ブライアンとミック・ジャガー part6

お盆休み真っ盛りです。
平和な入道雲を見上げて、ホッとしたりしてます。

ブライアンを知ってから、ほぼ1年経ちました。

私がブライアンを知ったのは映画で、去年(2006年)の8月14日にその映画を観たブログを書いているので。

”にわか”な私が、自分勝手にこんなブログを書いて、もしも古くからのブライアンフリークの方が読んでくださった場合、気を悪くされないだろうか……、と心配になりつつも、書いています。

大目に見てやってください……<(_ _;)>

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part5の続きです。

1967年12月12日、アルバム「サタニック・マジェスティーズ」がレコード店に並んだ。

アンドリュー・オールダムの離脱、ドラッグ裁判の中、当時としては破格の制作費用(10万ドルを優に超える)をかけ、前のアルバム「ビトゥーン・ザ・バドンズ」を出してから1年近く経ってから、ついに完成したアルバムだった。

ミックはビートルズの「サージェント・ペパー」のような大ヒットを夢見ていた。

ところが、まもなくこのアルバムは「サージェント・ペパー」の下手な物まねであると各方面からけなされ、まぎれもない失敗作として終わることとなる。

同日、ブライアンは裁判所で判決を待っていた。

傍聴席にはミックが来ていた。

前回の裁判と同様に、精神科医の証言があった。

パーカー裁判長は「懲役9ヶ月、執行猶予3年、罰金1000ポンド」を科した。

退廷するとき、ブライアンは廷内にいたもうひとりのストーンズのメンバーのほうを見て微笑した。彼の精神科医によると、ブライアンは最後にジャガーがやってきて心の支えになってくれたことが「涙が出るほどありがたかった」のだ。

しかし、刑務所行きを逃れたブライアンは、その後ドラッグをやり、バカ騒ぎを続け、わずか30時間後には病院行きとなった。

1968年、政治家になる野望に突き動かされる一方で、ミックはNO.1ヒットになる曲を出さなければと思っていた。

「黒くぬれ」以後2年というもの、NO.1を取っていなかったからだ。

ヒット曲は、ビルの時間つぶしのピアノ、それにブライアンとチャーリーがリフをつけたところから生まれた。

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」だ。

30分後にやってきたミックとキースは仰天し、それから一時間足らずの間にミックが歌詞をつけた。

音楽的にいうと、この曲は待望されていたロックの原点への回帰を果たした。異様に屈折した歌詞はまるで狂ったわらべうたのようで、1パートはミックを切り裂きジャックに見立て、残りの4パートでは悪魔に見立てている。新しくプロデューサーになったジミー・ミラーの指揮でストーンズは完璧なレコーディングをやってのけ、ブライアンですらストーンズがまたロックンロールの世界に帰ってきたぞ、と吹聴したほどだ。

プロモーション・フィルムでは、ブライアンは髪の毛を茶色に染め、ふちがグリーンのサングラスにオレンジの口紅をつけていた。

ミックは額に刺青をつけ、金色で出陣化粧をほどこし、現代のラスプーチンのようにカメラのほうをにらんでいた。

この曲は一気にトップに躍り出た。

↓コチラ↓

こうやってミックに関するブログを書いてきて、ふと思いました。

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」こそ、ミック自身なのではないかって。

part1の冒頭に「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の歌い出し、”I was born in a cross-fire hurricane”はミックの実体験でもあるのかも?と書きましたが、本当にミックは自分と、この歌詞を重ねていたのかもしれません。

業界に入った当初は訳もわからず、迷いもあって、自信もなかった。でも――
”でも もう大丈夫 俺はジャンピン・ジャック・フラッシュ! そいつは冗談 冗談 冗談”
(But it’s alright now….I’m jumpin’ Jack Flash It’s a gas, gas, gas)

……ミックはこの頃、確かな自信を手にしたのかもしれません。

「もう大丈夫、俺はジャンピン・ジャック・フラッシュなんだから!」、と思い込めるほどに。

しかしブライアンの状態はひどくなる一方だった。

ミックは次のアルバム「ベガーズ・バンケット」用に、ブライアンに一曲作らせることを承知したが、アルバム制作のためにギタリストのエリック・クラプトンとデーブ・メーソンが参加してくると、ブライアンはみんながグルになって自分をいじめていると信じ込んだ。

ミックとキースを責めるブライアンを、
「愚痴ばかり言ういやなやつ」
とミックはののしった。

ブライアンは、
「リーダーはいないし、メンバー全員が平等なのだと合意したはずなのに、自分がリーダーになりたがるのはどいういうわけだ」
とミックに詰め寄ったとも言われている。

ブライアンを厄介払いしろというアレン・クラインの願いをミックは中々受け入れなかったが、彼はブライアンをほとんど無視していた。

なにを演奏したらいいのか、と聞いてきたブライアンに「好きな曲をやれよ」と言いながら、ブライアンがなにを弾いてもストップをかける。

ブライアンはとうとう隅っこで酔っ払い始め、血の出た口でハーモニカを吹いていた。

これはミックのブライアンに対する心理的拷問だという人もいた。

残りのメンバーがレコーディングを終わらせるまで、ブライアンを呼ばないこともあった。

他のパートが終わってからブライアンを呼びつけ、シタールやギター、ダルシマーを一人で演奏させてミックスした。

他のメンバーがスタジオで冗談を言い合って笑っている時、、ブライアンはしばしば小部屋に閉じこもり、ひとりすすり泣いていた。

これだけを読むと、あまりにもブライアンがひどい仕打ちをされているように思えますが、ブライアンはこの時期、まともに演奏を出来る状態ではなく、それでもこの時点で他のメンバーがブライアンをはずさなかったのは、彼らなりの思いやりだったのだろう、という見方もある。(アレクシス・コーナー談)

しかし、演奏ができないブライアンの代わりに呼ばれたアメリカのミュージシャンは、隅ですすり泣いているブライアンの姿を見て、
「どうなってるんだ、この連中の関係は」
と思ったという。

「ゼア・サタニック・マジェスティーズ・リクエスト」に初めて自分の曲を入れてもらえたビルは、「ベガーズ・バンケット」の制作の際にも、ミックから「曲のストックがないか」と聞かれた。

ビルはミックとキース以外の自分たちにも、ストーンズの曲が作れるチャンスが訪れたと喜んだ。

この時ブライアンは「自分の曲を一曲持っている」と言っていたそうだ。

ブライアンとビルは自分たちの曲を携えてスタジオに乗り込んだが、レコーディングを始めてみると、連日、ミックとキースが持ってきた曲を演奏することになり、彼らの曲がなくなるまで待ち続けることになった。

そしてブライアンとビルは、結局自分たちの曲を演奏する機会も与えられないまま、レコーディングを終えることになる。

精神的に強いビルは、このことを笑いながら話すことができたが、ブライアンはますます神経を傷つけられた。

私生活では、当時の恋人だったリンダ・キースがブライアンのアパートで自殺未遂をした。

5月21日、ブライアンは再びドラッグ所持で逮捕される。

警察が朝うちをかけブライアンのアパートに押しかけてきたとき、見たこともない毛糸の玉の中から、ドラッグが発見されたのだ。

これは、明らかに警察による「でっち上げ」だった。

ブライアンは2000ポンドの保釈金で釈放され、9月の裁判に出廷するように命令を受けた。

翌晩ブライアンは、メイフェアのレボリューション・クラブで祝杯をあげ、クエイルードを数錠飲んで、意識不明になって倒れてしまう。

その後の数週間、ブライアンはふだんにも増して異常だった。昼夜の見境なく電話をかけまくり、警察で虐待された、ミックに無視された、とわめきたてた。

ブライアンの逮捕事件で、ストーンズの「ベガーズ・バンケット」のプロモーション・ツアーは中止になった。

この夏、ミックとキースは連帯の確立をはかるため、週末にブライアンをレッドランズに招待した。

ところがドラッグ裁判を控え、神経をとがらせていたブライアンは、ミックと激しくぶつかりあった。

キースとアニタがロンドンにいる間は、ブライアンを安全なレッドランズにおいておこう、という話が成立し、ブライアンは恋人のスキと夏が終わるまでレッドランズで過ごすことになった。

マリアンヌが星占いをやっていたところ、星座のすべてがブライアンに死が訪れると示していた。しかも水に関わる死。

レッドランズの堀かもしれないと思ったマリアンヌとミックはレッドランズに向かった。

ミックは車を飛ばし、いつもの所要時間より30分も早く目的地に着いた。

食事を一緒にとることをミックが辞退したことでブライアンは怒り狂い、ミックにナイフを突きつけた。

マリアンヌとスキは悲鳴をあげた。

ブライアンは「ミックのいるこの世界には生きていたくない」と叫び、堀に飛び込んだ。

ミックは3度もブライアンを引きずり上げ、家の中に連れ戻した。

9月26日、ブライアンの裁判に、ミックとキースは立ち会うことにした。

陪審員は”有罪”としたが、裁判長は、「50ポンドの罰金、100ギニー(400ドル)の法廷費用」と判決を言い渡した。

ブライアン、ミック、キースは裁判所の前で、珍しく3人一緒に写真におさまった。
以前にも紹介した、ロック・ジェットの表紙のこの写真がその一枚ですね。(スキも入っていますが)


この時期のブライアンの状態は、書いていてもつらいほど、ひどいです。

しかし、どうなのでしょうか、当時、こんな状態のブライアンの周囲にいた人たちの反応を単に「冷たい」と責めることができるでしょうか。

想像してみます。

例えば、自分の仲間がこのブライアンのような状態になってしまっていたとする。

仲間だったら、励ますでしょう、元気になって欲しいと思うでしょう。

触れないようにすることが本人のためになると思えるなら、わざと触れないようにするかもしれません。

でも、それ以上、なにをしてあげられるでしょうか。

心理学の専門家でもないのに、仲間を救う有効的な方法がわかるわけはないし。

特に、自分自身も誰かのことを構っていられる余裕がない場合、とりあえず自分のことを優先してはしまわないでしょうか。

後から考えたら、「もっと気にかけてあげればよかった」と思ったとしても。

ブライアンから見たら、みんなの態度は「冷たい」ものだったのかもしれませんが、他のメンバーにとってこの時期は、大切な時期で、それぞれが神経をとがらせていたのでしょう。

「サタニック・マジェスティーズ」の大失敗の後、ドラッグ裁判で揺れる中、絶対失敗は許されなかったのですから。

それでも、この時のブライアンはメチャクチャで訳がわからないほど追い詰められていて、手っ取り早く周りにいて自分の味方になってくれたのはブライアンを食い物にしようとするタチの悪いドラッグの売人たちだけで、ブライアンは更に追い詰められ、「助けて、助けて」と必死に救いを求め、求めても求めても、それは手に入れられず、もがいていたのかもしれません……

本当は最終的に自分を救えるのは自分でしかないのですが、それでも誰かの力が必要なときがあるのですよね。

「あの頃は大変だったよね」
なんて、笑いながら語り合える将来がくればよかったのに。

こんな考え方は感傷的過ぎるのでしょうけれど。

続きは後日に。(まだ終わりが見えない……;)