ブライアンとキース・リチャーズ part2


気苦労が多いせいか?頭痛がとれないので、週末、海を見にいってみました。
夕方だったのに、既に夜景。

しかも、何故か月が赤かったです。

でも海の風景は気持ちよかった~^^

それと発売されたストーンズの60年代ベストアルバム「ロールド・ゴールド・プラス」を買いました。
目新しい曲はなく……、でも、まあ、ジャケットも凝ってたし、初回限定盤特典で卓上カレンダーがもらえたからOKということにしときましょう……

***************

part1の続きです。

太字がキースのコメントです。

このあたり、ミックのブログと重なっているのですが、同じようなことでも、いろいろな方面から見ると、また違ったものが見えてくるかもしれない、ということで書き続けます。

イーリング・クラブで、アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイティッドで週に3度ほど歌っていたミックは、
「彼らはトラッド・ジャズのファンを満足させるために、トラッド・ジャズを演奏しているだけなんだ。アレクシスを見ても、俺には自信なんてわいてこなかった。プレイさせてもらえる場所があるってわかっただけさ」
と言っている。

うーん、最初からクールなミック。

一方、ブライアン・ジョーンズは、故郷チェルトナムにブルース・インコーポレイティッドが演奏に来たとき、これこそ自分の天職だ、と思うくらい、アレクシスのバンドを素晴らしいと思っていた。

ブライアンはアレクシス・コーナーの最初の弟子のひとりだった。

ブライアンを自分のバンドに誘いたいとは思ったが、アレクシスのバンドには既にギタリストがいた。

ミックがアレクシスのバンドで歌っている頃、ブライアンは自分のバンドのオーディションにキースを誘った。

集まっていたメンバーは、ピアノのイアン・スチュワート、ヴォーカルとハーモニカのブライアン・ナイト、ギターのジェフ・ブラッドフォード(彼は14年後、ミック・テイラーの後釜を決めるオーディションを受けたが、失敗している)。

ブライアン・ジョーンズ以外のメンバーは、「チャック・ベリーの専門家」キースに冷たかった。

キースは何度かミックやディック・テイラーをセッションに連れて行き、ブラッドフォードとブライアン・ナイトは、ブライアン(ジョーンズ)を、
「ロックンローラーの取り巻きがたくさんいるんだな」
とからかうようになった。

ある時、キースはブラッドフォードとひどい喧嘩をしてしまい、これで自分はお払い箱にされるだろうと覚悟を決めた。

しかしブライアンは、
「てめえらこそ、クソみたいなもんさ! 俺はこいつらとやっていく」
と啖呵を切り、ブラッドフォードとブライアン・ナイトはバンドを去ることになった。

残ったのは、新生メンバー、ブライアン・ジョーンズ、キース、ミック、ディック・テイラー、イアン・スチュアートだった。

1962年の夏から秋にかけて、キースの人生で、ブライアンは重要な触媒となった。

キースから見ると、ブライアンははるかに大人だった。

自分やミックが、まだ親元にいるのに対して、ブライアンは一人暮らしをし、いくかの職に就き、私生児までもうけていたのだ。

キースはブライアンに、チャック・ベリーやジミー・リードの音楽を教え、ブライアンはキースにロバート・ジョンソンを教えた。

ミックは依然として音楽を職業とすることに迷っていた。

「はじめて知り合ったとき、真剣にバンド作りを考えてるのはやつ(ブライアン)だけだった。ミックと俺は、自分が演奏することにしか興味がなかった」

イアン・スチュアートから見ると、キースとミックは「ピカディリーの乞食コンビ」で、ブライアンは「変人」だったが、彼らは不思議に相性がよく、その夏はずっと週数回の練習を続けた。

週1回はアレクシスのクラブに行っていたキースは
「もうすぐ、俺たちがここで演奏してやるぜ」
と言っていた。

ブライアン、キース、ミックはいずれも傑出した才能の持ち主だったが、タイプは全く異なっていた。

三人の力が集まることで、音楽的にも対外的にも充分機能するバンドが出来上がっていた。
しかしアレクシスは言う。
「ブライアンには何か独特の不安的な面があって、それがほかの者もひどく不安的な気分にさせていた。もちろん彼のことは気に入っていたが、やつはその気になれば、実に下卑た嫌な男になれて、変にひねくれた言い方をしたり、そのときはそうも思わないが後になってから胸にぐさっとくるような物言いが出来た」

キースの発言。
「俺たちは本当にいい仲間で、楽しくやっていた頃もあったんだ。でも三人のバランスがちょっとでも狂うと、ブライアンとミックと俺の間で、信じられないくらいの争いになっちまう。俺たちの間には説明の出来ない何かが存在していたんだ。最初はバンドをやっていくのに入れ込んでいたこともあって、ブライアンと俺が親密だった。それに俺たちは、人から嫌われやすいタイプだったんだ。よく言われたよ。『おまえらは屑だ。最後はドヤ街に流れ着くのが落ちだろう』って」

――キースは「3人の間には説明の出来ない何かが存在していた」と言っていますが、それが、前にミックのブログで書いたようなミックとブライアンの間にあった感情、またミック→キースに対する感情だったのではないでしょうか。

キースが全く気付かなかったっていうのは不思議な気もするので、私の解釈が間違っていた、のかも。

ミックはやがて、ブライアンの女友達(パット・アンドリュースですね)を誘惑して、彼の注意をひこうとしたが、そのことがきっかけでパットが出て行ってしまったことで、ブライアンは彼女が家賃を払っていたフラットも失う羽目になった。
(あれ? ミックのブログで書いたのとはちょっと状況が違う;)

1962年10月、ブライアン、ミック、キースは三階建てのむさくるしい建物の二階に引っ越した。

エディス・グローヴ102番地。ウェスト・ロンドンのキングス・ロードにあるワールズ・エンドを少し外れたところだ。

家賃を払うため、3人は更に3人の下宿人を置かなくてはならなかった。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生2人と、ブライアンの昔からの友だち、リチャード・ハットレル。

二間続きで、キッチンにバスタブが置かれ、三階への踊り場に共同便所がついたこのフラットは、あっという間にヒッピーの吹き溜まりそのものになった。

キースが家を出てからほどなくして、母親ドリスと父親バートは離婚した。

キースは以降20年間、父親とは会わないことになる。

母親はビル・リチャーズ(リチャーズというのは、この地方にはありふれた名字だった)と再婚したが、キースはこの男が大嫌いだった。

キースはますます音楽に傾倒していった。

母親と離れ、ブライアンやミックと親しくなったとき、キースは壊れかかった自分の家庭に代わる何かが必要だったのだ。

バンド名はマディ・ウォーターズの「Rollin’ Stone」に敬意を表して、ブライアンがローリング・ストーンズと命名した。

1962年10月から12月まで、キースとブライアンは日に8時間以上、レコードを聴きながら、それを楽器を持って再現させようとしていた。これは想像以上に厳しい作業だった。

彼らが手本にしていたギタリストたち(ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズ、エルモア・ジェームス、チャック・ベリー)は、2人が聞いたこともない方法で演奏していたからだ。

「ローリング・ストーンズは基本的にはギターが二本入ったバンドだ。それが俺たちの出発点なんだ。俺たちはしょっちゅう座り込んでは一緒にギターを弾いていたもんだ。いちばん安上がりで体も暖まったしね」

イアン・スチュワートは言う。
「二人がやろうとしていたのは、ほかのバンドではやっていなかった。ギターを二本同時に演奏することだった。一本が主旋律を弾いて、もう一本がリズムを刻むのではなくて、キースとブライアンは二人がもっと一体になって、交互にリードをとって、ソロも交代でやって、渾然一体にしようとしていたんだ」

……このブライアンとキースが始めたギターの演奏スタイルが、今のストーンズにもつながっているというのが、感動です。

部屋を暖めるためのガスヒーターに入れる硬貨もないときには、二人は終日ベッドに潜り込んでいた。

キースの人生でブライアンは実に大きな存在で、この魂の友と一緒でないときのキースの姿など思い浮かべようもなかった。

二人は何時間もにらめっこをして時間をつぶした。

「ブライアンは実ににらめっこが得意だった。特にたまらなかったのが、頬を思い切り下に引っ張って、鼻の穴に指を突っ込んでぐいと押し上げた表情だ。『ナンカーの真似』なんだと」

この”ナンカーの真似”、写真でも残っているあたり、ブライアンのお茶目っぷりがわかります。

しかし、こんなふうにキースとブライアンが親しくなっていくのを、ミックはおもしろく思ってはいなかった。

イアン・スチュアートは、ミックが、
「ブライアンのことをいささか毒を含んだ目つきで見てたのは気付いていたよ」
と言う。

一方ブライアンは、ブルース・インコーポレイティッドでしょっちゅう歌っていて、ストーンズの練習をさぼりがちなミックが、自分たちを見捨てるつもりなんじゃないかと思い込んでいた。

ブライアンとキースは、リズム・アンド・ブルースじゃ話にならないという結論に達し、自分たちも曲を作ろうと決めた。

「できたのは、何だか20年代のミュージカルみたいな、つまりは奇妙キテレツな曲だった。ブライアンはとても一緒に曲作りできる相手じゃなかった。何でも自分が優位に立ちたがるんだ。これじゃアドバイスなんてできっこない。そのくせコードを変えなくちゃならない箇所でも、その決断が出来ないんだ。そして、歌うのはミックじゃなくては、ときた。ミックに頼めるわけないじゃないか。あのころのミックは12小節のブルースしか歌えなかったんだから」

こうした鬱積したプレッシャーの中で、キースとブライアンはサディスティックになっていく。

「何者も俺に影響を与えることはできない」と言っているが、キースは本人が見せたいと思っていたよりも、ずっと屈折した人間だった。

筆跡による性格分析では、
「まわりから影響を受けやすい。他人の意見を重要視しすぎる。快活で、一般的社会規範には反抗的、夢想の世界に生きてはいるが、常に不安を抱いており、現実逃避の傾向がある。仲間に支えられており、仲間うちにいると安心感を得られる。グループへの帰属意識が彼を守っているのである」
となるそうだ。

キースとブライアンの攻撃は、ブライアンの昔からの友だち、リチャード・ハットレルに向けられ、彼はパチパチ火花を飛ばす電線を持ったブライアンに追い掛け回され、雪の中に追い出されることになる。

↑このエピソードはいくつかの本に書かれていて、これだけを読むとリチャード・ハットレルはさぞかしブライアンを恨んだことだろうと思えるのですが、ドラッグ事件後、ブライアンが大分弱っていたときに、2人は再会し、抱き合ったというエピソードもあるんですね。

ブライアンは「会えて嬉しい」と言っていたと。

どこまでが本当のことなのかわかりませんが、リチャード・ハットレルへの仕打ちは、鬱積したストレス生活の中での度を越えた悪ふざけだったのだと、思いたいです。

厳寒の冬には、ブライアン、キース、ミックは狭い一つのベッドに潜り込んだ。

ブライアン曰く、
「あまりの狭苦しさに息をするのも順繰りにしなくちゃならないほどだった」。

リチャード・ハットレルが去った後、いかれた変わり者のジミー・フェルジという若い印刷工がやってきた。
(ナンカー・フェルジの名前の元になった人ですね)

この頃、ミックは半年間に渡り女装のオカマになっていた。

青いリネンの部屋着を着て、手をひらひらさせて「いやん、やめて!」とか言って、アパートをうろついていたという。

「ブライアンと俺はすぐにめっぽうたくましい男を演じて、ミックを笑い飛ばしてやった。やつの倒錯の世界は今でも続いているけどね」

1965年から1967年まで、ブライアンのガールフレンドであったアニタ・パレンバーグは、この頃、ミックとブライアンには性的な関わりがあったのだと証言する。
「ブライアンは話し方、言葉の選び方にかけては完璧主義者だったわ。自分が話しているときには相手の注意を引きつけ、相手を魅了しようとした。それからあの身のこなしだとか、髪型だとかが、間違いなく人の心をとらえた。ストーンズの面々もはまってしまったわけ。たぶんキースは皮肉な見方をしてたんだろうけど、ミックは完全にひきつけられていた。ブライアンがミックとの間のバリアを壊してしまい、ミックは絶対にそれを許さなかった。ブライアンのほうが二人より信じられないくらい大人だったわ。いつも精力的に動いて、みんなをまとめあげ、その気にさせたのはブライアンだった。ブライアンは初期の頃『いいか、絶対成功してみせる!』って言ってた。そして自分でコントロールできるようにいつも手綱を握って、実際にコントロールもしていたわ。そして彼が正しかったってわかると、つまり実際に成功してみると、みんなはブライアンの功績を認めるどころか、彼を憎んだ。あのときからブライアンの運命は決まっていたと思う。彼らは、つまりミックとキースは復讐をしたの。血の復讐をしたのよ」

ううううーん、アニタはキースともミックとも関係があった女性なので、彼らのことはよくわかっているのかもしれませんが、ストーンズ初期の頃は、まだ出会ってないですよね。

この話の半分は、ブライアンから聞いた話なのでしょうか。

正しい部分もあるのかもしれませんが、首を傾げてしまう部分も。

だって何故、ブライアンはミックとキースに血の復讐をされなくちゃならなかったのでしょう?

また性的な絆があったのは、ブライアンとミックだけではないという話もある。

ジョン・レノンが初めて、ミックとキースをエディス・グローヴに訪ねたとき、二人は一緒のベッドの中にいた。

ジョンはポールに、
「あの二人はそうなのかな? どう思う?」
と報告し、ポールは、
「答えは藪の中だろうね」
と答えた。

ブライアンは依然としてストーンズのリーダーだったが、ミックの反抗的な様子を見ていて、キースも彼に疑問を抱くようになる。

「やつはある意味では素晴らしい男だったけれど、またある意味では最低の人間だった」

……抽象的過ぎて、わからないのですが、ブライアンはどういう意味で最低だったのでしょうか??

キースとミックのパートナーシップが固まるにつれ、二人は有力な人物に取り入って、その力を享受しつくし、最後には捨ててしまうというパターンを繰り返していった。

イーリング・クラブに初めて行ったときにはアレクシスを「親分」と言って敬ったが、三週間もしないうちに嘲りの対象としていた。

ブライアンについても、今まで出会った最高の人物と言っておきながら、一年後には彼をおちょくるようになっていた。

ようやくありついたロンドン一のクラブであるマーキーの仕事も、彼らはすぐに失ってしまった。

酒癖の悪いシリル・デイヴィスにからまれ、キースはそれを楽しんでいる様子のクラブのオーナーの頭めがけてギターを振り下ろしたのだ。

命中はしなかったものの、ストーンズはしばらくクラブの出入りを禁止されてしまう。

凍りつくような1962年の冬、エディス・グローヴは絶望の季節を迎えていた。

ひどい状態の部屋で練習をし、更に汚れて、外まで臭うようになり、ドアに鍵をかけて締め切っていた。

ある晩、キースが酔っ払って帰ってきて、中に入るため、窓ガラスを割った。

割れたガラスはそのままになっていたため、それ以降、ロンドンの寒さが一層しみこんできた。

キースはまた、ブライアンの忠実なる中古のレコード・プレイヤーも壊してしまった。

リード線を湿っぽいソケットに差し込んで本体につないだら爆発してしまったのだが、ブライアンに真相を伝えるつもりはなく、ほかの備品と同じくぶっ壊れちまったよ、と報告しただけだった。

バンドにとって一番の問題は、まともなドラマーとベーシストがいないことだった。

……そして、チャーリーとビルが登場するわけですが、またすっかり長くなりましたので、続きは後日。

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