ブライアンは内気?

ブライアンは内気だということを自分でも気にしていた、と書かれていたりするけれど、本当にブライアンは内気だったのかな、と思っていた。

なぜなら、ブライアンはストーンズの中で一番社交的だった、と書かれているのをよく目にするので。

例えば、インタビューの際のブライアンの紹介。

「彼は、かなり外交的で、うれしい事や、おかしい事が起こると、とても元気になります。非常に友好的で、おそらく、グループの中で一番はきはきしていると言えるでしょう」

以前、このブログでも書いた「ザ・ローリング・ストーンズ物語」という本の中では、
「ストーンズの全メンバーの中で、この当時、一番交際範囲が広く顔が利いたのは、ブライアン・ジョーンズだっただろうか」
と書かれているし、
またカメラマンのベンツ・レイは、写真集の中で、
「私はバンドのひょうきん者二人に目をつけると、すぐに仲良しになった。チャーリーとブライアンだ」
と語っている。

しかし同じ写真集(in the beginning)の中には、次の様にも書かれている。

「ブライアンは5人のストーンズの中では一番つきあいやすいが、一番わかりにくい人間だと思う。彼は(それが自分の背負っている一番重い十字架であると彼自身も認めている)自分の内気さを乗り越えた時、人間に対して持っている不信感を抑えた時、心を開き始める。自分の地位、名声、富にもかかわらず、心の底では自分に自信がないのだ。『演奏している時以外に本当の自分を表に出すことはないよ。いいコンサートだと、その後何日も元気でいられるけど、ひどいコンサートだとがっくり落ち込むんだ。生きてることを実感するのは、演奏している時さ。自分を信じてるんだ』 ブライアンは一度話し出したら、自分の才能に自信を持てないこと、将来への不安を何時間でも話している。それは金とは関係ない。自分の中の男らしさに疑問を持っているのだ。彼は誰と一緒に暮らし、何をするつもりなのだろう?」
1965年5月 ベンツ・レイ

ブライアンは自分でそれを「重い十字架」と感じるほどに、内気だったのだろうか。

残されたインタビューなどの中から、多少「もうちょっと自分をアピールすればいいのに」と感じるところはあるけれど。

でも、もし仮にそうだったとしても、少しくらいコンプレックスがあったほうが人間的で親しみやすいと思うから、そんなに気に病む必要はなかったのに、と思ったりしていた。

しかし先日、60年代のストーンズに関するコラムを読んで、ブライアンが気にしていた、その心理が垣間見えたような気がした。

ミュージシャンである彼には、やはり、もう少し自分をアピールできる強さが必要だったのだろう。

控えめな性格がネックとなり、今ひとつ、正当な評価を得られなかったのかもしれない。

彼自身が、それを一番歯がゆく思っていたのではないだろうか。

ブライアンが気にしていた内気さというのは、特に音楽を表現する上での内気さという意味だったのだ。

以前にも書きましたが、アーティストは、どれだけ自分の世界を信じていられるか、が大切だと思うので、自信が持てなかったブライアンには、まわりから認められ評価されること、そしてそのために自分の音楽をアピールする強さが必要だったのだろう。

以下に、大鷹俊一さん(音楽評論家)が書かれた60年代のストーンズについてのコラムの一部(主にブライアンについて書かれている部分)を紹介します。

キースは、当時を「あのころみんな音楽のとりこになってたけど、やっぱりまだ趣味の段階だった。でも、ブライアンだけは死ぬほど真剣だったんだ」とふり返っている。

いろいろなところで書かれているように、デビュー前後、一番ストーンズを本物のバンドにするために熱心だったのはブライアンだったのだろう。

ビルは著書の中で、「ストーンズこそ、ブライアンの真の子供だった」と書いている。

たとえばごく初期のストーンズは、マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムの見境のなさもあってポップ・チャート・バンドのような方向へさえ走らされかねない部分もあったが、あくまでもブルース、R&B的なものに固執したのは、リーダー的存在だったブライアンの力が大きかったろう。そうしたなかから「リトル・レッド・ルースター」のように、ヴォーカルと対等のスリルを持ったボトルネック・ギターのプレイがフィーチャーされたヒットが生まれたし、何故かオクラ入りしてしまったが、64年のチェス・レコーディングの「ステュウド・アンド・キーフド(別名ブライアンズ・ブルース)」のように正統的なブルース・バンドとしての世界も確立していた。

おおっ、先日私が「BRIAN’S BLUES(別名:STEWD&KEEFED)」ってなんだろう?って疑問に思っていた答えがここに!
”何故かお蔵入りしてしまった曲”だったんですね。

そしてコラムは、ブライアンの性格についても触れている。

そんな彼の役割を見えにくくしているのは、たぶんにその性格からきているようだ。アレクシス(コーナー)の語ったような攻撃性は、少なくともレコード上では、とても控え目だ。60年代中期のヒット曲でもシタールやダルシマー、メロトロン、マリンバ、フルートなど多彩な楽器でサウンドを色づけ、自己主張も聞かせているけれど、そのどれもがどこか線の細さと押しの弱いものに聞こえてならない。

むむ、確かに。

ブライアンの奏でる音は、とても魅力的だけれども、壊れそうなほどの繊細さを感じさせるものがある。
それがブライアンの音のステキなところなのだけど。

ミックやキースが、大地から根をはって伸びる部分だとしたらブライアンが描き出したのは、しなやかに繁る枝葉の部分だ。しかも同時代のグループの多くの場合、そうした音楽的な異質の要素を持ち込むのは、せいぜいプロデューサーたちの仕事だったのである。
また彼が音楽的なリーダーシップを失っても単なるリズム・ギターというポジションに甘んじなかったという点も重要だ。「ザ・ラスト・タイム」は印象的なリフがヴォーカルや間奏のキースのソロに絡んでいくからあれほど魅力的なのだし、対立したり調和したりしながら自然にバンド全体のうねりを作っていくギター・バンドとしてのストーンズの在り方が、このころに形作られていったのである。
ただ前にも書いたように、それを強烈にアピールする強さを彼は持っていなかった。幼いころから喘息を患っていたことによる肉体的な弱さゆえか、ガラス細工の繊細な神経はドラッグという媒介を得て、より内面的な世界に拡大していく。

こうして言われてみると、ブライアンにはプロデューサー的な資質もあったのかもしれません。

ストーンズを脱退してから、コッチフォードに訪ねてきたアレクシス・コーナーに、”(アレクシスの)娘さんをプロデュースしたい”という話をしていたというのを、どこかで読んだ。

ブライアンがプロデューサーになって作り出す音……、聴いてみたかった……。

大鷹さんは、

ストーンズ本を読むと、とくに後期の彼はドラッグに溺れ、ジェラシーと邪推に満ちたとてもイヤな人間にしか描かれていないようなものに出会うことも多いが、それはこの時期の姿だけを一面的、かつスキャンダラスにとらえたものにすぎない。

とも書いている。

しかし、ストーンズというグループに対する情熱こそ失せたものの、彼自身の創造への意欲が無くなっていたわけじゃない。
ともかくブライアンが、よく言われるようにあらゆる創作意欲を失ったわけじゃなく、ストーンズという枠組みを超えて自分なりの道を歩もうとしていたことだけは確かだと思う。

そうなのだ、忘れてはいけないのは、確かに彼はドラッグ漬けになっていた時期があったかもしれない、まともにレコーディングできる状態ではなかった時期もあったかもしれない、でも、最後の最後まで、決して音楽に対する情熱は失ってはいなかったということ

ストーンズを脱退しても、その情熱は色褪せることなく、これからのバンド作りや音楽作りについて、きっと最期の時まで考えていたのだ。

私は、ブライアンは音楽であり、音楽はブライアンであったのではないかと思っている。

それほど、ブライアンにとって音楽というものは、大切なものだったのではないかと。

彼の芯にあって、彼を支えていたのは、女の子でもドラッグでもなく、音楽だったのではないかと。

現に、↑で引用したブライアンの言葉には『演奏している時以外に本当の自分を表に出すことはない』とある。

彼はなにをやっても、なにを感じても、結局は音楽につながっていったのではないだろうか。

アーティストってそういうところがあると思うから。

画家だったら、感じたこと、見たことが絵となって表現されるように、ブライアンだったら、なにを見てもなにを感じても、それが全て音につながっていったのだと思う。

彼は最後まで決して廃人なんかになってはいなかった。

音楽がある限り、彼は生きていけたに違いない。

彼がもう生きられなかった人間だなんて、私は決して思わない。

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※太字部分は、引用です。

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