「ジンバブエへの旅(ホテルにて)」の続きです。
現地の駄菓子らしい。
旅の3日目、唯一の丸1日フリータイム。
現地のホンモノのムビラ演奏を聴く機会に恵まれる。
ぎゅうぎゅうのバスに揺られて着いた場所。
あらためて写真を見ると、道も狭いし、広大なアフリカ大陸というイメージではないなと思ったりもする。
空は大きいけれど。
昼の月
玄関あたり
私は今回の旅の間、頭の中が真っ白だったように思う。
日本ほど安全な国はない、だからその感覚で過ごしていてはいけない、
なるべく目立たないように、派手な行動は慎むようにしなくてはいけない、
むやみにヘラヘラ愛想を振りまかないほうがいい、
その場の状況を受け入れられるよう、先入観を持たないようにしなくてはいけない。
なんで決済したはずのホテル代が支払われていないんだろう?
なんで目の前のお店に買い物に行くだけで危険を感じなくちゃいけないんだろう?
なんで買い物の支払いをするときにお財布を見せてはいけないんだろう?
当たり前のことなんて何もなくて、「こういうものなんだ」と納得するしかない。
そのために、頭の中、真っ白にしておいて、その場その場で状況を受け入れていく心構えでいなくてはいけない。
大人も子供もたくさんの人と会ったけれど、言葉がわからないというだけではなく、私はただただ呆然としていたと思う。
いつもと違う環境に自分がいるということに、ふわふわしながら、よくわからない状況に受け身なだけでいたと思う。
受け身でいるから、いろいろな風景や空気を感じ取ったりはしていたのでしょうが、頭の中が真っ白なものだからそれを自分の中で処理できない。
こういう状況だから、私はこうするべき、などの思考がまるで出てこない。
それどころか、この状況を私はこのように感じている、というような感想すら出てこない。
見ているもの、聞いているものがみんな、入ってきては、私の中で形を成さずに漂っているだけという感じ。
少しずつ日が暮れていく
夜空の月
なので、夜になって、ムビラの演奏が始まって、
今、あらためて聴いてみると(映像が何故か暗くしか撮れなかったのですが)、素晴らしいと思えるのですが、
だから本当なら、生で聴きながら、もっともっともっともっと、
「すごーい」
「すごーい」
「すごーい」
と感激できたはずなのですが、その時の私は真っ白で、そういう場にいられる幸せを感じることもできず、
その上、途中で眠くなり寝てしまい、朝になって目覚めてから自己嫌悪に陥るということになってしまった。
何故、この時の私には感動する力までなくなっていたのだろう。
何故、「素晴らしい演奏を聴けてうれしい」という言葉すらでてこなかったのだろう。
電燈の明かりの中、何故かこんなに暗い映像しか撮れませんでした……
「ジンバブエへの旅(帰国まで)」に続く。