はじめに……。
カテゴリを「ブライアン・ジョーンズ」にしたのは、間違いではないですよー。
これは、ブライアンのことに触れるブログ!です。
「サルバドール・ダリが愛した二人の女」(アマンダ・リア著、西村書店)を読んだ。
Contents
ダリと2人の女とは?
ダリと言えば、シュールレアリスムで知られるスペインの有名な画家。1904年生まれ。
「アンダルシアの犬」というルイス・ブニュエルが監督した映画では脚本を書いている。
ブニュエル監督の映画は「ベガーズ・バンケット」つながりの「ビリディアナ」をきっかけにして何作か観ましたが、このダリが脚本を書いた「アンダルシアの犬」だけはパッケージを見ただけでとても耐えられそうにないと思ったので、観ていません。
たぶん今後も観ることはないでしょう。
そしてこの本を書いたアマンダ・リアは1946年生まれ。父親が英国人、母親が東洋人。
モデルをしていた19歳の時に、ダリに出会った。
彼らは自分たちの関係を、「パトロン」とか、「愛人」といったものにしたくはなかった。
40歳以上の年の差はありますが、ダリはアマンダを大いに可愛がり、愛情を注いだ。
ダリのアマンダに対する愛情は、保護者のような、祖父が孫に対するようなものに、私には感じられた。(ダリが公言していた”性的不能者”だったということもあるかもしれない)
ダリの奥さんガラもアマンダのことを可愛がっていた。
”ダリが愛した二人の女”のうちの一人はアマンダ、もう一人は奥さんのガラである。
年代のズレ
ダリのことは知っていたけれど、彼の画風は好みではない。
なのに何故、この本を読んだかというと――、
ブライアンが出てくるからなのです!!
ブライアンのみならず、その他、知っている名前がたくさん出てきて、この時代の人間関係の絡み合いを垣間見たような気持ちになりました。
しかしこの本、ちょっと年代のズレがあるのです。
今まで知らなかった新事実?も出てきたりします。
さて、それらを疑問や憶測をはさみつつ、紹介していきましょう。
この本によると、なんと、アマンダがダリに最初に会ったとき、ブライアンも同席していたのです!
アマンダがダリに出会ったのは19歳のとき、アマンダは1946年生まれなので、1965年ということになります。
本にも1965年、と書かれています。
1965年の秋、ロンドンで美術の勉強をしていたアマンダは、パリジャン・モデル・エージェンシーの支配人のカトリーヌに、パリでモデルをやらないか、と誘われる。
カトリーヌはアニタ・パレンバーグの親友だった。
ブライアンの恋人だったアニタは、ブライアンの噂をよくしてくれ、アマンダはブライアンの人柄だけではなく、服装にもすごく魅力を感じていた。
そしてアマンダはブライアンの友だち、タラ・ブラウニー(ギネス家の末裔、「ブライアンとミック・ジャガー part3」の最後に出てきます。)に夢中になっていた。
タラは当時、アマンダの友だちと結婚していて二人の子供がいた。
アニタがブライアンを捨て、キースの元に走ったので、タラはブライアンの気をまぎらわすためにパリに招いた。
そしてアマンダ、タラ、ブライアンは、パリのプリンセス通りにあるカステルで食事をすることになった。
ブライアンは、予想した通り、長めのスカーフ、首にはビーズ、幅広帽子に、濃いサングラスという典型的なロック・ミュージシャンの格好だ。タラは王政復古時代からいま現れたばかりというレースのフリルのついたシャツと、赤紫のビロードのスーツを着ていた。私はミニスカートとブーツをはいていた。私たちが店に入って行くと、皆の視線が集中した。
えーと、ここで既に年代のズレが。
アニタがキースの元に走ったのは1967年の2月末~3月初め頃です。
ブライアンとアニタの出会いが、1965年の9月だったはずです。
そして、タラ・ブラウニーは1966年12月に自動車事故で亡くなっているのです。
アマンダがダリに出会ったのは1965年ということなので……、このズレは一体どのように解釈すればいいのでしょうか。
アマンダの記憶違いでしょうか。(つまり、この時タラがブライアンをパリに招いたのは、”アニタと別れたブライアンの気を紛らわす”ためではない?)
ブライアンとダリの出会い
話を戻します。
3人が行った店で、アマンダは初めてダリに出会います。
アマンダの友だちが、ダリが君臨する長テーブルに座っていて、「こちらに来ないか」と誘ってくれたのだ。
ダリは立ち上がって、アマンダたちを迎えた。
そして名前を聞きもしないで、廷臣たちに紹介した。
「こちらマドモアゼル・ジネスタ、こちら、ローリング・ストーン卿……。ええと、たしか<卿>の称号をお持ちでしたな」
タラは笑いをかみ殺そうと必死だったし、ブライアンは、濃いサングラスの陰で、不信に満ちた目をくるくると動かした。私はダリがおちょくっているんだとわかったから、むっとして言った。
「私の名はアマンダよ。ジネスタじゃないわ。<卿>の称号を持っているのはタラのほうだわ。<ローリング・ストーンズ>といえばね、いいこと、ブライアン・ジョーンズのほうよ」
「もちろん、有名な音楽家であることはたしかだ」
彼の英語はコミカルだった。アール(r)の音を、おおげさに口を丸めて発音した。
その後、ダリは早々に席を立ち、「明日の昼食」の約束をして帰っていった。
ブライアンは、ぶるっとふるえて、
「奴は狂ってる。完全にクレージーだ」
と言った。
ここで感想。
ダリに「有名な音楽家、ローリング・ストーンズ」と知られているほど、当時のストーンズは有名だったということですね。
そして、ブライアンが言ったという言葉、「奴はクレイジーだ」。
よくブライアンこそ「クレイジーな奴だった」と言われていたりしますが、この言葉から考えると、ブライアンはダリほどに「クレイジー」ではなかったのではないかと思われます。
実は私は、ブライアンは結構「普通」だったんじゃないかな~なんて思っています。
(彼のカリスマ的クレイジーぶりが好きなんだ、という方が読んでいたら、申し訳ないですが;)
たぶんブライアンはダリと出会ったものの、それ以上、親しくなろうとは思っていなかった感じです。
それはダリが「クレイジー」だったからなのか、単に気がのらなかったなのか、わかりませんが。
誘われた翌日の昼食に、アマンダとタラは行きますが、ブライアンは行かなかったようなので。
あ、もしかしてアマンダとタラを2人にしてあげようと、気をきかせたのかもしれませんね。
(その昼食の席で、ダリはアマンダに(有名な言葉?)「君は実にかわいい頭蓋骨を持っている」と言うのです)
タラはこの頃、離婚しようとしていて、アマンダはいろいろな証言調書にサインさせられていた。アマンダは彼に夢中だったので、彼のためならなんでもやるつもりだった。
そしてアマンダはパリに残り、タラはロンドンに帰っていった。ロンドンではタラはブライアンと住むつもりで、その間に離婚の手続きをしようとしていた。
……えーと、またちょっとわからなくなってきました。
タラがブライアンと暮らしていた時期とは?
交通事故で亡くなる前、1966年暮れ頃まででしょうか?
その頃ブライアンは、アニタと一緒に暮らしていて、そこにキースが転がり込んでいたと思うのですが、更にそこにタラが一緒に住んでいたのでしょうか?
タラはその後、またアマンダと数日を過ごすためにパリに来た、と書かれているので、ブライアンと一緒に暮らしていたのは、もう少し前の1966年前半の頃でしょうか?
それとも「住むつもり」だっただけで、実際は一緒に暮らしたりはしていなかったのでしょうか?
(深読みすれば、タラはアマンダには内緒で他の女性と暮らしていたりして?)
タラの死
クリスマスをタラと一緒に過ごすつもりで、ロンドンに戻ろうとしていたアマンダは恐ろしい知らせを聞いた。
タラが自動車事故で死んでしまったのだ。
彼はある晩、ロータスを運転して帰る途中、トラックに激突した。21歳だった。
タラの死はアマンダを打ちのめし、彼の妻が電話をかけてきてくれても、葬式に出られる状態ではなかった。
ダリはニューヨークから幾度も電話をかけてきて、アマンダを慰めようとした。ダリの妻のガラも優しくしてくれた。
度々中断して申し訳ないです。
知らなかった新事実。
タラが事故に遭ったとき、後にブライアンと付き合うことになる、当時はタラの恋人だったスキ・ポワティエが同乗していました。
タラには妻子がいたみたいなので、スキは愛人だったということになると思いますが、タラはスキだけではなく、アマンダとも付き合っていたのですね。
二人ともモデルをやっていたという美人。
タラはモテたんですねえ……。
しかし、タラの奥さんはアマンダの友だちでもあったと書かれているのに、その友だちの旦那さんと付き合い、離婚の手伝いをしていたアマンダって……、いろいろな意味で複雑です;
アマンダはロンドンに戻り、ブライアンなどの懐かしい友だちに囲まれているうちに、気持ちが落ち着いてきた。
ブライアンはフランソワーズ・アルディのファンだった??
そして、次のように書かれているのを読んで、私は「えーっ」と思いました。↓
私はブライアン・ジョーンズが言ったことを思い出した。彼がロックの世界に入りたいと思った唯一の理由は、当時、夢中だったフランソワーズ・アルディに会いたかったからだ。
ブライアンが音楽業界に入ったのは、「ブルースがやりたかったから」ではなかったのでしょうか!
「唯一の理由が、フランソワーズ・アルディって……、フランソワーズ・アルディって、一体誰っ?」
と、無知な私は思い、調べたところ、
「あ、この曲知ってる」
と思ったのはネット上で視聴した『さよならを教えて』(Comment Te Dire Adieu )です。
フランソワーズ・アルディの名前は知らなくても、この曲は多くのかたが知っているのではないでしょうか?
(でも、なんで知っているのだろう? ストーンズは知らなくても、ジャンピン~はなんとなく聴いたことがあるのと同じようなもの?)
ちなみにブライアンが夢中だったのなら!と思い、フランソワーズ・アルディのCDを買ってしまいました。
夜のBGMにはピッタリ。
フランソワーズ・アルディはスレンダー美人で、ブライアンの好みっぽいです。
(ついでに言うなら、アマンダもスレンダー美人です)
たぶんブライアンは、アマンダの気をひくため(或いは話をあわせるため)に、こんなことを言ったのではないでしょうか。
「ブルース」なんて言っても、アマンダにはわからなくて、話がしらけてしまったかもしれませんし。
フランソワーズ・アルディなら、当時、誰でもが知ってる有名人だったのでしょうから。
度々脱線してますが、話を戻します。
ある土曜日の午後、アマンダは買い物をしているとき、麻薬所持の疑いをかけられ、警察に連れていかれてしまう。
翌朝九時に出頭するという条件付で釈放された。
ブライアンは、こういう事件に経験の深い弁護士に後始末を頼んでくれると約束し、翌朝アマンダはブライアンと弁護士に付き添われてメリルボーン簡易裁判所に出頭した。
結局、所持していたのは不法な薬ではなかったことがわかり、疑いは晴れた。
えーと、ブライアンがドラッグ所持で最初に逮捕されたのは1967年5月ですが、このアマンダの一件は、その前なのでしょうか? それとも、その後なのでしょうか?
ここでちょっと余談。
フランスにバカンスに向かう途中、アマンダが電話をすると、「ペルピニアン駅にいるのかい、それは素晴らしい!」とダリは声を張り上げた。
ダリに言わせると、その駅は”世界の中心”なのだそうだ。
アマンダはじっくり観察してみたが、その駅には世界の中心と思えるようなものはなにもなかった。
……数年前に流行った「世界の中心で、愛をさけぶ」を思い出しました。
ダリ的世界の中心は、ペルピニアン駅、らしいです。
(ダリは天井が蠅の目玉のようなここのトイレに興味があり、啓示を受けたことがあるそうです)
マリアンヌに本を貸したのはアマンダだった
ミック・ジャガーとアニタ・パレンバーグが「パフォーマンス」という映画を撮影していた頃(つまり1968年9月~10月頃)、妊娠していたマリアンヌ・フェイスフルがアマンダのフラットに遊びに来た。
アマンダは読みかけの本「巨匠とマルガリータ」を貸してあげ、マリアンヌはそれをミックにも読ませ、ミックはその本を元に「悪魔を憐れむ歌」を作った。
おおおーっ、また知らなかった事実が!
「巨匠とマルガリータ」というマリアンヌがミックに読ませた本が「悪魔を憐れむ歌」の元になっているというのは、「ビリディアナ」でも書きましたが、マリアンヌに本を貸したのがアマンダだったとは!
アマンダがレヴォリューション・ナイトクラブでオシー・クラーク・コレクションのモデルをしたときには、ブライアン、マリアンヌ、ビートルズ(ジョージ・ハリスンの妻もモデルをやった)、テレンス・スタンプ、ドニャーレ・ルーナー、ペネロープ・トゥリー、デイヴィッド・ホックニーなどがお祝いに来てくれた。
アマンダはファッション・ショーのためアメリカに行ったり、パリでダリと過ごしたりして、ロンドンに戻ってきた。
そしてブライアンやスタッシュの名で知られたスタニスラス・クロソウスキー(ブライアンと一緒にドラッグ所持で逮捕された人ですね)などと夕食をとった。
ダリは小さな”白変種のゴリラ”を見て、ローリング・ストーンズを引き合いに出した。
アマンダは確かに小猿の鼻と大きな唇はミック・ジャガーに似ているし、色合いはブライアンに似ていると思った。
ニューヨークで莫大な財産の世継ぎの男性に会った時、アマンダはその取り巻き連中を見て、タラやブライアンを取り巻く友人たちを思い出した。
みんな彼の車を利用し、彼のウィスキーを飲んでいた。
アマンダは亡くなる直前のブライアンと会っていた?
そしてなんとアマンダは、亡くなる直前のブライアンと接しています。
ロンドンに帰ったアマンダに、既にストーンズから脱退していたブライアンが電話をしてきた。
アマンダは、ブライアンのドラッグ事件や父権訴訟などのことは新聞を読んで知っていた。
アマンダが最後にブライアンに会ったのは、デイヴィッド・ベイリーの家だったという。
ブライアンはロンドン郊外にプール付きの豪邸を買っていて、もう醜態は脱却したと言っていた。
ブライアンは幾度かアマンダが住むチェルトナム・テラスから彼女を連れ出そうとした。
当時彼には決まったガールフレンドはいなくて、本当に愛情に飢えているように見えた。
まもなく仕事を始める計画で、それによってミックに恥をかかせてやるつもりだった。
ブライアンがあまりにも悲しげだったので、アマンダは幾晩かを一緒に過ごしてあげた。
彼は時に真夜中に悪い夢を見て目を覚まし、汗をしたたらせ、荒い息をして、いまどこにいるのかもわからない状態だった。「俺はどこにいるんだ? ニューヨークか?」とブライアンは喘いで言った。
ある晩、ブライアンはアマンダを連れてロンドンのナイトクラブにティナ・ターナーを見るために出かけた。
ところがブライアンがネクタイを締めていなかったため、ドアマンが中に入れてくれなかった。
ブライアンは、「俺はローリング・ストーンズだぞ、すぐに入れろ」とわめいた。
マネージャーが仲にたち、ブライアンとアマンダはダンスフロア脇の最上の席に座った。
ブライアンはマンドラックスとアルコールをミックスして飲んで、ショーが始まると眠り込んでしまった。
ドアマンは軽蔑の目でアマンダたちを見ながら、ブライアンを車まで引きずっていった。
ブライアンが田舎の家で数日一緒に過ごしてくれないかと言ってきたが、アマンダには他の友人からの誘い……、マラガへ行こうという誘いもあった。
彼女はどちらの招待を選ぶか考えた。
ブライアンの運転手がやって来て、ドアのベルを鳴らした。ブライアンは自分の家で私を待っている。二、三の友人たちとマラケッシュで録音したテープを聞いているところだ。三年前に治安判事裁判所へ私を連れていってくれた、あの同じ運転手だった。彼は私にあまりにも多くの嫌な思い出をよみがえらせた。数時間後、私はマラガに降り立ち、新たなページを繰ったことに満足していた。
翌朝、私たちが出発した夜、プールでブライアンが水死したことを知った。
あのぅ~……、
私が知らなかっただけで、ブライアンが亡くなった日、アマンダが来る予定になっていたっていうのは、普通に知られている話ですか?
ブライアンは運転手(トム・キーロック?)にアマンダを迎えに行かせ、友人たちとマラケッシュで録音したテープ(つまり、ジャジューカですよね)を聴いていた。
友人たちとは、去年の映画の通りだとすれば、あの日、ブライアンの屋敷にいたのは、建築業者のフランクと恋人のアンナ・ウォーリン、看護婦のジャネット、でしょうか?
それと、また年代のズレを感じるのですが、ブライアンが亡くなったのは1969年7月、つまりアマンダが語っている治安判事裁判所に行った三年前というのは1966年になりますが、これは前述したドラッグの疑いで警察に連れていかれたときのことをいっているのではないのでしょうか。その頃はまだタラは生きていたことになるのですが。なんとなく話の辻褄があっていないような?
それにしても、ブライアンには当時「決まったガールフレンドがいなかった」というのは?? だってアンナ・ウォーリンは??
ブライアンは、そのアンナ・ウォーリンと一緒に過ごしている屋敷に、アマンダを招待したということになりますが、
アンナは、自分がブライアンの恋人と思っていたのだろうし、そこにアマンダが登場すれば、修羅場になったような気がするのですが。
私には、なんとなくブライアンはアマンダに気があったように思えるので。
しかも結構本気だったような。
と、いうのには理由があって、まずアマンダはブライアン好みの女性だということ。
それに続いて考えられる理由は、ブライアンはアニタに手痛くフラれたわけですよね。
しかも彼女は、仲間であるキースの元に走った。
自分にそんな仕打ちをした彼女(とキース)を見返すためには、アニタ以上の女性を恋人にする必要があったのです。
アニタとアマンダは似たような雰囲気の美しいモデル。
身長は、アニタが175cm、アマンダが178cm、だそうです。(ちなみに小柄に見えるマリアンヌは160cmだそうです。更にちなみに、ミックの前妻、ジェリー・ホールは183cmだそうです)
世界的に著名な画家ダリとも親交を持つ、アニタと同じくらい、いえアニタ以上に美しいともいえるアマンダが自分の恋人になるというのは、ブライアンの自尊心を大いに満足させるものだったのではないでしょうか。
もしかして、自分を捨てたアニタ、自分を追い詰めた上、メンバーから切ったミックやキースを、これで見返せる!と思ったかもしれません。
まあ、そこまでブライアンが復讐心に燃えていたかはわかりませんが、とにかくアマンダはブライアンの好みのタイプだと思います。
しかしアマンダは、その日、ブライアンの屋敷には行きませんでした。
一人帰った運転手は、ブライアンになんと伝え、ブライアンはその報告を聞き、どう思ったのでしょうか。
ブライアンは荒れたでしょうか、落ち込んだでしょうか、それとも別になんとも思わなかったのでしょうか。
そしてその時、周りにいた人たちは、アマンダが来る予定だったことを知っていたのでしょうか。
ブライアンの、その時の心境、その場に一緒にいた人たちの反応、
そしてブライアンはその日の晩、プールで溺死してしまう……、
なんかなんかなんか、
こういう事実があったのだとすると、また違ったその日の様子が浮かび上がってくるような気がするのですが!
いえ、私は他殺の可能性は、やはり低いと思っていますけれど。
トム・キーロックは何を知っていたのだろう
それにしても、当時のブライアンの運転手トム・キーロック。
ブライアン死後、その日そこでパーティーが開かれていたと思っていたキースは、次のようにコメントしていました。(「ブライアンとミック・ジャガー part10」で紹介しました)
「だれがパーティーに来ていたか知ろうとしたが、不思議なことにだれもいなかった。やっとひとりだけつかまえたが、俺の考えでは、そいつが全員を退去させ、警察が来ても事故だと思わせるように仕組んだんだろう。」
私には、キースがつかまえたひとりというのは、トム・キーロックだったように思えます。
そして去年の映画では、建築業者のフランクが犯人だったということになっていますが、そのフランクの死の床で「自分がブライアンを殺害した」と告白したのを聞いたのも、トム・キーロックです。
事故で済ませるつもりだったのなら、何故、最後まで貫かないのでしょうか。
例えフランクが死の床で告白したのが事実だったとしても、トム・キーロックが黙っていればわからないことだったはずです。
トム・キーロック……、最近のDVDでもインタビューに答えたりしていますが、字幕がないのでなにを話しているのかほとんど理解できず;
でも彼は、まだなにかいろいろ知っているのではないでしょうか?
トム・キーロックはそれほどブライアンに好意的ではなかった印象なので、聞いてみたところで、それが”本当の真実”なのか、”彼が思い込んでいる真実”なのか、判断するのは難しいと思えますが。
ブライアン亡き後
さて、アマンダの語りはブライアン亡き後も続いていきます。
とりあえずこのブログでは、主にブライアン、ストーンズに関する部分だけに触れていきます。
ある日、一人で家にいると、ジミ・ヘンドリックスがギター片手にドアをノックした。彼はニューヨークのパットの友だちに住所を教えてもらったのだ。彼の望みはファンから身を隠すことだった。私は彼をくつろがせ、偉大な友ブライアン・ジョーンズのことを長々と話した。彼は私たちと数日過ごした。とても気持ちよい人だった。ただ唯一の問題は、スピーククイージーで拾った顔色の悪いブロンド女の取り巻きを連れ帰ってくることだった。彼はこの女たちを後で追い払えず、私はだんだん彼女らがバスルームを独占するのを我慢できなくなった。ドラッグの犠牲者となって、ジミは他の多くのミュージシャンと同じように、私たちと一緒に過ごした直後死んでしまった。
ブライアンと仲がよかったジミ・ヘンドリックス。
ブライアンが亡くなったことについて、ジミはどう思っていたのか、コメントが見つけられず気になっていたのですが、この時、アマンダとどんなブライアンの話をしたのでしょうね。
気になります。
そしてこれを読む限り、やはりジミは(ブライアンと同じように)取り巻きを追い払うことが苦手だったようです。
アマンダが一緒に過ごすはずだった日の晩、亡くなってしまったブライアン、
アマンダと一緒に過ごした直後に亡くなってしまったジミ・ヘンドリックス……、偶然でしょうけれど、ゾッとします。
そしてアマンダは、なんとデヴィッド・ボウイともつきあっています。
しかも彼をアマンダに紹介したのは、マリアンヌ・フェイスフルです。
ある晩、マリアンヌ・フェイスフルが電話してきて、彼女はいまあなたのファンと一緒なんだけど、彼は死ぬほどあなたに会いたがっているわ、と言った。
「いま電話代わるわね。優しくしてやってね」
「ハロー」と聞きなれない声がした。「僕、デヴィッド・ボウイ。君に会いたいな。ロキシー・ミュージックのアルバムのカヴァーで君の写真を見たよ。マリアンヌは君についてすごく面白い話をしてくれたんだ。ダリと知り合いなんだってね。車を迎えにやるから、どこかへ行こう。トランプスで食事なんてどうかな」
マリアンヌが私をかついでいるのかと思ったけど、私はともかく申し出を受けた。運転手がマイダ・ヴェールのフラット街の一角へ連れていった。マリアンヌが笑みを浮かべて戸を開け、言った。
「クールにね、あなた。彼はあなたにすっかりお熱なのよ。どうにでも思い通りよ」
彼女はそれから私を一人の若者に紹介した。ひどく青白い顔をして、髪を赤く染め、眉毛を剃り、黒いアイラインを引いていた。アップル・グリーンの服を着て、まるで病んだピーターパンみたいだった。初めはすぐ帰ろうかと思った。でもデイヴィッドはとても優しくて、じきに私たちはダリや、シュールレアリスムの話を始めた。マリアンヌは爪先立って部屋を出てゆき、私たちだけにした。
二人はトランプスに食事に行き、店が混んでいたので、ミックとビアンカ夫妻と一緒のテーブルについた。
二人のスター(ミックとデヴィッド・ボウイ)はジェラシーをにじませながらも、お互いに興味を持ち、音楽について語り続けた。
アマンダとビアンカはなにも話さず、親しくなろうともしなかった。
そしてその晩、アマンダのフラットにデヴィッド・ボウイは泊まっていった。
アマンダは彼と付き合うようになってから、実は彼にはアンジーという妻がいて、ゾウイという息子までいることを知った。
ダリはそのことをアマンダから聞き、「気をつけないと、また君は不幸になるよ」と言った。
アマンダのデビュー
アマンダ自身もロック・スターとしてデビューした。
アマンダのレコードはドイツで大成功を収め、彼女はディスコ・ミュージックの化身のように熱狂的に迎えられていた。
ロンドンへの帰りの飛行便で、私はミック・ジャガーの隣の席にいた。彼は私がまだボウイと一緒かどうかを聞いた。彼はベルリンであの町の魅力的な雰囲気にどっぷり浸っているわ、と私は言った。
アマンダの「スウィート・リヴェンジ」は世界同時発売となり、爆発的な売れ行きで、ドイツ、イタリア、フランス、ベルギーではゴールド・ディスクになった。
ダリはそれを喜ばなかったし、更にアマンダがアラン・フィリップという一時コーヒー界の寵児と言われていた男性と出会い、結婚し、侯爵夫人になったときにも「がっかりした」と言った。
しかし翌朝にまた電話をかけてきて、「お祝いの大晩餐会を開きたい」と告げた。
ダリの死
1982年6月、ダリの妻であり、母親のようでもあり、友人であり、ビジネス・パートナーでもあったガラが亡くなる。
ダリ自身もパーキンソン病を発症していて、ガラの死後一年間はプボルの館に閉じこもったままだった。
ダリは老いて、病のため変わり果てた自分をアマンダにも、以前親しかった誰にも見せたがらなかった。
アマンダが最後にダリに会ったのは、真っ暗な部屋の中だった。
ダリはあくまでも、自分の姿を見られたくなかったのだ。
「なんで外に出ないの、ダリ。外には美しい太陽があるわ……」
アマンダはダリに教えてもらった小唄を歌った。
「いやいや、太陽も、歌もない。私はただ静かにここに放っておいて欲しいのだ。私を放っておいてくれと、みんなにも言ってくれ。みんな、私を悩ませるんだ。みんながだ。みんなはいつも私を悩ませる。私はもうたくさんだ。君はまだ歌っているのかね?」
「ええ、もちろんよ。私には生活がありますもの。でも絵をたくさんまた描いているわ。ずっと描いているのよ。あなたが教えてくれたことすべてよ……」
「なんということだ。君は歌うことも、描くことも、しないほうがよかったのだ。私は君が王女になるのを夢見ていたのだ。芸術家にはなって欲しくなかった。あまりにも苦しみが多すぎる……」
二人は「愛している」とお互いに言い合った。
ダリはアマンダの手をとって、その掌に、なにか固い物を持たせた。
「さ、もうお別れだ。一人にしておくれ。私の死の時はもうすぐだ。神のご加護があるように。さようなら」
ダリは1989年1月に亡くなります。
最後にダリがアマンダに握らせたものとは、妻のガラも持っていた”常に幸運をもたらしてくれる小さな棒切れ”だった。
何年も何年も、ダリが手放したことがない小さなお守り。ダリは何物にもかえがたい貴いものをアマンダに最後にプレゼントしたのだった。
奇行で知られるダリ――、それほどダリの絵に興味がない私ですが、これを読んでダリって魅力的な人だったんだと思いました。
最後の部分なんて、思わず読んでいた電車の中で涙ぐんでしまいました。
この本を通して、また知らなかったブライアンの一面が見えたように思っています。
年代のズレの不思議や、ブライアンが亡くなった日にアマンダが招待されていた?などという疑問も含めて。
悲しみのアンジー
そして、先日の「悲しみのアンジー」のブログで、私は、もしかしてこの曲のモデルはマリアンヌなのでは?と書きましたが、この本を読んで、益々その可能性はあるかも!と思いました。
だって、デヴィッド・ボウイとマリアンヌが会っていた時期と、デヴィッドとミックが付き合っていたという時期って、多少のズレはあっても重なっているように思います。
つまり、その頃、ミックとマリアンヌが再会していても不思議ではないと思うのです。
それで、ミックはマリアンヌに向けた詞を書いた……、ありえないことではないですよね。
(この曲のモデルの可能性が高いといわれているデヴィッド・ボウイの元妻アンジー自身は、「自分がモデルだったら光栄だけど、よくわからない」と言っています)
最後になりますが、アマンダ・リアのCDは日本でも発売されていて(1978年に来日、アマンダ・レアの名で注目を集める。デヴィ・スカルノ(デヴィ夫人)のパーティーに招かれもしたそうだ)、今でも普通に手に入るみたいです。
コメント
かなり面白い話ですね~。
この本のことは知らなかったので、ぜひとも読んでみたいです!!
ありがとうございました♪
知っている名前がたくさん出てきて、おもしろかったですよ~
たぶん口述筆記なのかな、って思いました。
翻訳本だからかもしれませんが、生のアマンダの雰囲気がイマイチ伝わってこなかったので。
でも、例えばダリと初めて会ったときにブライアンも一緒にいたとか、亡くなる日に家に行く予定になっていたなんていうあたりは事実だった可能性が高いように思います。
ブライアンが亡くなる日に「お客さんが来る予定だ」と、使用人の女性に言っていたという話があったような?
もしかしたら、お客さんというのはアマンダだったのかもしれませんね??