ブライアン・ジョーンズのことを書いていると、親交があった、一緒にバンドをやろうという話まで出ていたというジョン・レノンのことに触れる機会があります。
今回は「悪魔のジョン・レノン」(岡田ナルフミ著、たま出版)を読んだのですが、興味深かったです。
それと、ブライアンの名前もちょこっと出てきたので、紹介します!
Contents
ジョン・レノンは暴力的?
そもそも、この本のタイトル「悪魔のジョン・レノン」って、すごいですよね。
著者の岡田ナルフミさんは、ジョン・レノン研究家なのだそうです。
ワタクシ的には、内容に共感できる部分が多かったです。
ジョン・レノンは自分のことを、すぐに暴力をふるってしまう人間だと証言をしている。そして「愛と平和」を唱える人間はみな暴力的な人間なんだと、訳の分からないことを主張している。
ジョンのインタビューより↓
「ゲッティング・ベター」は、日記の形式で書いたものだ。「昔、僕は恋人にひどい仕打ちをした。殴ったり、彼女の愛するものから彼女を遠ざけてしまった」というのはすべて僕のことだ。実際に僕は昔、恋人にひどい仕打ちをした。どんな女でも殴ったし、僕はすぐ殴るんだ。自分を表現できず、それで殴った。男とはケンカをして、女は殴った。だから、今はいつも平和のことを語ってるんだ。愛と平和を語る者というのは常に最も暴力的な人間だ。すべては逆さまだよ。でも、僕は心から愛と平和を信じている。僕は非暴力的であることを学び、自分の暴力を後悔している暴力的な人間だ。
私はジョン・レノンのファンではないし、よく知らないのにこんなことを書くと、ファンの方に怒られそうですが、ジョン・レノンが暴力的というのは、わかるような気がします。
というか、私はジョン・レノンのことはブライアン絡みでしか知らないのですが、元々ジョン・レノンって、紳士的なイメージではないですよねぇ?
私のイメージがずれているだけで、ジョン・レノンは愛と平和の人として知られているのでしょうか?
それは置いておくとしても、
「愛と平和」を唱える人間はみな暴力的な人間
には、一部共感。
暴力的とまでいかなくても、「愛と平和」などときれいごとを言っている人こそ、目の前で倒れている人を踏んずけていても知らんぷりな気がします。
しかも、その倒れている人は、その人が倒した人だったりして。
まず「愛と平和」を唱える前に、自分の身辺整理をしなさいよ、と。
悪人っぽい人の方が実は良い人、というのは言い過ぎですが、きれいごとを並べている人の本性は逆の場合もあるので、本当の姿を見極めないと。
ジョン・レノンが愛と平和を唱えながら実際には暴力的だったのかもわからないし、だから悪人だったと、短絡的に結論付けるつもりはありませんが。
「イマジン」の歌詞は平和なんかじゃない?
誰でも聴いたことがあるであろう「イマジン」。
きれいな曲ですよね。
でも私はそれほど好きな曲ではないです。曲は綺麗ですけど、なんとなく、内容が。
と思っていたら、本にズバリ、書かれていました。
「『イマジン』の最初にもってきているのは『天国も地獄も存在しないとイメージングしてごらんよ』との強烈なメッセージ。レノン君は、意図的にこのメッセージを最初にもってきていますよね。これは、とどのつまり結局は、神も仏も存在しないし、どんなに悪いことをしても地獄には落ちない、大丈夫、頑張れジョン!という意味になる。
そして『みんなが今日のために生きていると思ってごらん』と続くのだが、これは天国も地獄もないという悪見思想を飲み込みやすくするマシュマロみたいなものだ」
極悪非道の人生をやっている人に「死後には地獄ってのはないよ」と伝えられたら、そりゃあ喜ぶに違いない。特にレノン教の信者ならそうだろう。しかし絶対に犯罪は増えそうだ。
続いて
次に「国なんてないとイメージングしてごらんよ」と歌っているが、もしも日本がなくなったら困るよ。イメージングにはパワーがあるんだよ。日本や他の国々がなくなるイメージングを推し進めないでくださいよ。レノン君は「イマジン」にて、国と宗教が殺し合いの原因であると聴者の人々に主張しています。そして、国と宗教をなくせば「みんなが平和に生きていける」と静かな感動を微妙に見せながら理想を述べるかのように、歌っている。
「殺し合いのもとがなくなる」えっ? 国や宗教が殺し合いのもとなのか?
さらに
私たちの日常の中で最も大切なものの一つが国境なのだ。国境がなくなったら治安も崩壊し、職業も取られてしまう。また大和民族が解体してしまう。
そして
宗教をなくすということは、伝統の破壊や保守の破壊や多様性の破壊になる。宗教はプラス面も確実に存在する。宗教によって人間は守られ精神的に多少は進化を遂げ、モラルの崩壊を防いだ感もある。
……確かに。
地獄の存在は、生きている間、悪いことをしない抑止力になるし、宗教だって悪いことばかりではなく、心を支えて統率している役割を果たしています。
だから、国境も宗教もないのが平和だというのはおかしい、その通りだと思います。
が、ここでふと、ジョン・レノンは本当に、国境も宗教もないのが平和だと信じて、この曲を創ったのだろうかと感じました。
ジョン・レノンのことを良く知らない私の想像は間違っているかもしれません。
でも、こんな想いがあったのではないでしょうか?↓
国や宗教の存在が戦争の材料になるのなら、そんなもの、みんな無くしちまえ!
↓
愛国心だの忠誠心だの、うっせーよ!
↓
じゃあ、想像してごらん、国や宗教がなくなった世界を。どうだ? 平和か? なら、いいけど。
……こんなふうに解釈してしまうと、「イマジン」がとても攻撃的な曲になってしまいますね。
名曲「イマジン」を愛する方々、すみません、と謝っておきます。
でも、「想像してごらん」と言われたので、私なりに想像してみたのですよ、「イマジン」に込められたジョン・レノンの気持ちを。
ジョン・レノンはブライアンの死について「なにも感じなかった」
ブライアンの死の新聞を読むジョン・レノン
以前のブログでも紹介しましたが、ブライアンの死について聞かれて、ジョン・レノンは「なにも感じなかった」と答えています。
ブログの中で私は「なにも感じなかったってことないでしょう?」などと書いています。
そして後日のブログでは、「そう考えずにはいられなかったのでしょうね」などと書いていますが、「なにも感じなかった」のは本音なのかなと、あらためて感じています。
ジョン・レノンファンでもない私が言うのもなんですが、ジョン・レノンって、大人になり切れない人だったように思います。
子供の頃に「やってはいけないこと」を、きちんと教育されずに大人になってしまったような。
赤ちゃんって、なにもわからずに生まれてきますよね。もちろん、嫌なこと、うれしいことは赤ちゃんでもあるでしょうけど。
先日、友だちと話したのですが、「物事の善悪の判断が自分でできるようなるのって、小学生の高学年くらいからだよね。それまでは親の言うことが絶対正しいって思っているよね」
思春期に入るこの年頃で、人は、「親から言われていることは違うのではないか?」などと自主性を持つようになります。
親から言われていること、親以外の人から言われること、自分が思うことのせめぎ合いがあり、悩んで、自分なりの正解を出していく=自立=大人になっていく、のではないかと。
ジョン・レノンは、もしかして、きちんと「しつけ」をしてくれる大人が周りにいないまま、大人になってしまった。ある意味「正直で残酷な子供」のまま。
そして、初めてジョン・レノンを教育してくれる存在として現れたのが、オノ・ヨーコだったのではないでしょうか。
親交があったブライアン・ジョーンズが亡くなったのだから「ショックだ」「驚いた」「悲しい」と感じて言葉にするのが、大人の正解かなと思います。
でも「死を悼む」感情が上手く育まれていなくて、「死んじゃったのか、ふーん」と単なる事実としてしか受け止められなかった、そして「悲しいですね」と返すような上手な大人の対応ができなかった、というところではないかと。
または、育ってきた環境において「悲しみ」「ショック」などの感情をまともに受けていたらやってられなかったから、感じないようにしていたのが習慣化していた、とか。
ショック過ぎて「なにも感じない」こともあるのかも。(心を守るため、なにも感じないようにしている)
ちなみに、ブライアンが亡くなったころの日本の新聞記事を探しに行きました。
当時のビートルズのスケジュールもわかりました。↓
ストーンズが解散したとすれば、存命のブライアンが原因になる?
本の中に一カ所だけ、ブライアンの名前が出てきます。
ビートルズの解散は必然だったのかもと語り、
ちなみにローリング・ストーンズはコンサートやアルバム作りでの役割分担が固定化されていることと、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの個性は化学反応が起こらず不確実な混合となるので、解散は必要なかった。もしもストーンズの解散があったとするならば、ブライアン・ジョーンズが存命で、楽器とアレンジの才能のみならず、作詞作曲の才能が開花したときであっただろう。
えーと、ブライアン亡き後のことはあまり詳しくないのですが、80年代、ミックとキースの仲が悪く、お互いにソロ活動を始めたりもしていて、解散危機あったのではなかったでしたっけ?
お互いのソロ活動がうまくいっていたら、そのまま解散もありえたのではないかなと思っていたのですが。
ソロでやってみて、「やっぱりストーンズだな」って思って、メンバーは原点回帰した。
モロッコに行き、ブライアンが録音したジャジューカのメンバーとのコラボを果たし、「Continental drift」が創られ、ストーンズは再生した。
つまり、バラバラになりかけたメンバーをつなぎ合わせたのは、ブライアンのパワーだったのでは?なんて、ブライアンファンとしては思っていました。
あと、すみません、ブライアンファンとしての個人的意見ですが、ブライアンが存命だったとして、ブライアンがストーンズの解散の原因になることはなかったと思います。
ストーンズは、ブライアンにとって、ゼロから創り上げたとても大切なものだった。
それを自分の振る舞いで解散させる事態には、絶対にしなかったのではと思います。
バンドと自分の音楽が合わないのなら、自分が抜ける、でもたまには呼んでくれないかな、みたいに思っていたのではないかと。
やはり、自分がやりたい音楽をしたい気持ちは強かったのでしょうから。
書いてみたら、反対意見ばかりみたいになってしまいましたが、「悪魔のジョン・レノン」おもしろかったですよ!
ジョン・レノンを神格化していないところに、逆に愛を感じました。
(神格化していないけれど、悪魔;)
1980
ブライアン側の証言では、一緒にバンドを組むはずだったという話があるのに、ジョン・レノン側からはそういう話は出ていないような??
組んでいたらどうなっていたでしょうね?
最後に、やっぱり「イマジン」聴きましょうか!
追記:「ジョン・レノンは政治家じゃない、音楽家なんだ」というご意見をいただきまして
ブログを読んでいただいた方から、「ジョン・レノンは政治家じゃない、音楽家なんだよ」というご意見をいただきました<(_ _)>
このブログは、読んだ本の私なりの感想を書いてみたつもりでしたが、ジョン・レノンと音楽を愛する方たちの気持ちを害することがあったのなら、本当に申し訳なく思います。すみません、ごめんなさい。
と書くと、すごく批判を受けたように感じられるかもしれませんが、責められたわけではなく、貴重なご意見いただいたという感じです。だから、すみませんと同時に、ありがとうございます、です。
ジョン・レノン、イマジンくらい有名になると、様々な受け止められ方、解釈のされ方をされても、仕方がないのかなと思います。
ただ、「想像してごらん」というところで、また想像してみたのですが、イマジンが世に出た当時というのは、もしかしたら「イマジン」で歌われているような内容がとても新鮮だったのではないでしょうか。
国や宗教の存在が争いの原因になるということは確かにあります。
そこで、「国や宗教が存在しない世界」を想像する。
想像してみたら、それは本当に今までにないほどの愛と平和に満ちた世界に思えたのでは。
「イマジン」が有名になると、今度は「いやいや、国や宗教がない世界なんて困るよ」という意見が出てきた。
これは私の考えですが、どの考え方が間違っているということはないと思うんです。
「黒だ!」という意見の人が多く、悪い状況になってしまっているときに、「白っていう見方もできるんじゃない?」という意見は貴重です。
「そうだ、白だ!」と意見が過熱してしまったときに、「黒と白だけじゃなくて、ピンクって見方もできるよ!」という意見が出てくる。
さまざまな意見があって、世の中はバランスをとっています。偏りすぎると、どこかにひずみが出てしまいますよね。
そして、偏った見方しかできなくなっているときに、違った方面から、違う解釈をする力こそが「想像力」なのではないでしょうか。
想像するチカラには、新たなものを生み出す大きなチカラもありますよね。
長くなりましたが、このブログは私個人の素直な感想であり、決してジョン・レノンやイマジンを批判するつもりはありません。
これからも妄想に満ちたブログを書いてしまうことがあるかもしれませんが、広い心で受け止めていただけたなら幸いです。
以前書いたブログです。著者の松本仁一さんは、ブライアンと同じ年生まれ。
「宗教が違おうが言葉が違おうが、子どもたちは優しくしてくれる大人を好きになる。それでいいんじゃないのか」