ブライアン・ジョーンズとジミ・ヘンドリックス

ブライアンとジミは、一緒にプレイした音源も残っているし、いい音楽仲間だったのだと思うので、ジミ・ヘンドリックスについて、またブライアンとの関わりについて、少し調べてみた。

ジョニー・アレン・ヘンドリックス(ジミ・ヘンドリックス)、1942年11月27日、アメリカ、ワシントン州シアトルで生まれる。

有名になるきっかけは、1966年ニューヨークのクラブ・チーターで演奏していた彼に、リンダ・キースが目をとめたこと。

名前は知っていたけれど、今回初めてDVD(a film about JIMI HENDRIX)で実際の彼女を見た。

リンダ・キースといえば、ストーンズのキース・リチャーズの恋人だったこともあり、後にブライアンとも付き合っていたという女性。

しかし、なんていうか、このリンダ・キースにしても、マリアンヌにしても、アニタにしても、一人の女性がストーンズの複数のメンバーと関係を持っているんですね。

狭いところで、ごちゃごちゃしているというか。

人気者でモテていただろうに、実際に付き合える女性との出会いは、それほどなかったということなのかもしれません。

リンダ・キースが語る、最初にジミのステージを見せたがジミの良さがわからなかったプロデューサーというのは、アンドリュー(オールダム)でしょうか。

他のDVDでは、アンドリューはジミに興味を持たなかったが、(一緒に見に行った?)ブライアンは興味を持ったと証言されている。

その後、リンダはチャス・チャンドラー(アニマルズ)にジミを紹介する。

カフェ・ホワ?で演奏するジミを見て、気に入ったチャンドラーは、彼をイギリスに連れて行こうと考える。
「エリック・クラプトンに会わせてあげる」という誘い文句に、ジミは心を動かされたという。

DVDに登場する若き日のミック・ジャガーは、
「アメリカでは彼(ジミ)は認められなかったが、渡英し、俺たちと出会い、ジミは初めてのレコードを発表した」
と語っている。

しかし、ストーンズの中で一番ジミと親しかったのはブライアンであったと思う。

渡英後、間もないジミのイギリスでの人脈を築くのを助けたり、アメリカへの逆上陸となった1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルでは、観客にジミを紹介する役も買って出ている。

また、実現はしなかったが、エリック・クラプトンと組ませる計画もしていたという。

ジミから影響を受けていないギタリストはいないといわれるほどですが、反対にジミが大きな影響を受けたミュージシャンとして、山川健一さん(作家)は、ボブ・ディラン、マイルス・デイヴィス、ブライアン・ジョーンズの名前をあげている。

ジミはファッション・センスも独特な素晴らしいものを持っている。

モンタレー・ポップ・フェスティバルの衣装もタダモノではないでしょう。

私は60年代後半のブライアンのファッションの傾向は、当時付き合い始めたアニタの影響かと勝手に思っていましたが、そうではなくて、ジミの影響だったのかもしれません。時代的なものもあったのかもしれませんが。
それとも、ブライアンがジミにも影響を与えた?

ブライアンから、ミックたちの自分に対する仕打ちを聞かされていたジミは、ミックとマリアンヌが一緒に現れたとき、2人の間に割り込んで座り、挑発したそうだ。

いろいろな証言を見たり聞いたりしていたら、ジミとブライアンが気が合ったというのもわかる気がした。

彼ら、似ていません?

攻撃的に見えて、実はものすごくデリケートなあたりとか。

自己顕示欲が強い反面、自己防衛が強いところとか、内気ゆえか、まわりに集まってくる悪い連中を遠ざけることが出来なかったところとか。

ジミがボブ・ディランを崇拝していたというところも、ブライアンと共通している。

「女にだらしないイメージのある人ですが、ほんとうは古風なロマンチストじゃないでしょうか」
というのは、ピーター・バラカンさん(ブロードキャスター)の話である。

後にポール・マッカートニーと結婚するリンダ・イーストマン(写真家、98年逝去)は、ジミと親友と呼べる間柄になった。

リンダの知っているジミは、
「デリケートで、涙もろく、歯でギターを弾くようなギミックを嫌い、でもそれをやめたらみんな離れていくんじゃないかと心配し、いつも不安を抱えている人だった」
そうだ。

ブライアンもジミも共に、とにかく音楽が好きで、多くの人に自分の演奏を聴いてもらいたかった。

ところが夢が実現して、有名になって女の子にもモテて楽しかったのは最初のうちだけで、だんだんと自分が思っていたのとは違う方向に進んでいってしまっていることに気づく。

好きな音楽をやりたかっただけなのに、お金儲けがしたかったわけじゃないのに、商業路線にのってしまうと、儲けを考えないわけにはいかなくなる。

自分が考えなくても、周囲の人たちが勝手に動いている。

音楽とお金儲けを結びつけて考えなかった彼らは、話が合ったでしょう。

どんな話をしていたのでしょう?
対談でも残っていればいいのに。

余談ですが、ジミの父親アレン(アル)は1966年に日本人女性と再婚している。

ジミはそのことをとても喜び、実家に立ち寄るたびに日本食をおいしそうに食べ、ぜひ日本に行って日本の文化にもふれてみたいと語っていたという。(『エスクァイア日本版』)

1970年9月18日、ジミは謎の死を遂げる。

ロンドンのサマルカンド・ホテルでこん睡状態になり、病院に運ばれる途中、死亡したのだ。

死因は窒息死。睡眠薬中毒により嘔吐物を喉に詰まらせたための事故と言われている。

体内からは大量のワインも検出された。

当時のジミの最も身近な恋人で、第一発見者のモニカ・ダネマンは、救急車を待つ間のジミは、脈拍も呼吸も正常だったと証言している。ただ、起こそうとしても目を覚まさなかったと。

しかし彼女はインタビューごとに違う証言をしていて、救急車が到着したときには、既にジミは亡くなっていたという話もある。

その後(1995年)、モニカ・ダネマンも亡くなってしまった。

他殺説を強調する人もいて、ワインによる溺死である、という証言もある。

それほど、体内に残されていたワインの量が異常に多かったのだそうだ。

「謎の死」とか「溺死」とか、考えるだけで、背筋が寒くなる。

なにも、こんなところまで共通していなくてもいいだろうに。

最後に、ジミがブライアンが亡くなった後、追悼の意を込めて曲を作ったという話があるのですが、見つけられません。

本当にあるのでしょうか。
あれば、ぜひ聴いてみたいのですが。

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コメント

  1. ジョニー より:

    ブライアンを追悼した曲はLOVERSという曲です。

  2. るか。 より:

    ありがとうございます!
    一時期、探し回っていたんです。
    全然、見つけられなくて;
    今日、ジミ・ヘンドリックスの新しく発売された本をパラパラと立ち読み(買えって^^;)していたら、ブライアンの死後、「”Lover Man”をブライアンに捧げて演奏した」という記述があり、
    「”Lover Man”は別の曲かと思ってたけど、この曲だったんだ!」と思い、CDを買ってきました。
    「Here He Comes(Lover Man)」
    あらためて、ジミのギター、すごいって思いました……
    ジミの本も(立ち読みじゃなくて)読んでみたいし、映画化されるようなので観てみたいです。