タイムスリップ 60’s

(ストーンズ狂として知られる)作家の山川健一さんが、

高校生の頃、遅刻して学校に行き、やる気のないぼくは視聴覚室の最後列に腰掛けた。隣の席にいた、机に突っ伏していたぼくと同じような落ちこぼれの友人が顔をあげ、言った。
「ブライアンが死んだよ」
『朝日新聞』の片隅に小さな記事が載っていたのだそうだ。信じられなかった。ものすごい衝撃を、少年だったぼくは受けた。

と雑誌の記事の中で書かれていた。

そこで私は思ったのだ。
「この新聞記事を探そう!」

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ブライアンが亡くなったときの記事を探しに行く

古い新聞を閲覧できるところを検索。(ブライアンが亡くなったのは、1969年7月3日)

新聞の図書館のような施設に足を運んだ。

時差があるので、その日の新聞には載っていないだろう。

と思いながら、お葬式があった1969年7月10日後くらいまで、ザッと目を通してみましたが、見つけることはできず。

当時の日本におけるストーンズの知名度はどれくらいだったのか?

もしかして、驚くくらいの小さな記事だったのではないか?
見出しもないくらいの、それこそ、数行だけの。

何度か見直してみたけれど、やはり見つけることができず。

頭もボーッとしてきて、疲れた私は、探しながら、ふと思った。

先日のブログで書いた通り「偶然なんてない」「全てのものに、なにか見えない力が働いている」のだとしたら、私がこれだけ見直しても見つけられないのは「偶然」なのではなくて、ブライアンのファンの1人である私に、「ブライアンの死を伝える記事」を見せたくない何かの力が働いているのではないか?と。
(実は集中力がないだけなのに、物凄い思い込み;)

「こんなことしてても、時間ばかりかかってしまう! 閉館時間も迫っているし!」
と焦った私は、
「キーワードで記事を検索できるかどうか」
と聞いてみた。

検索はできたのですが、全ての記事を検索できるわけではないということで、案の定、ブライアンの名前で検索してもヒットしなかった。

「ストーンズ」をキーワードにしても、ヒットせず。

そこで、それまでは日付の範囲指定をしていたのをはずしてみた。

「ストーンズ」のキーワードでヒットした記事

1stアルバム

「ストーンズ」で何件かヒットし、そのうちブライアンの生前の記事は1件だけ。
1965年2月17日(朝日新聞・夕刊)に載っていた記事である。

「米で大人気 ローリングストーンズ五人組
ビートルズの向うをはるローリング・ストーンズのレコードが、日本でも出まわってきた。ビートルズとおなじイギリス出身で、ミック・ジャガー、キース・リチャードらみんな二十歳前後の五人組。グループ結成は三年まえ、髪、かたちはビートルズと似ていても、むこうがロックン・ロールなら、こちらはリズム・アンド・ブルースでと各地を演奏し、昨年の「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」誌の人気投票ではリズム・アンド・ブルース部門で一位になった。アメリカの若いジャズファンにたいへんな人気があり、この春は三度目の渡米がうわさされている。
日本でも昨春キングが出した「彼氏になりたい」など、これまでにシングル盤六枚、「ザ・ローリング・ストーンズ第1集、第2集」とLP盤も二枚出ているが、ビートルズとくらべると、日本のファンはまごついている感じ。それでもぼつぼつ話題になりだし、ラジオのヒットパレードにもよく登場する。昨年暮れ発売の「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」もかなり売れた。この二月末にはヒット曲の「リトル・レッド・ルースター」(64年、イギリス、ベストセラー一位)も発売される」

今、キーボードを叩いていてあらためて気がついたのですが、ミックとキースの名前しか出てませんね……

でも掲載されているジャケット写真は、ブライアンが一番いいポジションの、1stアルバムのです。

それと、やはりここでも、ビートルズとくらべられていますねー

ブライアンが亡くなったころのビートルズ

ビートルズといえば、ブライアンの記事を探していて、まず最初に見つけてしまったのは、この記事です。

1969年7月2日(朝日新聞・夕刊)
ジョン・レノンが事故にあったという記事。

「レノン一家が負傷  ドライブ中に事故
【インバネス(英スコットランド)一日発ロイター、UPI=共同】
ビートルズのジョン・レノン、小野洋子夫妻は一日、休日を利用してスコットランド地方をドライブ中、交通事故を起し、病院に収容された。
警察の発表によると、二人のこどもも病院で加療中だが、病院側は「重傷者はいない」というだけで、詳しい説明を避けている。
レノン氏(二八)はアゴを切り、洋子さん(三四)はレントゲンで検査中、レノンの子ジュリアン君はムチ打ち症の疑いがあり、洋子さんの娘はクチビルを縫ったといわれる」

この記事のほうが目につくくらいの位置に掲載されていたというのは、当時の日本では、やはりビートルズの知名度が高かったということでしょう。事故にあったというだけで、記事になっているのですから。

ちなみに7月1日の交通事故ですが、大体、次のような事故だったようです。

スコットランド、サザーランドにある町ダーネスの伯母を訪ねた後、滅多に運転をしない上、注意散漫の傾向があるジョン・レノンはゴルスピー近くの田舎道でカーブを切りそこね、車は横転。溝に落ちてしまった。

ジョンは顔を17針、ヨーコは14針、京子(ヨーコの娘)は4針を縫う怪我を負った。

ジュリアンは軽症だったが、ショック状態だった。

他の車を巻き込まずに済んだが、彼らはローソン記念病院にかつぎこまれる。

シンシア(ジュリアンの母親、ジョンの前妻)がジュリアンを迎えに行く。

そして、この時期のビートルズの活動と、ジョンの事故を重ねてみましょう。(ビートルズはレコーディングを行う予定だったらしい)

7月1日 ロンドンのスタジオにはポールだけ

7月2日 ジョン以外のメンバーが集まる。(ジョンは事故のため来られず、メンバーは心配する)

7月6日 ジョン、ヨーコ、京子はゴルスピー病院から特別チャーターしたヘリコプターでロンドンに戻る。ジョンは次のように語ってゴルスピーの地元紙を喜ばせる。「自動車事故を起こすならスコットランドに限る。むこうの病院は最高だったよ」

7月9日 ジョンもスタジオに来る。ヨーコも一緒に来たが、ジョンよりも重症だったため、ベッドごと運び込まれる。(スタッフ、メンバーからヒンシュク?)
ジョンは事故車をスタジオに運んできて、みんなに見せる。(事故のひどさを見せたかったため?)

ジョンはブライアンと親交があったので、偶然?見つけたジョンの記事についても書きました。

目を通した資料を参考にしたので、もしかして間違っている部分があるかもしれません。

間違いに気づいた点があったら、教えてくださいませ。

活躍していた様子を確認して欲しかったのかな

最初のお目当ての記事を見つけられなかったことも偶然ではなくて意味があるのだと考えれば、ブライアンは自分の「死亡記事」よりも、活躍していた記事を見て欲しかったのだと思えたりします。

「”死んだ”ことを確認するような記事なんて見なくていいよ。それより、活躍していたことや、演っていた音楽をもっと気にしてよ」
ということなのかも。

そう、ファンの心の中で、いつまでも生きているっていうことが伝えたかったのかも!

やっぱり彼の死に涙しているだけではなくて、もっともっと彼が遺してくれた音楽に心踊らせよう!

なんて、ものすごい勝手な思い込みの末に思ったのでした。

Brian,Forever……♪

追記
記事のコピーをとってきたので、本当はそれも掲載しようと思いましたが、いろいろ難しい問題があるようなのでやめておきました。