2019年7月3日、ブライアン・ジョーンズ50回目の命日です

2019年7月3日、ブライアン・ジョーンズ50回目の命日です。

ブライアンは1969年の7月3日、自宅コッチフォードのプールで亡くなりました。正確には7月2日の深夜、日付が3日になるかならないかころだということです。(今までのブログで3日になる前の2日の深夜って書いていますね)

今までもブライアンが亡くなったころのことについては書いてきました。

今回は50回目というキリがいい数字(という表現も不謹慎かもしれませんが)なので、今まで書いてきたことを振り返りながら、今後について書きます。

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今まで書いてきた1969年7月3日に関すること

今まで書いてきたブライアンが亡くなるころのことで、興味深いブログをあげておきます。

たくさんあるのですが、その中でも、今回、頭に浮かんだブログ。

まず、サルバドール・ダリの愛人だったと言われているアマンダ・リアが亡くなる前のブライアンと関わっていた?という疑惑。

「サルバドール・ダリが愛した二人の女」

7月2日はパーティーが行われていたとか、いなかったとか、いろいろな説がありますね……。

そして、ブライアンに捧げる曲をつくってくれたニコ(nico)。

ニコの曲、好きです。雰囲気があっていいですよねー^^

ニコのデビュー曲でのブライアンのギタープレイも、とっても軽やか♪

Nico I'm Not Sayin' 1965

もしかしてブライアンがやりたかったこと?

実はですね、ブライアンが生きていたらやりたかったのかも?と思っていることに携わっています。

ブライアンはモロッコ・ジャジューカ村に行き、現地録音をした初めての西洋人でした。

「ジャジューカの音をストーンズに活かしたい」

と話していたという記録があります。

ブライアンはその試みに取り組むことなく、亡くなりました。すでにストーンズのメンバーでもなくなってしまっていましたが。

1989年、ストーンズはジャジューカとコラボして、「Continental drift」を発表。

「ブライアンが果たせなかった夢を、20年の時を越えて、メンバーが果たしてくれた……」

と私は考えていました。

しかし2017年にジャジューカが来日して、生演奏を聴いて、思ったのです。

「完璧に完成されている音……。このジャジューカの音をストーンズに活かしたいと、ブライアンは本当に思ったのだろうか」

考えていたら、その謎(?)が解けたような気がしています。

私、そのことに携わっているんですよー

この件については、近々書きますね!

ヒント:アフリカ音階

志半ばで亡くなったブライアンのやりたかったのかもしれないことに触れていきたい、

もしかして誤解を受けている部分があれば、誤解を解いていけたらと思います。

今後もよろしければ、妄想にお付き合いいただければと。。。

今宵は新月。

心静かに、ブライアンのことを想いましょう。