ブライアンとキース・リチャーズ part14

part13の続きです。

1967年暮れ、ポピュラー音楽のミュージシャンにとって混乱の時期だった。

ビートルズは「Sgt.pepper」で180度の転換をとげ、イギリスのR&Bブームは過ぎ去り、サンフランシスコ・サウンドが広まりつつあった。

いくつものグループが消えていき、ストーンズは自分たちの行く末をめぐって分裂していた。

キースは20年代、30年代のブルースを聴き、新しいギター・テクニックの必然性を感じるようになっていた。

以下、キースの発言。↓
「一躍ポピュラー界のスターにのし上がって以来3,4年間、おれたちはがむしゃらに働きづめだった。しかもその間、休みはせいぜい2週間くらいさ。休暇をとってみて初めて、おれはこれまでレコーディングのやり方や曲のつくり方は覚えたけれど、ステージで自分の演奏に耳を傾けたことが一度もなく、プレイヤーとしてほんとうの意味で成長をしていなかったことに気づいたんだ」

「おれはそれまでの穴埋めとして、自分が最高のアーティストだと思う連中の曲を聴きまくった。そうしていると、気分がすごく落ち着くんだ。20年代、30年代のブルースのレコードを手当たり次第に集めたよ。すると、ひどく変わったチューニングをしていることに気づいたよ」

――えーと、これは1967年末~1968年初め頃のキースの発言だと思います。キースはあらためて、もっとギターのテクニックを磨かなければ、と思ったわけですよね。

そこで思い出したのが、ビルの著書に書かれていたこと。

「彼(ブライアン)は技術を向上させる必要を感じて、1967年3月からギターのレッスンを受け始めた。」

ブライアンにとって、この1967年3月というのは、プライベートではアニタとの別れがありましたが、ミュージシャンとしては初めて手がけた映画のサウンドトラック(「A Degree Of Murder」)が広く賞賛され、充実していた時期でした。

この映画監督のフォルカー・シュレンドルフも「ブライアンの音楽は成功だった。物語に見事にはまってるんだ」と言っています。

個人的に、私も監督の意見に賛成です。

あの映画は「映画作品としてはどうなの?」と疑問符ですが、ブライアンの音楽は映画を引き立てるために大いに貢献しているように思えます。

話は戻りますが、ビルの著書に書いてあった”ブライアンがギターのレッスンを受け始めた”というのを読んで、
ブライアンは既に、優れたギター・プレイヤーじゃなかったのかな? 何故、あらためてレッスンを??
と思っていましたが、キースが感じたようなことと同じようなことをブライアンはキースよりも早く感じていたのかもしれません……
と、書いていて、今更かもしれませんが、ハッと思いつきました。

(本人が望んでいたかは別として)ブライアンが、ストーンズから切られずにいられた方法を。

ギター・プレイヤーとして、キースの唯一無二のパートナーでありつづけること。

キースはストーンズのサウンドは「2本のギターがなくてはダメ」だと、ずっと言い続けています。

そして事実、ずっとストーンズには2人のギター・プレイヤーがいます。

ブライアンが抜けるのなら、ギターはキース一人の演奏で……、とはならないわけです。

キースは、絶対にストーンズ内ではギター・プレイヤーのパートナーを必要としているミュージシャンなのです。

例え、ブライアンとプライベートでいろいろな確執があったとしても、一緒に演奏したら、
「やっぱり、俺のギターのパートナーはブライアンしかいない!」
とキースに思わせることができたら、ブライアンはストーンズ内での居場所を失うことはなかったのではないでしょうか。

ミックはキースと曲作りは一緒にできても、ギターのパートナーにはなれませんから。

頭がいいミックは、もしかしたらそのことに気づいていたかもしれません。

実際、2003年のインタビューで、ミックは次のように話しています。

ブライアンにはどんな才能があったのか、という質問に対して。
ミック「ブライアンは何よりもギター・プレイヤーだったんだ。それに奴は他の楽器でも才能を発揮した。もともとは奴はクラリネットを吹いてたんだ。そうやって管楽器に慣れてたから、ハーモニカもプレイできたわけ」

ブライアンならではのサウンド面での貢献はあったのか、という質問に対して。
ミック「イエス。まず奴は、まだスライド・ギターなんて誰もプレイしていないような時にもうプレイしてたんだ。そして演奏スタイルはエルモア・ジェイムス風で、すごく叙情詩的なタッチをしてた。それがだんだん実験的なことを好むようになってって、ギターには触れなくなっちまったんだ。でもミュージシャンっていうのは、必ず一つ得意な楽器がなきゃ駄目なんだよ。そういう意味で、奴は道楽半分にいろいろ手を出し過ぎたんだ」

――このミックのインタビューを読んだ時、
ブライアンはギターだけじゃなくて、いろいろな楽器でストーンズの音に色づけすることが出来るミュージシャンで、それはミックだって認めていたはずなのに、なんでギター・プレイヤーであることにこだわればよかったなんて言うんだろう?

と思いましたが、ミックはどこかで、

”ブライアンがストーンズ内での居場所を確保したいのなら、第一に(キースのパートナーである)ギター・プレイヤーであること”

ということがわかっていたのかもしれません。

わかっていたなら、ブライアンにアドバイスしてあげればよかったのに、とも思いましたが、当時の彼らはそんなに和やかな雰囲気ではなかったのかもしれないし、そもそもアドバイスされるより前に、ブライアンは自分で気づいていたのかもしれません。

だって、1967年3月、というギターのレッスンを受け始めた時期が……、タイミング的にピッタリです。

アニタがキースの元に走り、このままではキースとの仲も壊れてしまう、とブライアンが危機感を持ったとしたならば。

自分の居場所を確保するためにはギター・プレイヤーという面で、キースのよいパートナーであり続けなければ!とブライアンは思ったのかもしれません。

まだ世に出る前、寒い部屋で行くところもなく、何時間もギターを一緒に演奏していたという思い出を共有しているキースとブライアンですもん。

ギターが結ぶ二人の絆は固かったと思えるのです。

キースはそういう思い出を大切にしそうなタイプに思えますし。

ブライアンに、ギターを弾き続ける体力があったなら――
(まあ、ただ単にストーンズから離れて映画音楽を作って、自分のギター・テクニックをもっと向上させたいと思っただけかもしれませんが)

1968年3月半ば、ストーンズはロンドンのオリンピック・スタジオで、次のアルバム「Beggars Banquet」の制作に取り掛かった。

グループにとっては、まさに正念場の時期だった。

このアルバムが低調に終わってしまったら、ストーンズはロック界のチャンピオンを目指す挑戦者のままで終わってしまう。

アンドリュー・オールダムが去っていった時、面と向かって、
「いろいろ世話になって、感謝しているよ」
と言ったメンバーは一人もいなかった。

アンドリューに代わり、プロデューサーとなったのは、24歳のニューヨーカー、ジミー・ミラーだった。

グループの中で三番目だったブライアンの地位はアニタ・パレンバーグに奪われていた。

ブライアンはレコーディング・セッションにはほとんど立ち会わず、たまに顔を見せたかと思うと、ドラッグやアルコールでふらふらになっていた。

アニタ・パレンバーグは言う。
「一緒に曲を作るのは、キースとミックにとって何より刺激的な体験だったわ。キースは自分が何を訴えようとしているのかわかっていなかったけど、ミックはそれを、みんなにわかるようにちゃんと伝えることができたのよ」

プロデューサーのジミー・ミラーから見ると、このレコードはテンポや演奏の主なパートにいたるまですべてキースの独断で制作されたものとなり、テープレコーダーにアコースティック・サウンドをオーヴァー・ダブするなど毎日違った新しい効果が試みられていた。

イギリスで5月24日、アメリカでは6月1日に「Jumpin’ Jack Flash」がリリースされ、イギリスで1位、アメリカでは3位にチャートされた。

レコード・ジャケットとプロモーション・フィルムには、女装をせずに初めてメーキャップをほどこしたストーンズのメンバーが映っていた。

両性的な彼らの仕草は、その後のロック時代を先取りしたものだった。
(この直前、5月21日にオールナイト・セッションから自分のフラットに戻ったブライアンは、ドラッグ所持で逮捕されます。明らかに”でっち上げ”だったそうで、ブライアンはかなりのショックを受けたと思われます)

「Beggars Banquet」のレコーディング中、アニタは正にストーンズの一員となり、ブライアンに劣らずグループを刺激し、メンバーの創作意欲をかきたてていた。

アニタはキースやミックよりも気性が荒く、マリアンヌよりも自信家だった。

マリアンヌは自分の全てをミックに捧げ、ミックはマリアンヌからありとあらゆるものを吸収し、1970年までにどんどん変貌を遂げていったが、一方キースはその後10年間、アニタに頼りきっていた。

――さて、このアルバムに収録されている「No Expectations」のギターがブライアンなのか違うのかという疑問が未だにあるようですが、前出の2003年のインタビューで、ミックは次のように答えています。

スチール・ギターが素晴らしい曲ですね、という質問に対して。
ミック「あれはブライアンがプレイしてるんだ。あの時は俺たち床に輪になって座って、歌ったりプレイしたりしてた。オープン・マイクでレコーディングしてね。俺が覚えてる限り、本当にやりがいのあることに100%マジで打ち込んでるブライアンを見たのは、あれが最後だったな。あいつがちゃんと他の奴らと一緒にいたんだから。変なことを覚えてるもんだね――でも俺が覚えてる限り、奴がそうしてる姿を見たのはあれが最後だった。あいつ、すべてに興味を失っちまってたからね」

おおお~、この輪になって演奏している感じ、まさに「「No Expectations」のスライドギターは?」で書いた雰囲気そのものという感じです。

あれはやっぱりブライアンだったんだ~^▽^
(でも、この音とアルバムの演奏の音は違って聴こえるんですが;)

というところで長くなったので、後日に続きます。