「ブライアンとキース・リチャーズ part18」を書いてから、大分、間があいてしまいました。
考えているうちに、自分の中で思っていたブライアンとキースの関係に、特にキースのキャラクターに疑問を感じるようになったからです。
考えれば考えるほどゴチャゴチャしてきて、ブライアンとミックのブログの時よりも、混乱しています。
でも、途中のままで放り出すつもりはないし、続きを書こうと思ったのですが、先に進む前にpart18と19の間として、今回のブログを書こうと思いました。(久しぶりに長いです)
以前も書いたのですが、キースは「俺はブライアンって人間をよく知っている」と語っているのですが、私にはキースよりも、むしろミックの方がブライアンを理解していたように思えます。
ミックとキースなら、ミックの方が、よりブライアンに近い性質を持っていると感じるからです。
だから例えば、同じバンドのメンバーじゃなくて、権力争いなんてなかったら、ブライアンとミックはお互いを尊重しあえる穏やかな関係でいられたのではないかと思います。
初期の頃は、ブライアンはミックを弟分のように思っていたのでしょうし、当時ブライアンとつきあっていたリンダ・ローレンスによると、ブライアンとミックは音楽上のアイディアを交換し合い、ミックは自分にできることがあればなんでもブライアンを手助けしようとしていた、らしいので。
ミックとキースはお互いに「自分たちは正反対の性格だ」と言っています。
では、ブライアンとミックとキースではどうだったのでしょうか。
3人ともそれぞれの世界がある感じですが、ブライアンとキースということだけを考えてみると、私の印象では、世間に知られている表のイメージと、実際の2人のキャラクターは違うのではないかと思えます。
ブライアンは変人で気難しく執念深い、そしてキースはあけっぴろげでサバサバしている……(世間のイメージがこんな感じというのは私の思い込みかもしれませんが)、これ、実際は反対だと思います。
ブライアンが細かくこだわっていたのはバンドの音楽的な方向性のことだけで(まあ、これは譲れなかったのでしょう)、その他のことについては、ブライアンのほうが細かいことにはこだわらない、一時的に気にすることがあっても、それほど根に持たない楽天的なタイプで、反対にキースのほうが気難しくて好き嫌いが激しく、一旦頭にきたことはいつまでも覚えている、ってタイプに思えるのです。
ブライアンは物事を深く考え込んでしまうところはあったと思いますが。
故に、複雑だとか、混乱しているように見えたのかもしれませんが。
気難しく見えていたのは、人の関心をひきたい時だったのではないかと。
基本的にわがまま坊主なところもあったのだと思いますし。
ミックの方がキースよりもブライアンのことを理解していたのではないかと思ったインタビューを下記に紹介します。
1995年の、ミックへのインタビューです。
ブライアンはショー・ビジネスの世界には全く向いていなかった、と語った後で、
「本当ならロック・バンドなんてやらずに、週末にトラッド・ジャズをプレイして、他の日は教師でもしてるべきだったんだよ。たぶんそのほうが、もっと幸せに暮らせただろう」
と続けています。
ブライアンファンの皆さん、これを読んでどう感じます?
「なにぃ! 教師でもやってればよかっただって!? ブライアンをバカにするな!」
って思いません?
……実は私も最初はそう思いました。
でも、よく考えてみると、この言葉の裏に隠された真実が見えてくるのです。
”本職では教師でもやって、週末に音楽を楽しむような生活をしたほうがよかった”
ということは、つまり。
ブライアンは、昼夜逆転して、金と欲が渦巻いているようなショー・ビジネスの世界で生きるようなタイプではなかったと言っているわけです。
真面目な職に就いて、規則正しい生活をして、ゆとりがある生活の中で音楽を楽しんでいればよかったと。
もっとはっきりいうと、ブライアンはクレイジーなショー・ビジネスの中で生きていけるような人間ではなかったということ、要するに「ブライアンは全くクレイジーではなく、まともな人間だった」ということです。
当時のマネージャー、アンドリュー・オールダムの戦略で、ストーンズはビートルズに対抗して、反逆児のイメージで売り出しました。
それは、ブライアンにとっては計算外で、ストーンズのイメージに自分を合わせるのは不自然なことだったのではないでしょうか。
でも、ブライアンはそのイメージに自分を合わせようとした。何故なら、ストーンズで決められた方針は守らなくちゃいけないと思った、それくらいストーンズは大切なもので、ストーンズのためなら自分を変えることなんて何でもないと思ったから。
しかし次第に、実際の自分と、世間から見られている自分のギャップに戸惑うようになったのではないでしょうか。
そして、ブライアンのそんな葛藤に一番気付いていたのは、もしかしてミックだったのではないかと思えるのです。
ブライアンにはショー・ビジネスの世界を生き抜いていけるほどの強かさ(したたかさ)もないということにも。
「ブライアン・ジョーンズ 孤独な反逆者の肖像」(マンディ・アフテル著)に、
”マネージャーだったアンドリューがストーンズを反体制、反権威主義として売り出そうとしていた時、ブライアンはもっと建設的なアイディアを出していた”
とあります。
ブライアンは、ストーンズが”愚か者の集団”のようにみなされる危険性を感じていたのだと。(その予感は当たったわけですよね。ドラッグ事件で、ストーンズのメンバーは見せしめのように逮捕されたのですから)
また1964年、アンドリューは「ストーンズは今後一切、サインに応じない」と発表したが、ブライアンは納得できなくて、たくさんのファンが待っていることを知らされると、警備員を説き伏せ、ただ一人、一時間以上、ファンにサインしていたのだそうです。
ジャーナリストであるピーター・ジョーンズは次のように語っています。
「外部の人間の意見に対して聞く耳を持っていたのは、ブライアンだけだった。彼はその点、ミックやキースと違っていた。ミックやキースは『これが俺たちのやり方なんだし、俺たちが正しいって言うんだから正しいに決まってるさ』という態度だった」
それに対して、
「『いいかい、俺たちはこの世界に入ってきたばかりなんだ。これまでにたくさんの人たちがこの世界に入り、そしていろいろなことを見てきた。俺たちみたいなバンドが成功し、そして落ちぶれていったのをね。そういう人たちは経験から絶対に何かを得ているもんだ。将来は、俺たちもそういった人たちのアドバイスに注意をはらわなくていいようになるかもしれないけど、当分の間は耳を傾けるべきだよ』ブライアンの考え方というのはこういう具合だったように思える」
またテレビー・ショーに出演した際、そのフィナーレでは全員が回り舞台の上に立ち、客席に手を振るならわしになっていたのに、ストーンズは参加を拒否したそうですが、ブライアンは次のように語っていたそうです。
「ミックとキースはストーンズが回り舞台なんかに乗ったりしたら評判を落とすと考えたんだ。でもすごく正直に言えば、俺はそうは思わないよ。こういうタイプのテレビ番組に出ることによって、ストーンズはたぶんレコードを10万枚は売るかもしれないんだからね。ほかの人たちが普通にやっていることを俺たちがなんでやらないのか、俺には納得できないんだ」
――こんなブライアンの、どこが反逆者だったというのでしょうか?
反逆者どころか、とってもまともな人じゃないですか?
ミックは続けて、次のように語っています。
「ブライアンはバンドのイメージについて強迫観念を抱いていた。それに奴はすごく排他的だったんだ。奴はストーンズのことを、マディ・ウォーターズやエルモア・ジェイムス方面の伝統を基礎にした、ブルース・バンドとみなしたんだよ。だから、チャック・ベリーの曲はあまりやりたくなかったんじゃないかな。えらく潔癖な奴だったからね」
チャック・ベリーの曲について、キースは前出の「孤独な反逆者の肖像」の中で、ミックとは別の見方をしています。
「ブライアンはチャック・ベリーを一度も聞いたことがなかった。やつは、チャック・ベリーが俺たちの目指していたような種類の音楽と同じとは考えていなかったんだ。そこでそうであることを俺たちがやつにわからせると、やつは本当にチャック・ベリーの真価を理解しはじめたんだよ。それでとうとう古くさいエルモア・ジェイムスのスタイルを捨てたってわけだ」
さて、チャック・ベリーの曲について、ブライアンはどう思っていたのでしょう?
ミックの見方が正しいのか、それともキースの見方が正しいのか?
たぶん、ブライアンはミックやキースに教えられてチャック・ベリーの曲を好きになったというより、”受け入れた”ような気がします。
これから一緒にやっていこうっていうミックとキースが勧めるのだから、こういうスタイルも理解しなければと思ったのでしょう。
ブライアン本人がインタビューの中で、好きなアーティストの一人として、チャック・ベリーの名をあげていますしね。
ミックはまた、
「ブライアンはバンドにとって絶対不可欠な存在だったし、それにあらゆる意味で大きな存在だった」
と語っています。
「有能なミュージシャンだったけど、そっちは放ったからしにして、大勢の人間を悩ませ、最後にはすごく不憫で哀れな人間で終わっちまった。どうしてそんなことが起きたのか、俺にはわからない。ちょっとぞっとするけど、こういうことは確かに起こり続けてるんだ。カート・コバーンなんかもそうさ。何故だろう? 会計士の世界でも同じようなことが起きるんだろうか? 会計士が自殺しても記事にならないというだけなんだろうか? 答えはイエスだと思う。どんな職業でも起きてることなんだよ――ブライアンやカート・コバーンの場合は、それが単に大衆の目にさらされたってだけなんだよ」
その一方で、
「正直に言うと、ブライアンには曲作りの才能がまるでなかった。ゼロだったんだ。奴より才能のない人間にはいまだに会ったことがないよ」
などと言っています。
ブライアンが曲作りをしていたことは知っていたはずなのに。
それが例えストーンズ向きの曲ではなかったとしても、”才能ゼロ”って言い方はないでしょ、って思います。
ミックとキースが一緒に曲作りを始めたことにブライアンは嫉妬し、二人が作った曲を演奏するのを嫌がっていた、とキースは語っているのですが、イアン・スチュアートは別の見方をしています。
「ミックとキースは一緒に住み、曲を書き、練習し、演奏していたけれど、ブライアンは気にもとめていなかったよ。彼はギター以外のいろいろな楽器に対してたいそう興味を持っていて、そういう楽器をいじくりまわすのがすごくうれしかったんだ」
私もスチュの意見に賛成です。
ブライアンはひとつの曲を、どの楽器を使って演奏するか、どう彩っていくか、どうすればその曲がより美しい曲になるのか、ということに一際興味があったのではないでしょうか。
ブライアンが何かを気にしていたように見えたのだとすれば、ミックとキースが結束して、自分を除け者にしようしているという事に対して、または音楽性が目指していたものとズレてきていると感じたことに対してだったのではないでしょうか。
一方でキースは、
「ブライアンは自分がやりたいと思う楽器があると、それが時にはたった一曲のための楽器であっても、ちゃんと使えるようになるまで練習したもんだ。これこそ奴の最大の天賦の才能だった。奴は一曲一曲について、これにはどの楽器を使おうかとよく思案していたよ」
とも語っているので、やはりブライアンがひとつひとつの曲を演出していくことに興味を持って取り組んでいたのは間違いないのでしょう。
ピーター・ジョーンズは、
「キースはもっと普通のギタリストだったが、ブライアンは幅広い音楽的視野を持っていたんだよ。ブライアンは質の高いオールラウンド・ミュージシャンだったんだ」
と言っています。
その通りだと思います。
えーと長々と何が書きたかったかというと、最初の方で書いたように、実は世間に知られているブライアンとキースのイメージはちょっと違うところがあるのではないか、ということなのです。
これを踏まえたうえで、この後のブログを続けようと思っているので……。
そして、当時親友だったというクリストファー・ギブスの証言。
「ブライアンの幸福のすべてがアニタに起因すると考える人たちは、事実を何ひとつ知らないんだよ。ブライアンにとっての幸福とは、一緒にいる人によってもたらされたものだとは、僕は決して思わないね。彼が幸福かどうかは、音楽がどうなっているかということのみにかかっていたのさ」
アニタこそ最愛の女性、彼女が去っていったことがブライアンの転落の始まり……、と語られることが多いですが、私は遅かれ早かれアニタとブライアンは別れていたように思います。
アニタがキースのもとに走ったことはショックだったでしょうけれど、もっと長く生きていたら、アニタ以上の最愛の女性を見つけていたに違いありません。
Well this could be the last time,
this could be the last time
Maybe the last time, I don’t know
おしまいさ
もう おしまいだよ
たぶんね
わかんねーけど