いますか?」
風からの答えは、
「それをどう思うかというより、どう思うかと聞いてくれたことがうれしい」
そのとき、私は思った。
そうか、私たちは自分たちの都合ばかり考えていて、忘れてしまっている。
人間ばかりがえらいわけじゃないのに。自然の存在だって同等のはずなのに。
「私たち人間は、電気が必要です。そのために、あなたたちのチカラを貸していただくことはできますか?」
と、お願いをしたり、お伺いをたてたりするべきなのに。
「原子力がダメなら、自然の力を使えばいいよ!」
とか、自分勝手すぎ。
たぶん、昔の人たちは、そういうことを自然にできていたんじゃないかなあ。
神様に、お願い
話は初めに戻りますが、相撲が神事であり、女人禁制を変えるのが難しいということなら、神様にお願いしてみればいいのでは。
神事について詳しいわけではないのですが、変えていかなければならなくて、それが神事だから難しいのであれば、お願いするしかないでしょう。
儀式が必要ならば、するようにしたら良いのではないかと。
ブライアンとスキは、神様にお願いしたかな。
ん~、なんとも言えませんね……。
ちなみに「ジャジューカ ーモロッコの不思議な村とその魔術的音楽」の中で渡邊未帆さんが次のように書かれている。
この村が徹底した父系社会であり、そのことが音楽の継承において重要な点だということだ。
”だからこそ”生まれるものもあるのだということも、知っておく必要があるのだろう。