ブライアンとキース・リチャーズ part9

「ボブ・ディラン自伝」を読みました。

内容や文章のボブ・ディランの印象としては、”繊細な詩人”。

少なくとも粗野な感じは全くなく、女とアルコールとドラッグに溺れて、舞い上がっていた人、という感じでもありません。

ブライアンについても書かれているかな~と思ったのですが、語られることなく。
1987年頃のエピソードで、マリアンヌ・フェイスフルの名前は出てきましたけど。↓

マリアンヌ・フェイスフルが新しいレコードを録音中であるという記事もあった。彼女は印象的な女性で、わたしは昔、よく知っていた。彼女とは長いあいだ会っていない。新聞の記事には、ミネソタにあるヘーゼルデン医院で薬物依存症の治療を受けたあと、彼女が人生について新たな考えと感覚を持つようになったと書かれていた。彼女のためにはいいことだった。

”よく知っていた”とは……、意味深~っ

確かボブ・ディランはマリアンヌに迫っていたという話があったような。

それと先日、nicoのビデオを観ていたら、突然ブライアンの写真が出てきて驚きました。

nicoに惹かれて、周りにいた男性たち、みたいな感じだったかな?

nicoとの2ショットは、モンタレー・ポップ・フェスティバルに行った時のものが有名?ですよね。

ブライアンはnicoをボブ・ディランに紹介し、ボブ・ディランは彼女をアンディ・ウォーホルに紹介し、nicoはウォーホルの映画に出た、というつながりがあるようです。

いくつかのエピソードを知ると、ブライアンって、結構世話好きな人だったのかなと思えてきます。

たぶん、ブライアンは”お兄さん”的な一面を持った人だったのでしょう。(nicoの方が年上ですが)

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ものすっごく間があきましたが、「ブライアンとキース・リチャーズ part8」の続きです。

1964年~1965年、ツアーにおけるメンバーの行動パターンは次の通りだそうです。

チャーリーは、家を離れた孤独感にさいなまれ、妻のシャーリーが恋しくてたまらない。

ブライアンとビルは、どちらがたくさんの女の子をものにできるか、競い合っていた。

ミックとキースは、曲作りに夢中だった。

ブライアンはイギリスのツアーではステージに上がらないこともあった。

アメリカ・ツアーの時には、体調を崩し、キースは一人でギターの演奏をしなければならなかった。

ブライアンをはずそうという考えも出てきていたが、ブライアンは勇ましい立ち直りを見せ、バンドはそのまま続いていった。

さて、今回は音楽的なことは後回しにして、この頃ブライアン(ストーンズ)に関わってきたアニタ・パレンバーグについて書いてみます。

part8で、
1965年9月14日、ミュンヘンでのコンサートのバックステージで、ブライアンはアニタ・パレンバーグに出会います。
と書きましたが、どうやらこれ以前に、アニタはブライアンを見かけていたみたいです。

ドナルド・キャメル(後にミックとアニタが出演する映画「パフォーマンス」の監督)のパリのアパートで。

アニタはここで、女連れのブライアンを見て、こう呟いた。
「見てらっしゃい。二ヵ月後には、あの男はわたしのものよ」(※注:「ブライアンとニコ(nico) part2」で書きましたが、どうやらこのときアニタだと思われた女性はニコの間違いだったようです)

その後(1965年9月14日)、アニタはバックステージでブライアンに接近し、それから二人の付き合いが始まります。(当時、ブライアンには彼女がいて、すぐにアニタと真剣に付き合い始めたわけではないようなのですが)

この頃、ブライアンとの仲がよくなかったキースは、初めてアニタに会った時、
「『こんな女がブライアンとなにをしてるんだ?』っていう感じだった。アニタは信じられないくらい強くって、ブライアンよりはるかにしっかりしていて、自信にあふれていて、一方ブライアンときたら不安の塊だったもんな。なんであんなやつと付き合ってるのか、理解に苦しんだね」
と思ったという。

――誰から見ても、アニタは強くて、”誰よりも長生きしそうな”タイプだったという。

誰からも”早死にしてしまいそう”と思われていたブライアンとは正反対……。

一方アニタは、
「キースとミックが『この奇妙な女はなんだ?』みたいな目つきで見交わしていたのは知ってたわ。特にミックは意地悪だった。でもちっとも嫌な気分にはならなかった。今でも彼とは一言で話が通じるもの。でも、わたしがブライアンと付き合ったり、ストーンズのまわりにいるのをいちばん嫌っていたのもミックだった」
と語っている。

キースの発言↓
「ブライアンとおれは、ずっと仲が悪かった。65年から66年にかけて、彼はミックとおれを対立させようとしていた。ブライアンは、人の気持ちを操りたがる。一年中働きづめの時、そういう振る舞いは迷惑だよ。――10日も休みをとりたいって? 冗談じゃあない。アルバムを作らなければならないだろうが。そんな優雅なこと言っていられない。そうするとブライアンは、アニタに泣きつく。――おれは、毎日ブライアンと仲良くしていられるようにと、自制しなけりゃならない。それで、なおさら、おれもアニタの機嫌をとるようになる。正直、どういうことかというと……、五分五分だと思うんだよな。アニタが魅力的であればあるほど、おれは戸惑いを覚えた。彼女は、何でも知っていた。五ヶ国語も話せる。同時に、おれは、ブライアンのことも心配だった。気がついてみると、おれはブライアンにかかずらっている。彼は、ちょっと喜んだみたいだった。それがミックに対して優位に立てる、と思って喜んでいたのかどうかは、わからない。ふたりの人間を対立させようとするブライアンの真意がどれほどのものだったのかは、未だにわからないけれどね。対象が誰であろうと、どういう状況であろうと、ブライアンは、そういう成り行きにしてしまうんだよ」

――ブライアンがアニタに泣きつく……、
ブライアンにとってアニタは母親的な存在でもあったのでしょうか? 泣きつけば自分を助けてくれて守ってくれる存在。

でもアニタを母親のように思って依存する……、というのは、アニタのキャラクター的には無理があるように思います。

この当時のブライアンにとって、自分を守ってくれる存在は、必要なものだったのかもしれませんが。

ロンドンのブライアンのフラットに移ってきたアニタは、コートフィールド1番地のこの場所に「グランド・セントラル・オブ・ロック」と名づけたサロンを作り上げた。

アニタとブライアンは似たような服を着、顔もそっくりで、ジプシーの王侯夫妻よろしくこの場を支配していた。

※引用※
アニタとブライアンの居間はろうそくを灯した洞窟のようで、一方の壁の全面ほとんどが窓になっていて、地下鉄のグルースター・ロード駅を望むことができた。映写機やテレビの前には、優雅なアンティークの椅子が並び、ドイツ製の羽毛入りクッションが床に散らしてあった。部屋の一方には凝った作りの小さな螺旋階段がバルコニーへと続いていて、その天井にはモロッコの巨大タペストリーが下がり、さらにこれを二分する形でセブン・アップのポップ・アート風ポスターが下がっていた。このタペストリーの向こうがアニタとブライアンの寝室だ。

ここに出入りしていたメンバー、美術商のロバート・フレイザー、写真家のマイケル・クーパー、トニー・サンチェス、マリアンヌの夫のジョン・ダンバー、紳士服のデザイナーのマイケル・レイニー、映画監督のドナルド・キャメル、画家のバルツスの息子スタッシュ・クロウスキーが、グループの中核を作っていた。

テリー・サザン、ウィリアム・バロウズ、ブリオン・ジシン、ケネス・アンガーも出入りしていた。

またポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、エリック・バートン、ピーター・ヌーン、スペンサー・グループなども定期的に顔を出していた。

ギネス家の跡継ぎタラ・ブラウンは、ブライアンの親友となった。

古物商のクリストファー・ギブスも常連だった。

――すごいメンバーですね。

アニタと一緒にいることで、こういうメンバーが集うサロンの中心にいられたというのは、ブライアンにとって今までにない刺激的なことだったのかもしれません。

ブライアンつながりで、モロッコ、ポール・ボウルズ、ウィリアム・バロウズ、ビートニクあたりにも興味を持ち始めた私ですが、ウィリアム・バロウズもここに出入りしていたとは!(彼はあまりロンドンは好きではなかったと、バリー・マイルスの著書に書いてありましたが)

キースの恋人だったリンダ・キースと、ミックの恋人だったクリッシー・シュリンプトンはアニタのことを誉めていますが、写真家のジェレッド・マンコウィッツは、
「彼女は美しくて粋で60年代の女性の典型だった」
と言いながらも、

「でも私から見れば、彼女は邪悪で、策士で、ずるがしこい女だ」
とも言っている。

しかしブライアンとアニタがうまくいっていたかと言えば、そうでもなかったようで――、
ブライアンが主導権をとろうとすればするほど、喧嘩は激しさを増した。

特にアニタの女優の仕事についてよくもめていて、アニタが貰ってきた映画の台本をブライアンは破った。

しかしブライアンだけが暴力的だったのかというと、そういうわけでもなかったようで――、

ジョン・ダンバーの証言↓
「どこかのパーティーでぼくが階段をのぼっていたら、彼があのとびっきりの美女に殴られたんだ。もろにね。もちろんアニタがブライアンをぶん殴ったのさ。ほんとうに殴り倒したって感じだったよ。そりゃあ、見ものだった。まったく感動したね。ブライアンとアニタの関係にはいつだってすさまじいものがあったんだ」

1966年10月、キースがこのフラットに転がり込んできた。

アニタに惹かれていたキースだったが、ブライアンとの仲を壊したくはないと思っていた。

ブライアンはキースが戻ってきたことに大喜びだった。ミックがこの場にいないのだから尚更だった。

ブライアンとキースとアニタは信じられないほど清い関係を保っていた。

この三人に加えロバート・フレイザーとマイケル・クーパーは毎日会い、その中心にいたのはアニタだった。

1967年初頭には、ブライアンはアニタが出演するドイツ映画「A Degree Of Murder」のサウンドトラックの作曲と録音を始めていた。

2月8日には、ブライアン、アニタ、キースはミュンヘンに飛び、アニタの役について話し合った。

2月10日に、ミュンヘンから戻ったキースは、EMIのアビーロード・スタジオで行われたビートルズのセッション「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に参加した。

――あれ? 以前書いた「ブライアンとビートルズ」では、ブライアンもこのセッションに参加したと書いたのですが……??

2月12日、キース、ミック、マリアンヌらが他の数人とレッドランズでドラッグ・パーティーをしていたところに、8人の警官が乗り込んだ。

その前夜、にブライアンとアニタもレッドランズに到着している予定だったが、サウンドトラック作りでスタジオに残っていたため、間に合わなかったのだ。

「今そちらに向かっている」
とブライアンが電話を入れたとき、キースは、
「今ちょうど、手入れにあったところなんだ」
と答えた。

え~、今回は特にブライアンにとってもストーンズにとっても重要な人物となるアニタのことに重点をおいて書いてみました。

しかし、このブログ、既にpart9……。
戸惑いつつも、まだ先を続けたいと思います。