ノエル・レディングの本

花粉はすごいし、その他諸々、春ってあんまり快適ではないです……

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「ジミ・ヘンドリックス」(リアル・エクスペリエンス)、ノエル・レディング著/宝島社、を読んだ。

ノエル・レディングは元々ギタリストだったが、ジミ・ヘンドリックスとミッチ・ミッチェルと組んだ”エクスペリエンス”では、ベース・プレイヤーとなった。

1945年12月25日、ケント州フォークストーンに生まれ、2003年5月に亡くなっている。

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疑惑を払拭するために読んでみた

何故、私がこの本を読んだのか?

もちろん、ブライアンと仲がよかったジミのことを知りたかったというのもあります。

しかーし、もっと大きな理由として、この本が”ノエル・レディング”によって書かれたものだというのがあったのです。(口述筆記ですが)

ノエル・レディング

ノエル・レディングといえば、「ヴォーカル疑惑」で書きましたが、ジミとブライアンが一緒に演奏した「OVER PAINTED SMILES」(リトル・ワン)で、ヴォーカルを担当したのではないかと言われています。

最初はヴォーカルもブライアンだと思っていたので、これを知ったときには大ショックでした。

この時書いたブログによると(というか、ジェネシス・ピー・オリッジによると)この曲は、
ジミ→ギター
ブライアン→シタール
ノエル・レディング→ベースとガイドボーカル
ジョン・レノン→リズムギター(かも?)
なのではないか、ということでした。

以上のことから、ノエル・レディングの本を読めば、この時のレコーディングの様子がわかるのではないかと思ったのです。

ヴォーカルが誰だったのかも判明するかも、と。

ところが。

この本には、そのレコーディングの様子についてはまるで書かれていませんでした。

その日のスケジュール(1068年1月26日)にはただ”レコーディング”と記されているだけ。

うーむ、ノエル・レディングにとって、ブライアンと(もしかしたらジョン・レノンも)一緒に演奏したことは、それほど印象的なことではなかったのでしょうか。

それとも、レコーディング時は顔を合わせなかったのでしょうか。

ブライアンについての記述

この本の中で、ブライアンについて語られているのは、エクスペリエンスがモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演する時のエピソード中でだけです。

いきなり僕はニューヨークまでファースト・クラスで旅することになっていて、おまけに隣にはブライアン・ジョーンズが座ってて、僕のことをかわいがってくれて、しかもブライアンはアウズレー(LSDの高級銘柄)で快適な旅に行ってしまっていた。

そして、出演前に彼らをアメリカに紹介したのがブライアンです。

あの夜(完璧にイッてた)ブライアン・ジョーンズが僕たちをアメリカに紹介してくれた。

その時の映像を見たことがありますが、素面に見えました^^;

では、本当に素面の時のブライアンって、どういう感じなんでしょう??

ノエル・レディングは結構細かくスケジュールを書いているのですが、ブライアンが亡くなった1969年の7月だけはポッカリと抜けています。

この頃、彼自身がエクスペリエンスを脱退したとかしないとか、ゴチャゴチャしていたせいかもしれませんが。

ノエル・レディングはとっても普通の人だった

この本はブライアンのことが書かれているかもと期待したのに、期待はずれに終わり、本のタイトル通り「ジミ・ヘンドリックス」について書かれているのだと思っていたのに、どちらかというとノエル・レディング自身のエピソードで埋められていましたが、つまらなかったかというと……、NO!です。

この本、読んでよかったです。

この本を読んでよかったと思った大きな理由に、ノエル・レディングが、とっても普通の人だから、というのがあります。

「やっぱりミュージシャンは、どこかズレてるなー」
とか、
「変わり者過ぎて、理解できない~」
というような感じではないのです。

音楽が好きな男の子が、ミュージシャンになり、スターになり、その世界でもみくちゃにされ、放り出され、苦しみ、戦い、挫けそうになりながら、それでも前向きに、しかしながら……、などということが、普通の感覚で描かれているのです。

「こんなキャラクターじゃあ、こんな目に遭っても仕方ないよね」
というのではなくて。

普通の人が、普通の感覚で、事態に対処しながら、あたふたしている様子が描かれているのです。

ブライアンも過ごしたのであろう、この時代のこの世界のことを垣間見たように思えました。

女とドラッグとアルコール漬けの60年代

女とドラッグとアルコール。

ノエル・レディングも、その世界で生きていました。

毎日、グルーピーに囲まれ、女の子を選び放題。

楽しみのためにドラッグをやるのではなく、興奮して眠れない、でも眠らなくちゃ仕事に支障があるから眠れるドラッグをやり、そして今度は起きられなくなり、目を覚ますためにドラッグをやる……、仕事をこなすためにドラッグが必要だったのだと、ノエル・レディングは語ります。(確か、キースも同じことを言っていた)

しかし、スターとしてチヤホヤされる夢のような日々に、ノエル・レディングは虚しさを覚えるようになります。

多くの女の子と一夜かぎりの関係を持つことを繰り返すよりも、一人の人と長く付き合うような恋愛がしたい、と思うのです。

ジミのことは、全体を通せば、それほど多くは語られていませんが、概ね好意的に書かれています。

ステージで壊していたギターは、”それ用”のものだったとか。
(これを知って、ホッとしました。だってギタリストにとってギターって、大切な自分の分身のようなものじゃないのかな、それをパフォーマンスでいくつも壊すなんて、どういう神経なんだろうって、ちょっと疑問に思っていたもので)
(マネージャーの)ジェフリーを追い出しさえすれば上手くいくと、よく言っていたとか。

ジミっていうのは、時に暴力的になることがあったとしても、広くて、誰からも愛される心の持ち主だったんだ。個人的な話し合いになればいつでも、まず双方の間の壁を越えようとする前に、質問を繰りかえしては相手の立場を理解しようとしていたよ。それにいつでも冗談や軽口を叩いてて、それには人種的なものも含まれていた。よく黒人が白人について考えている冗談とかも話してくれたし(なかにはかなり際どいものもあった)、僕たち全員が、それをそれ本来のものとして、つまりユーモアとして笑いあった。みんなとはよく一緒に笑いあったものだよ。あの頃のコメディアンにしても、誰彼構わずけなしまくるというユーモアも多かったし、グルーヴィーであることというのは、世の中のことを笑い飛ばせるかどうかということを意味していたんだ。結局、自分は自分でしかないんだから、自分のことも笑い飛ばせないようじゃ、笑えないということにしかならなかったんだよ。

一方、当時のジミとノエルとミッチの仲を、チャス・チャンドラーは「ジミ・ヘンドリックスの伝説」(クリス・ウェルチ著、晶文社)の中で、次のように語っています。

「ジミはミッチのドラムは気に入っていたのですがミッチ自身をあまり好きでなかったんです。ミッチはジミをいらいらさせたのです。ノエルとはうまく付き合っていけたのですがノエルの演奏については批判的でした。愛することと憎むことが入り混じった関係だったんですよ。楽屋でのノエルとジミは、複動のエンジンみたいでした。ジミはひたむきな男、そしてノエルは意志の頑固な男でしたから。たとえばジミとミッチが議論を始めたとするとミッチはすぐに妥協してジミの側についてしまうのです。しかしノエルは、冷たくジミを突き放して決して自分の意見を曲げようとはしませんでした。二、三回、ジミはノエルを殺しそうになるほど怒ったのですが、実際には傷付けようと指一本あげたことさえありませんでした」

チャスはジミとブライアンの仲については、

「(モンタレーのとき)ブライアン・ジョーンズがステージでジミを紹介するために、特別にイギリスからやってきてくれました。ジミはイギリスに来てまもなくブライアンと知り合ってそれ以来仲良く付き合っていたんです。二人でよくエレファント・クラブへ遊びに行っていましたよ。ジミに最初から夢中になって褒めちぎっていたのもブライアンだったんです」

と語っています。

売れっ子ミュージシャンが転落していく

1969年11月9日、エクスペリエンスとしての活動もしなくなっていたノエル・レディングは、「子供ができた」と言ってきたスザンヌという女性と結婚をします。

ミュージシャンとしての生活も好きだけど、家庭生活に憧れていたノエルは、これからは奥さんがしっかりと家庭を作ってくれるものだと思っていたのに、彼女はそれを拒否し、不満ばかり言い、ノエルを責め、挙句の果てに「おなかの子供は、あなたの子供じゃない」と言って出て行ってしまいます。一緒に住んだのは、わずか10日間。

もしかしてスザンヌの言い分を聞けば、彼女の正当性がわかるのかもしれませんが、この本でノエルの言い分を読むかぎりでは、スザンヌはかなり自分勝手な女性のように書かれています。

離婚訴訟の際、スザンヌが損害賠償を請求してきたが、この当時、収入がなかったノエルにはそのお金を捻出できなかった、子供には一度も会えなかった、等々。

印税を全くもらっていなかったことに気付いたノエルは弁護士を雇うことにします。

稼いでいるはずのお金がどこかに消えていってしまっていることに、ジミも悩んでいました。

マネージャーだったジェフリーのことを、きっと殺したかったに違いない、とノエルは語っています。

ジミの死

1970年9月18日、ジミ・ヘンドリックスは亡くなります。

ノエルはニューヨークのホテルの一室でぐったりと寝ているときに、ジミの死を知らせる電話を受けます。

”27歳で人間が死んでたまるか”と、ノエルはショックのあまり、放心状態になります。

カルテは残されていず、救急車の乗組員も、病院のスタッフも、病理学士も、誰も証言には答えていない。

ノエルは自殺、他殺、事故のどの可能性もあるといいながら、当時その後の計画をたくさん持っていたジミが、恋人であるモニカがそばにいるときに、自殺など考えただろうかと分析しています。

また、応急処置に問題があったのかもしれないとか、もっと被害妄想的に考えると、救急車の乗組員が本当に雇われていたスタッフではなくて、以前、袋詰めにされて誘拐されたときのように、誰かに仕組まれたことだったのではないか、などとも言っています。

多くの謎を残しながら、結局、ジミの死は、ドラッグに溺れたミュージシャンがまた一人死んだということで片付けられてしまいます。

エクスペリエンスで一緒に活動していた頃、ジミは、「自分が死んだら、チャンスをモノにできたイギリスで葬られたい」と言っていたそうですが、ジミの遺体は故郷であるシアトルに運ばれます。

葬式は悪夢としか思えず、棺のふたは開けられたままだったが、ノエルは中を見ることが出来ず、ミッチと手をつないで、泣きながら励ましあっていた。

そして、周りを見て驚いたことには、ジミのことなどなんとも思ってなかったような連中が、みなジミの「親友」になり、注目をあびようと競い合っていた。

ジミは死んでしまったけれど、ミッチとノエルは疲れ果てながらもまだ生き残っていて、そして彼らが生き残っているという事実に反感を持つ人たちにたくさん出会うことになった。

ジミの父親、アル・ヘンドリックスはニューヨークまでジミの家財などを取りにいったが、金目のものはほとんど部屋から持ち去られてしまっていた。盗まれたもの(映画やテープや衣服やギター)は、売りに出され続けるということになった。

ノエル・レディングの奮闘

ノエルは細々と音楽活動を続けながら、訴訟を起こし、自分の権利を主張して戦い続けます。

1973年3月5日、やっとジェフリーから証言がとれるという時、ジェフリーが予約していたマジョルカからロンドンに向かうイベリア航空のDC-9型機が空中で他の飛行機と接触事故を起こし、ナント市近郊で大破。遺体は見つからず、乗客は全員死亡したと推定された。

しかし、ジェフリーは死後も何度も目撃されていて、ノエルはどうしてもジェフリーが本当に死んだとは思えないといいます。

こうした争いにも疲れ果て、そのうち毎年恒例のヘンドリックス命日祭が始まり、1980年に初めてノエルは出演します。

ミッチと一緒にステージに上がると、途端にヘンドリックスもどきがぞろぞろわいて出てきて、ノエルはその場を去ることにします。

ジミだってそれなりに苦しんだと思うけど、でも、墓を暴かれて、無理やり復活させられる騒ぎを実際に目の当たりにしなかっただけまだましだったといわざるを得ないよ。悲しいことに、ジミが残した遺産は、音楽的にジミの人生と接点を持った人間にとっては、永久に消えない痛みにしかならなかった。もし、人が死んだあとに意識だけが残るとしたら、これを見てジミはきっと苦悩してのたうちまわっていたはずだよ。

ノエルは本当の文無しになり、しかも何千もの借金を抱えていた。

友達や隣人と物々交換で食料を調達し、庭を掃除してボイラーの燃料に使った。

煙突掃除や、チェインソーを使って大きな切り株を薪にする仕事もやった。代理店業務やプロモーションも手がけてはみたけれど、向いていなかった。

ガチョウや山羊を飼ってみたけれど、屠殺するのがダメで諦めた。

音楽活動を続けながらも、アルコールの摂り過ぎで倒れ、そしてようやく、ただ生き残るのではなくて、自分の人生に対する態度と習慣を問い直す必要があることに気づいた。

ノエル・レディングの死

この本は、ノエルが44歳のときに書かれたもののようです。

2003年に亡くなったということは……、60歳にもなっていないではないですか。

この本以降、ノエル・レディングは心穏やかな人生を送ったのでしょうか。

訳者(高見 展さん)あとがきで、
もしジミが生きていたとしても、ジェフリーがまだ生きていたら、結局ジミはジェフリーに薬漬けにされて、いいように使われ、遅かれ早かれ死んでいたのではないか、と書かれているのを読んでゾッとしました。

怖すぎです。

そして、思いました。

ストーンズが、こんなにも長く活動し続けられているのは、金勘定が出来て、商業路線に上手くのる才があるミックのお陰なんだなって。

若いミュージシャンが、最初から細かい金勘定なんてしていないというのは、当たり前ですが、自分たちの稼ぎが搾取されていると気づいたとき、どう対処するのかが大切なのだと思います。

そのまま黙って身を引くか、戦ってみるものの、結局周りの汚い連中に抑えられてしまうか、それともその連中の上手をいって、反対に抑えつけるか。

ブライアンとミック・ジャガー part11」で、

「おれはいつもこんな言われ方をした。”ミックは計算高く、キースは情熱的だ”ってね。でも、おれはものごとをちゃんとするのに情熱を傾けているんだ。もしおれが細かいことにこだわらなくなったら、組織が雇ったいい加減なやつらが勝手放題するだけさ」とミックは語っている。
ミックがストーンズのビジネス活動全体の管理を引き受ける以外になかった。「マリアンヌとキースとアニタがヘロインに溺れていたことは本当にミックを脅かし、彼を変えた」ヴィクター・ボックリスはそう観察している。「ミックがコントロールする以外なかったんだ。ストーンズが重大な岐路に差しかかっているとき、いちばんの友人たちはまったく頼りにならない。ミックが決断を下さないで、だれがするんだ?」

と書きましたが、この意味が、あらためてよく理解できました。

まあ、ミックのお陰とはいっても、ミックがあまり調子にのりすぎると他のメンバーにガツンとやられていたりするので、彼らは自分たちで絶妙のバランスをとっているのでしょうね。

ミックをメンバーにして、ストーンズを始めたブライアンの判断は間違っていなかったよ、とブライアンに伝えたいです。

なんだかんだいっても、ブライアンが作ったストーンズをずっと守ってくれているのですから。

そして最後に。

ジミとノエルのご冥福をお祈りいたします。(__)

コメント

  1. tama より:

    こんばんは!かな~り前にコメントさせていただいたtamaです。ノエルの伝記、日本でも出版されていたんですね!知らなかったです!私も読んでみようと思います。
    私の愛読書にパメラ・デ・バレスの「I'm With a Band(伝説のグルーピー)」があるのですが、管理人さんも読まれましたか?そこにノエルについての記述がたくさん出てきて、余生はイギリスの農園で暮らしていたそうですね。
    ブライアンについての記述は、そんなにないけど、当時のロックカルチャーを知る上で、とっても参考になった本です。私の大好きな本の一つです☆
    管理人さんの言うとおり、ある程度計算高くて、なんとしても生き延びる術を持っていないと、あの時代をくぐり抜けるのは大変だったんだろうなと思います。ブライアンやジミ、ジャニスたちは純粋すぎて、生きていくのが辛かったんだろうなぁ・・といつも考えちゃいます。

  2. るか。 より:

    tamaさん、こんばんは。
    ノエルの本は読みやすかったです。
    「伝説のグルーピー」は読んでないですー。
    でも面白そうですね。
    見つけたら、ぜひ読んでみます。
    私が読んだ本には、ノエルの晩年のことは書かれていなかったのですが、病気だったのでしょうか?
    そうですね、おっしゃる通り、あの時代のあの世界では、逞しさと頭の良さ(良きブレーン)がないと生き抜くのが難しかったように思います。繊細な人たちには、厳しい時代だったのでしょうね。。。