ブライアンはストーンズを辞めたかったのか?

「ローリング・ストーンズ解体新書」(中山康樹著、廣済堂新書)を読んだ。

まず気になったのは、
2007年に出版されたマリアンヌ・フェイスフル回想録「メモリーズ・ドリームズ・アンド・リフレクションズ」に書かれているという下記の下り↓

「ジョージ・ハリスンとブライアン・ジョーンズは似ていた。でもそっくりというわけではなかった。ジョージは、いうなればブライアンのポジティヴ・ヴァージョンだった。それにブライアンには、曲が書けなかった。ただし、私の知る限り『ルビー・チューズデー』はブライアンとキースが一緒に仕上げた曲だった。ミックは何も関わっていない。曲の作者はミックとキースになっているけれど」

というのを読んで、
以前、
”当たり前”のことなんて、ない。
で書いたことをあらためて思い出した。

”ルビー・チューズデー”はブライアンとキースが仕上げた曲だというところ。

ミックは『Sister Morphine』のクレジットに後からマリアンヌの名が加えられたことを不満そうに話し、
同時に、”ルビー・チューズデー”の制作には自分は関わっていない、と話している。
以前も書いたように、ここには、なにか意味があるような気がするのだ。

マリアンヌの名がクレジットに加わったことも、
”ルビー・チューズデー”の制作にも、
両方、キースが関わっているようだし。

私の考えすぎかもしれませんが。

そして、何よりも、この本の中で気になったのは、

ブライアンは死ぬまでストーンズの中心だった。

という記述だ。

この件に関して、掲載されている対談の中で、
小浜文晶氏(ローソンHMVエンタテイメント」が下記のように語っている。

「ミックやキースがブライアンを”お荷物”に感じていた時期はまったくといっていいほどなかったと思います。当時はドラッグの種類がどんどんへヴィーになっていた時期でもあるので、バンド内に特有の倦怠感はあったかもしれませんけど、いずれにせよ彼らの音楽的な方向性はブライアンの閃きや知恵、あるいはアンテナの感度にかかっていたんじゃないかなと」

確かに、ドラッグでボロボロになっていたばかりのように語られているブライアンだけれど、
最期の時まで、音楽に対する情熱は失われていなかったと思える。

当時はあまり評価されていなかったかもしれないけれど、
ストーンズにおけるブライアンの音楽的貢献は多大だったと思う。

しかし、ここで浮かび上がる大きな疑問がひとつ。

では、何故、ブライアンはストーンズをクビになったのか?

ドラッグ騒動で、アメリカツアーに参加することが出来なくなってしまったから、
ドラッグや精神的な問題から、演奏もままならない状態になってしまったから、
などが、考えられる理由でしょう。

しかし、こんなふうにも考えられないだろうか。

実は、ブライアン自身がストーンズを辞めたくて、クビになるようにしむけた、のだと。

何故、潔く自分から辞めなかったのかと言えば、
自分がゼロから作り上げたストーンズには大きな愛着があり、踏ん切りがつかなかったから。

また、自分が抜けたら、こいつら(他のメンバー)やっていけないんじゃないかと、
自分が集めたメンバーや、自分が創ったバンドに対する責任も感じていたから。

ブライアンは、
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の聴き方が変わる本
で書いたように、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」が出来たときに、
ストーンズのメンバーの音楽的成長を実感したのでしょう。

そして同時に思ったのかもしれない、
メンバーは自分が離れたとしても大丈夫な実力をつけたって。

ブライアンは自分のやりたい音楽を自由にやりたい、
ストーンズの中にいたら、健康な自分を取り戻せないという危機感を持ちながら、
「ストーンズを辞めるべき」「でも愛着がある」「離れがたい」
というジレンマの中に、長い間、いたのではないだろうか。

「辞めたい」「もう辞めてもいい」
の比重が大きくなり、
それでも、人との関わりをきっぱりと切ることが苦手なブライアンは、
特にストーンズのメンバーとの関係は切り難く、
だけど、ここから抜けなければ、自分の音楽的未来はないと感じ、
自分から辞めるのではなく、
自分がクビになるよう、
結果的に、メンバーから自分をクビにさせることに成功したのではないだろうか。

アニタ・パレンバーグもこう語っている。
「ブライアンはバンドから追い出されたっていわれてるけど、私はその逆だったと思ってるの。
ブライアンはずっとリズム・アンド・ブルースに取りつかれてた。やめた理由はそれだけよ」

つまり、アニタは、ブライアンがストーンズから離れて行ったと言っているのだ。
いろいろなことはあったかもしれないけれど、
クビにしなければならないほど、他のメンバーとの信頼関係が壊れたとも思えない、
そして、音楽的にも”ブライアンがお荷物”だったわけでもないならば、
そう思う以外ない気がする。

そう、
ブライアンは、ストーンズを辞めたかったのだ
と。

それは、音楽を愛するが故の、内から沸き上がる激情だったのでしょう。

何かを得るためには何かを失わなければならない。

自らが創ったにも関わらず足かせになってしまった、でも愛着があるローリング・ストーンズという檻から飛び出すことで、
自らの音楽人生を歩み続けることを得ようとしたのかもしれない。

同著の中では、
ブライアンはブルースに執着していたわけではなかった
というようなことも書かれているのですが、
私には、ブライアンには音楽的に絶対に譲れない何かがあったような気がしている。

それがブルースだと思っていたのですが、
ブルースではないとすれば、なんなのでしょう。
ブルースというジャンルというよりも、ブルースが持つ精神性でしょうか。

でもブライアンがアフリカの音楽に興味を持ったのも、
ブルースのルーツがアフリカにあるから、と思ったからで、
何故そう思ったかというと、ブルースを演る黒人のルーツはアフリカだと思ったから、
という流れなのかと思っていましたが、
それも違うのでしょうか。

ストーンズをクビになった後、ブライアンが亡くなったことで、
ブライアンはストーンズの創始者にも関わらず、バンドを追われ、亡くなってしまった悲劇的な立場になり、
ブライアンをバンドから追い出し、追いつめたミックやキースとは大きな確執があった、
という結果的にドラマティックなエピソードを作り出すことになってしまったのかもしれませんが、
その演出までブライアンが考えていたとしたら、すごすぎる。
まあ、それはないでしょうけれど。

それにしても、
アンドリュー・ルーグ・オールダムが言ったという、
「ローリング・ストーンズは単なるグループではない。生き方そのものである」
という言葉は印象的だ。

酒と女とドラッグを好き放題、楽しくやっている、かっこよく生きている、
と見せかけて、
彼らほどストイックに生きている人たちはいないのかもしれない。

そして、その大きな支えになっているのが、ブライアンの魂である、
というのは、ブライアンフリーク故の、都合のいい解釈でしょうか。

さて、ローリング・ストーンズとジャジューカのコラボです!
「continental drift」!


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