ブライアンとキース・リチャーズ part6

年末からお正月休みにかけて、ジョン・レノン関係の映像を続けて観ました。
「chapter27」(映画館)
「peace bed アメリカ VS ジョン・レノン」(映画館)
「イマジン」(レンタル)

個人的には「イマジン」が一番興味深かったです。前妻シンシアや息子たち(ジュリアン、ショーン)、ジョージ・マーティン、そしてもちろんヨーコなど、いろいろな人たちの証言が出てきて。

「chapter27」は、とりあえず「ライ麦畑でつかまえて」を読み直さないと・・って気になりました。

で、あらためて、ブライアンがジョン・レノンとバンドを組むという話があり、アニタ(パレンバーグ)は「2人はうまくいったと思う」と言っていましたが、私には難しかったように思えてしまいました。

やっぱり、ジョンって複雑な人の印象が;

数曲だったら一緒に出来たかもしれませんが、アルバム一枚を一緒に作ったり、音楽活動を共にするのは・・・想像しがたいっていうか。

ふと思い出しましたが、ブライアンはアメリカ国旗のシャツを着てましたよね。

写真も残っているし、同じデザインのシャツが現在も発売されていると思いますが、なんでブライアンはあのシャツを着ていたのでしょう?

ブライアンのファッションセンス的に、ああいうのアリだったのでしょうか?

”アメリカ大好き!”という気持の表れ? それとも?

それと、いきなり関係なく今更なのですが、年末で感動したのは、米米clubのてっぺいちゃんの歌声です^^

*************************

part5の続きです。
引き続き、太字がキースの発言です。

1964年4月、イギリスでストーンズの初アルバムがリリースされた。

グループ名をそのままタイトルに冠したもので(The Rolling Stones)、ボ・ディドリー、スリム・ハーポ、チャック・ベリー、ルファス・トーマス、ジミー・リード、マディ・ウォーターズといったストーンズ自身のヒーローたちに所縁のある曲で占められていた。

アンドリュー・オールダムがスタジオでのプロデューサーとなっているが、実際はキースがレコード・プロデューサーで、アンドリューが担当したのは、外側のジャケットと大々的な売込みだった。

アンドリューはライナー・ノーツにこう書いている。

”ここに登場した5人組は、豊かな可能性を秘めた逸材であり、彼らは、ポップ・ミュージックの領域を遥かに越える次元にまで足を踏み入れるに違いない”

「実際問題、”旧弊”で”熟練”したプロデューサーなんか使っていたら、あのアルバムは完成しなかったはずだよ。部外者で援助を頼んだのは、これがまたおかしいんだが、イギリスのフィル・スペクターたらんとしたオールダムの口利きによるものだけど、そのスペクターと、彼の右腕のジャック・ニッチェがすいぶん長い時間そばにいてくれたよ。特にジャック・ニッチェのほうは実にさり気なく、大きな力になってくれた」

このアルバムはイギリスのヒット・チャート一位からビートルズを蹴落とし、トップに留まること3ヶ月、当時としては記録的な10万枚を売った。

評論家(兼ミュージシャン)のロイ・カーはこう記した。
「ハイオクのパワーがみなぎる一曲目のからの最後のシンバルの一打まで、このアルバムには、熱狂的で根源的な壮大さと、『名前を知らしめたい』と願う若く情熱的なバンドだけに許された音楽へのひたむきさがあふれている」

また別の評論家は言う。
キースとブライアンのギターは完璧に調和し、ロックンロールの何たるかを定義している

ブライアンは自分の表現としてハーモニカを選んだが、キースはギター一筋だった。

6月1日、ストーンズは最初のアメリカ・ツアーに出発した。

意気込んでいたものの、この二週間のツアーは夢には届かないものであるのがわかってきた。

テレビ出演でディーン・マーティンから辱めを受け、警官からは侮辱を受け、コンサートの入りは最低だった。

あるときには楽屋に入ってきた警官が、バンドのメンバーに、飲んでいるものをトイレに流して来いと命じた。

「俺はウィスキーなんて一滴も飲んでいなかった。あとの二人がコークハイをやっていて、おれはコカコーラを飲んでいたんだ。まったく滑稽だろ? お巡りが拳銃突きつけてコーラを便所に流せときたもんだ」

――しかし、このツアー、ひどいことばかりでもなかったんですね。

このへんのことは「CHICAGO Chess SESSIONS」に詳しく書きましたので、興味ありましたら、読んでみてください。

しかし読み返してみても、”暗黒街から来たギター・プレイヤー”というのは、笑えます^^;

マディ・ウォーターズは、
「リズム&ブルースをイギリスに持ち帰った手柄はローリング・ストーンズの手柄だ」
と言ってくれ、更に、
「俺が音楽を始めた頃には、『黒んぼの音楽』と言われたよ。誰もああいった音楽を自分の家に持ち帰りたくなかったんだ。ビートルズが始めたが、ローリング・ストーンズこそが、俺たちの音楽をみんなに受け入れられるものにしてくれたんだ」
と言った。

――メンバーみんな、特にブライアンは嬉しかったでしょうね~

しかし、ビートルズもリズム&ブルースから始まったんでしたっけ。(ビートルズ関係の本も読んだのに、頭に入ってない;)

ストーンズは漠然と、このアメリカ・ツアーは失敗だったと思っていたが、同じ月にアメリカで初めてリリースしたアルバム<England’s Newest Hit Makers>は全米ヒットチャート11位になった。明らかに、アメリカにもファンは出来たのだ。

アメリカから戻り、ストーンズは夏の全国ツアーに出発した。

さすがに頑健なキースも疲れてきた。

キースとミックは、アンドリューをメイプスベリーに残したまま、ハムステッドのホーリー・ヒル10番地Aにあるフラットに越していたが、ツアー中に泥棒に入られてしまった。

ブラックプールでのオープニングの夜(ちょうど4枚目のシングル<It’s All Over Now>がチャートの一位になった日)、グラスゴーから来た酔っ払った客が、他の客を殴りつけながらステージの前までやってくると、ブライアンに唾をかけ始めた。

キースが注意しようと前へ出ると、今度はキースに唾が飛び始めた。

その様子をハラハラしながら見ていた、スチュは言う。

「キースはコケにされて黙っていられるやつじゃなかった。『てめえら、死ね』とか言い出して、連中にも聞こえてしまったようだ」

ストーンズの前座を務めていたロイ・カーは、ステージの袖から見ていた顛末をこう語った。
「鼻水交じりのでっかい唾の塊が突然吐き出されたかと思ったら、スポットライトを浴びて輝きながらゆっくりと飛んできて、びちゃっとキースに当たった。これに怒り狂ったキースは、なんのためらいもなく自分のチェルシー・ブーツの踵でそのチンピラの拳を思い切り踏みつけ、一歩後ろに下がったかと思うと、つまさきで相手の鼻面めがけて蹴り上げたんだ」

メンバーが全員、楽器を捨てて逃げ出した。キースは仁王立ちになって、連中を睨み付けていた。

スチュがキースを小突いて、
「なんでもいいから、生きてるうちにずらかれ」
と言った。

またこのツアー中、キースの恋人のリンダ・キースは自動車事故を起こした。

フロントガラスを突き破るほどの事故で、顔はめちゃめちゃで鏡も見せてもらえず、飛んできた家族も本人だとわからないくらいだった。

病院に来たキースは、自分の顔がどうなってしまったのだろうと不安に怯えるリンダを見ると、かがみこんで顔にキスをした。

リンダは言う。
「あの瞬間は一生忘れないわ。お化けみたいな顔になってはいないんだ、大丈夫なんだ、ってわからせてくれたの。キースってそういう人だったのよ」

――キースって、向こう見ずだけど、根はあったかくていい人ですね~。

喧嘩したり、いろいろあっても、ブライアンはキースのことは好きだっただろうなって思います。

ミックに対しては、まあ、ちょっと複雑な感情があったのでしょうけれど、キースに対してはなんのわだかまりもなく、仲間として信じていたのではないかと。

後にアニタの件などがあり、仲がこじれてしまいますが、それでも私はブライアンはキースを嫌いにはなってなかったと思います。

キースはブライアンに対して、また違う感情を持っていたのかもしれませんが。

後日に続きます。

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コメント

  1. うさこ より:

    るかさんこんばんは。

  2. うさこ より:

    るかさんこんばんは。今年も新しい年が明けましたね^^るかさんはもう見ましたか? YouTubu で、Morocco BBC1989めんどくさいので><;省略しました。ブライアンの事を言ってるみたいなんですが・・・英語はさっぱり分かりません><;。分かったら教えて下さい。

  3. うさこ より:

    またまたうさこです^^;るかさんはもう見たかもしれませんが・・・YouTube で、 The Rolling Stones -Lade Jane のブライアンが、ミックに向かって笑ってるのがとても仲良しに見えて*^^*るかさんも私と同じに感じてくれたら嬉しい*^^*

  4. うさこ より:

    るかさん><ごめん!Lady でしたyをeと打ってしまった><;ごめんね。

  5. るか。 より:

    うさこさん、こんばんは♪
    ステキな映像を紹介してくださって、ありがとうございます!!
    ジャジューカが好きな私には、とっても興味深かったです。
    ただ……、私にはほとんど英語力がなく……^^;
    ほんのすこ~しわかる部分もありましたが……、字幕がほし~い!
    1回だけ流して観た感じで、わかったのは、このドキュメンタリーが1989年ブライアンの死後20年ということで、ジャジューカのミュージシャンたちに協力してもらって「コンチネンタル・ドリフト」という曲を作ったのですが、その録音のため、ミックとキースとロンがモロッコに行ったときの映像であるということ。
    ブライアンが行った当時、子供だったバシール(現在は'Master Muscians of Jaujouka'のリーダー……のはず)が出てきたこと。
    1967年、ブライアンが置き去りにされることになったモロッコで、メンバーと出会ったセシル・ビートン(写真家。彼は1980年に亡くなっています)のコメント。
    ビートンはミックを気に入ったらしいですが、キースやブライアンについても語っているみたいですね。
    ブライアンについては(ミックの本によると)、「ブライアン・ジョーンズは恋人のアニタと一緒だ。汚れた白い顔、汚れた黒い目、汚れた黄色い髪の毛、野蛮人のような装身具」……、とかなり辛辣ですが、実際にそう言ってるでしょうか。(何度か聞きなおしてみないとわからない、というか、聞きなおしても聞き取れるかどうか)
    part3では、キースが60年代のこと、ブライアンについて語っているようですが、英語わからな~い!
    少しわかるのは、ドラッグ事件があり、モロッコに旅することになり、キースとブライアンとアニタは自動車で出発した。途中でブライアンが入院し……、という、よく知られたエピソード。
    ブライアンは難しい(複雑な)人、とも言っているような。(自信なし)
    どこかにこのインタビューの文章が載っていないでしょうか……。
    でもジャジューカには、ブライアンの写真が飾られていて、ブライアンがとっても敬われ、慕われているのがわかったので、すごく嬉しかったです。
    part3の映像だけ、とりあえずリンク貼っときます^^
    http://jp.youtube.com/watch?v=QjL2i6p8gYU&feature=related
    これですよね?

  6. るか。 より:

    Lady Janeの映像、これですよね?
    http://jp.youtube.com/watch?v=CE7UW62v6Ck
    お互いに、本当に嬉しそうな少年のような様子で微笑みあってますね^^
    いい感じです~
    うさこさんと同じように、私も嬉しいです^^v

  7. うさこ より:

    るかさんありがとう^^さすがるかさんですね><;YouTube-Beatle Babiesを、もう見ましたか?癒されちゃいます*^^*私はPattie Boyd も好きです。

  8. るか。 より:

    いえいえ、英語力がないので、お役に立てなくてすみません^^;
    ご紹介いただいた映像は、楽しく観ています^^♪
    Beatle Babies、観てみました!
    またまたステキな映像を紹介していただいて、ありがとうございます!
    かわいいですね~。
    一瞬、Pattie Boydってわからなかったのですが、ジョージの奥さんだった人なんですね。
    写真によっては日本人に近いように見えたりして。
    きれいな女性ですね☆