ブライアンとミック・ジャガー part4

part3の続きです。

1967年2月5日の『ニュース・オブ・ザ・ワールド』というタブロイド紙に載った記事を読んで、ミックは怒り狂った。

それは、ブライアンをミックと間違えて、ブライアンがケジントンのクラブ《グレイセス》で語った言葉をミックの発言として掲載したものだった。

ブライアンは自分のドラッグ歴について話し、その場でもドラッグをやり、近くにいた女の子にドラッグをすすめていた……

その夜、ミックはテレビのトークショーで『ニュース・オブ・ザ・ワールド』を名誉毀損で告訴するつもりだと発表した。

このことで体制側の堪忍袋の緒が切れたのだろうか。

その週の土曜日、レッドランズでドラッグパーティーを楽しんでいたところ、匿名の情報提供者(これはブライアンの映画でブライアンに手をかけたとされているフランクだったとも言われている。当時はキースのところで働いていた)が、『ニュース・オブ・ザ・ワールド』にたれ込んだ。

警察がレッドランズにやってきた。
(このことはマリアンヌのブログで書いたので、細かくは書きません)

事件を揉み消すようにと、警察に1万2000ポンドの賄賂を渡した。

強制捜索から一週間後、またもや『ニュース・オブ・ザ・ワールド』に実名は出してはいないものの、この事件のことが掲載された。

一ヶ月が過ぎたが、罰金ひとつかかってこなかった、
ミックはモロッコにバカンスに出かけることにした。

同じ頃、ブライアンは、アニタとキースと共に、モロッコに向かっていた。

途中、体調を崩し、入院することになってしまったため、ブライアンを残し、キースとアニタは先に行くことになる。

そしてここでキースとアニタはあやしい関係(この表現はどうなんでしょう?)になってしまい、結果的にアニタはブライアンを捨て、キースの元へと行くことになってしまったのだ。
(モロッコ置き去り事件)

この時のブライアンの心境を、ちょっと考えてみましょう。

まず、ブライアンはキースとアニタの仲が、なんとなく怪しい、とモロッコに向かう前から気づいていたのでしょうか?
(当時、一時的に3人は同居していたはず)

(1)なんとなく気づいていた。
(2)全く気づいていなかった。

そして、何故、自分を置いて2人を先に行かせたのでしょうか?

この時はちょうど、ブライアンの誕生日で、ひとりで病院のベッドの上で誕生日を向かえるのは寂しかったと思えるのですが。

何故、先に行くようにと言ったかについて、
(1)自分のために迷惑はかけられない、自分のことは心配無用だと強がった。
(2)「誕生日のあなたを一人にはできないわ!」とアニタに言って欲しかった。

何故、アニタとキースを2人だけにしたのか、について、
(1)2人のことを信じていたし、2人の間の感情にも気づいていなかったので、なにも心配せず、2人を先に行かせた。
(2)2人の間の感情にうっすらと気づいていて、2人きりにしたらどうなるのかと試してみた。

うーん、どうなのでしょう?

考えてみても意味はないことはわかりつつ、少し妄想してみます。

2人が惹かれあってることに、少しは気づいていたのかもしれません。

でも、まさか2人が自分を裏切るとは思っていなかったのでは。特にキースが自分の恋人とそういうことになってしまうなんて、思わなかったのではないか……

あとですね、恋する人の感情として、相手を試したくなる、というのはわかるような気がします。

なんとなく相手が「(自分以外の人に)気があるんじゃないか」と思ったとき、賢いやり方としては、その人と恋人を会わせないようにすることですが、一見アホだと思えるようなことをしちゃうことがあるのです。

わざと2人を会わせてみる、みたいな。

でも本音としては、恋人が、それでも自分を選んでくれることを望んでいるのです。

ブライアンは、もしかしたら、そんな気持ちだったのかも、しれません。

でも、そうだとしたら、モロッコにブライアンを残したまま、キースとアニタがいなくなってしまったとき、ブライアンは取り乱したでしょうか。

ブライアンのショックの受け方を考えてみると、2人の間の感情には何も気づいていなくて、いきなり信じていた人たちに裏切られ大きな衝撃を受けた、ということだったとも思えます。

それとも、自分でしかけておきながら、自分を絶対に裏切らないと思っていた人たちに裏切られたショックだったのでしょうか。

と、うだうだと妄想していたら、「キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ」(バーバラ・シャロン著、CBSソニー出版)の中に、そのヒントになるような記述を見つけました。

1966年のアメリカー・ツアーで、ブライアン、ミック、キースは、ある程度和解できたのだそうだ。

彼らは毎晩のようにマリファナですっ飛んでいて、ひとつのものに入れ込む共感からか、3人は以前のような親しさを取り戻していた。

アニタが合流し、キースと親しくなってもブライアンは嫉妬もしないほど、グループは心地よい喜びにあふれていたという。

※「キース・リチャーズ 彼こそローリング・ストーンズ」より引用(キースの言葉)※

みんなとうまくやっていけて、ブライアンは本当に幸せそうに見えたよ。これでしばらくアメリカ・ツアーはやらないつもりだったから、お祝いしたほどの気分だった。

そしてツアー後、突然ひとりぼっちになってしまったキースは、ブライアンとアニタのアパートに転がり込んだのだ。

こうやって考えてくると、ブライアンが語っていた言葉、
「どうしておれは嫌われるんだ? どうしてみんなおれに反対ばかりするんだ?」
というのは、周りに同情を求めた単なるブライアンの弱音だったというよりも、本音だったのだろうと思えてくる。

ブライアンは自分が作ったグループの中で、なんで自分が孤立してしまうのか、なんで辛く当たられるのか、本当にわからなくて混乱していて、「どうして? どうして?」と考えながら、みんなとうまくやっていけないことに、心を痛めていたのだろう。

だから、このアメリカ・ツアーで、ミックとキースと再びうまくやっていけそうになったとき、心から喜んだのだ。

キースのことも信じていたから、まさかそのキースが自分からアニタを奪ってしまうなんて、思いもしなかったのではないだろうか。

ミックとキースと和解できて喜んだのもつかの間、結局、ブライアンは、自分を絶対に裏切らないと思っていた2人(恋人と仲間)に同時に裏切られてしまったのだ。

……と書くと、やけにドラマチックですが、アニタとの別れはなるべくしてなったような気もしているのですが。

3月18日、賄賂を払ったにも関わらず、ミックとキースは起訴された。

5月10日、ミックとキース、友人のロバート・フレイザーは地方判事の前で無罪を主張し、250ポンドの保釈金で6月の裁判まで解放されることになった。
その4時間後、ブライアンとその取り巻きスタッシュが、チェルシーのブライアンのアパートで麻薬所持で逮捕された。
ミックとキースの保釈に合わせてブライアンを逮捕したのは、イギリス当局がストーンズに対して宣戦布告したことを広く世間に宣言するものであった。

6月27日、ミックはウェスト・サセックス裁判所の証言台に立った。
80人のファンが傍聴席を埋め尽くし、何百人ものファンが裁判所のまわりに集まった。
証人のスタンレー・カドモアー部長刑事は、ミックの服のポケットから薬を4錠発見したこと、ミックがそれを自分のものだと認めたことを証言した。(実際にはその薬はマリアンヌのものだった)

陪審員は”有罪”の評決を下した。

判決は翌日のキースの裁判まで待つことになり、ミックは手錠をかけられ、リューズ刑務所へと護送された。

翌日、キースが証言台に立ち、陪審員が70分かけて出した評決は”有罪”だった。

ブロック裁判官はキースに「懲役一年、罰金500ポンド」の判決を、ミックには「三ヶ月の懲役、本裁判費用として100ポンドの支払い」を科した。
(一緒に判決を受けたロバート・フレイザーは「懲役六ヶ月、罰金200ポンド」だった)

裁判所に向かっていたマリアンヌはラジオで判決を聞いて泣き崩れ、留置所のミックに面会した。

青い顔をして泣きじゃくるジャガーは、完全に神経がまいってしまうぎりぎりのところにいた。フェイスフル(マリアンヌ)は彼がこれに耐え切れるかどうか心配になりはじめた。
判決の厳しさに抗議して世界中のラジオがノンストップでストーンズのレコードをかけ、黙祷を呼びかけたりした。何千人もの人々がアメリカやヨーロッパのイギリス大使館に抗議におしかけ、「ストーンズを釈放せよ」と訴えた。フーは急遽、オリジナル・バージョンで<アンダー・マイ・サム>と<イッツ・オール・オーヴァー・ナウ>を吹き込み、ミックとキースが不当にも鉄格子の中に囚われているかぎり彼らの音楽を流し続けると誓った。

翌日、ミックとキースは7千ポンドの保釈金を払って釈放されたが、マスコミでは賛否両論の意見が議論され続けた。

ストーンズの肩をもった発言でもっとも意外で強力だったのは、カタブツで知られた『ロンドン・タイムズ』の記事だった。

”車輪の上の蝶を殺すのはだれか?”というタイトルで、ミックが有名人ではなかったら、このような扱いは受けなかっただろう、というような内容だ。

7月31日、英国首席裁判官パーカー卿はミックの懲役刑を破棄して、一年間の保護観察処分を言い渡した。

キースへの判決は破棄された。

ミックはグラナダ・テレビの番組『ワールド・イン・アクション』に出演し、白髪交じりの弁護士や神父、博士たちを相手に、自分がはっきりと物を言う、思慮深い、必要とあれば、すばらしい教養人になれるところを見せつけた。

一方、ブライアンの調子は悪くなるばかりだった。

逮捕されたことで、彼は更に荒れ、今まで以上にトランキライザーに頼るようになり、そのあげく深い欝状態になり、妄想狂はひどくなった。

ブライアンのストレス解消方のひとつはショッピングで散財することだったが、そのことも、新しい恋人スキ・ポワティエも救いにはならず、裁判を控えたブライアンの神経は完全にまいっていた。

精神医レナード・ヘンリー博士はブライアンを修道院療養所へ入院させた。

……以前、ビルの著書を参考にしながら、「ブライアン・ジョーンズな日々」というタイトルで書いていたのですが、ドラッグ逮捕のあたりで、中断になっているんですよね。

続きを書いてないことには、気づいているんです。

でも、この先はブライアンがどんどん落ち込んでいくので、書くのが辛くて、続きを書けないままになっているのです。

あのブログの続きはいずれ書くつもりではいますが、ミックとブライアンについて書いているこのブログも、その書けなかった辛い展開のところまできてしまいました……(/_;)。

とりあえず、このブログから、この先を続けます。

というところで、後日に続きます。