1969年7月3日(正確には2日の深夜)にブライアンが亡くなってから40年が経った。
その想いをこめて、お花をいけました。
私がブライアンの存在を初めて知ったのは、2006年8月に日本で公開された映画「ストーンズから消えた男」を観たときだった。
それまでストーンズに興味もなかった、ミック・ジャガーの名前は聞いたことがあっても、ミック・ジャガーがストーンズのメンバーだということすら知らなかった。
もちろん他のメンバーについても、全く知らなかった。
そんな私が、他の映画を観にいったときに、この映画の予告を見て、
「この映画、観たい!」
と何故か強く思い、観にいった。
ブライアンのことも、その背景も何も知らないのに、観ながら泣いて、映画館を出たその足でCDショップに行き、ブライアン(ストーンズ)在籍時のアルバムを購入。
その後、ブライアンのDVDや本を読んだりしているうちに、どんどんはまっていった。
飽きっぽい私のはずなのに、飽きるどころか、ブライアンに関しては、知れば知るほど興味が増すばかりだった。
ブライアン本人のことのみならず、ブライアンが興味を持っていたこと、ブライアンの周りにいた人たちのことまで興味を持つようになった。
ブライアンを知らなければ絶対興味を持たなかったであろうことに触れているとき、
「なんだか、ブライアンに勉強させられてるみたい」
なんて思ったりする。
こんなに惹かれた理由として、ブライアンのことを知るうちに、
「この人はすごく誤解されている」
と感じたというのがあった。
ブライアンについての証言で多かったのは、
「ドラッグと女とアルコールと暴力漬け」
で、
「早死にして当たり前」
みたいなものだった。
でも私は思ったのだ。
「本当に、この人はそんなことだけの人? ――違う、彼はものすごく誤解されている」
って。
そして続けて思った。
「誤解されているとしても、ブライアンはもう自分の口で”それは誤解だ”と説明することが出来ない。
でも、私は生きていて、書いたり話したりすることができる。
よーし、自分の全感受性を駆使して、この人を理解しよう。そして、それを書いていこう。私がブログで書いたって、誰も読んでくれないかもしれないけれど、それでも書くんだ!」
と使命感のようなものを感じたのを覚えている。
今もその使命感のような感覚は消えておらず、ブライアンの本当の姿を理解できているかはわからないけれど、知ったばかりの頃よりは、ブライアンについてわかってきたような気がしている。(あくまでも”気がしている”)
ブライアンを知ってから間もない頃、私はこんなふうに書いている。
と問われて、ブライアンはこたえられなかったという。
ブライアンはなにを求め、どこに向かい、本当はなにをしたかったのだろう。
音楽が好きだった。
才能もあった。
その世界に入り、有名になりたいと思い、それを実現した。
周りの人たちからはチヤホヤされ、女の子にはモテ放題。
お金も得ることが出来た。
望んでいることは全て手に入れたかのように思える。
でも、彼の心は空虚だったのだ。
だって、彼は本当のものをつかんだ実感を感じられていなかったから。
彼がつかんだと思ったものは、みんな儚く彼の手の中からすべり落ちてしまったかのように感じていたから。
音を奏でることが好きだったんでしょう?
その音で伝えたいものがあったんでしょう?
音楽を通して、コミュニケーションをとることが心地よかったんでしょう?
あなたがローリング・ストーンズの一員だからといって近付いてくる人々じゃなくて、欠点だらけのあなただとしても受け入れてくれる愛情が欲しかったんでしょう?
人からどう思われるかなんて、関係なかったんだよ。
人々は無責任に非難したり賞賛したりするんだから。
大切なのは、自分がどう思うかだったんだよ。
見かけ倒しのものではなくて、本物と偽者を見極める目を持つべきだったんだ。
その気になれば、きっと出来たことだと思う。
そして彼は中身がある本物だってつかんでいたのだと思う。
ただ気付かなかっただけ。失ってしまったものに執着してしまっていただけだ。
……なんていうか、えらそうというか、わかったようなつもりになってるっていうか、熱いっていうか;
最初の頃の記述は、今、私が感じていることと食い違っていることも多い。
少しずつ、本当のブライアンを理解できているのならいいな、と思う。
さて、そんなこんなで(どんなこんな?)、
「ブライアン没後40年の会」に参加してきま~す。
ブライアンゆかりの曲を自分なりに編集したCDを持っていきますので、欲しい方にはプレゼントします♪
40年経っても尚、ブライアンを思って集まってくれる人たちがいるなんて、素晴らしいことですね。
よかったねブライアン^^♪
コメント
愛すべきロクデナシ、ブライアン
遠い極東の地にも、そのスピリットは確実に伝わってるよ
ブライアンの誤解という部分にピンと来たのでコメントさせていただきます。
ブライアンは映画の中で、「ビートルズになる気はない」と言っていますよね
しかしブライアンは生前、「俺はビートルズに入りたいんだ」と言っていたそうです。恐らく、ストーンズで無視されたりした分、ビートルズとのレコーディングが暖かいものに見えたのでしょう
きっとなんだかんだで仲間意識の強いビートルズが羨ましかったんだと思います。
初めてビートルズがストーンズのライブを見に来た時、サイン入りプロマイドをもらい、壁に飾ったのもブライアンでした。ジョージはストーンズをデッカに推薦し、ブライアンとも仲が良かったですよね。こんなふうに慕っていたビートルズを、音楽性が違うとはいえ、あんなふうに吐き捨てるでしょうか?
ブライアンの行いには信憑性は定かではありませんが酷い内容のもたくさんあります(ミックジャガーの真実参照)映画でもあんな性格ですが、すぐ近くでドラムを叩いていて親交も深かったチャーリーは、「彼は本当に良いやつでした」と言っています。
二面性があったのかもしれません。しかし彼をよく知らない人物や表面的な部分しか見てない人の意見ばかりがあまりにも大きくとりあげられ、肥大しているようにしか思えません。
Tさん。
コメントありがとうございます。
そうですね、国境も越えて、年月も越えて、ブライアンのスピリットは今も伝わっていると思います。
”ブライアンの誤解”について、コメントありがとうございます。
最初に映画館で観た時には、ブライアンのことをまるで何にも知らなかったので、違和感もなかったのですが、ある程度ブライアンを知ってから観ると、あの映画は違和感がものすごくあります。
ブライアンはビートルズのことも認めていたと思うし、実際にメンバーとも親交があったので、表面的にはライバルのように扱われていても、吐き捨てるようなあの台詞は……、なんか違うと思います。
あと前にも書きましたが、アニタと付き合っていたときのブライアンは、ひたすら快楽的で女遊びにかまけていたように描かれていましたが、実際には一晩かけて曲を書いては、翌朝捨てたりしていたというアニタの証言もありますよね。
あの映画が真実の姿だと思うのは、ブライアンが気の毒だと思います。
やはりブライアンは誤解されている、と思わざるを得ません。
基本的には、内に熱いものを秘めながらも、物静かで穏やかな人だったのではないかなと思います。
やんちゃな部分もあったのだと思いますが、攻撃的になってしまうのは、持病の癲癇の症状”性格変化”のせいだったのかもしれませんよね。