ブライアンとミック・ジャガー part5

発売されたばかりのストーンズの4枚組DVD「THE BIGGEST BANG」を買ってしまいました。

今までの私だったら、ブライアンもいない最近のストーンズのDVD(しかも4枚組!)などは買う気も起こらなかったと思うのですが、このミックについてのブログを書いている関係で、最近のストーンズを無性に観たくなったのです。

通販で買えば安いものを、お店で見かけたら血が騒いで、即買いしました。(一応10%はOFFでしたけど)

今、DISK1を観ているところ。4枚も、絶対1日では観終わらない……。

60年代の(ブライアンがいた頃の)曲になると、ちょっと”うるっ”と、きたりしてます。

以前、雑誌の記事で「今のストーンズにもブライアンはいる。それくらいブライアンの影響力は大きい」と語られていたのを紹介しましたが、確かに、ブライアンがいる、とDVDを観ながら、感じています。

で、1枚目を観終わりました。

Bonus Featuresで「I Can’t Be Satisfied」を演奏するのですが……、これはブライアンのスライドが光っていた曲。

ブライアンのスライド部分はミックが弾くのですが……、やっぱりちょっとムリがある;

演奏の完成度は別として、ブライアンのパートを演奏しようとしつつ、この曲を歌うミック……、言葉にしないけれど、そこには何かがあるのかなって、思いました。

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さて、
part4の続きです。

警察沙汰を起こした後も、ミックの習慣と上流社会との付き合いは変わらなかった。

当時、チェルシーの社交界の中心地は、テムズ川を見下ろすチェイニー・ウォークにあるクリストファー・ギッブスの樫の内装のリビング・ルームだった。

ギッブスのパーティーに毎晩のように顔を出していたジョン・マイケルは、

「ミックは社会的な壁を打ち破ったんだ。けっして本格的には上流社会に入ることのできなかったビートルズとは違い、ジャガーは多少なりとも彼らの一員として受け入れられた。そりゃそうだろう? 彼は魅力的な容姿をしていて、貴族連中はみんながそばに寄りたがったんだ。彼はいつもいろんな質問をして、紳士になる勉強をしていると言ってたが、貴族たちのほうが彼から学んでいたんじゃないのかね。そう、彼らのほうが相当に教えてもらってたはずだ」
ジョン・ダンバー(マリアンヌの最初の夫)の見方はまた違う。「ミックは貴族になりたがってたし、それは今も変わらない。しかし彼らはけっして同族とは認めない。彼はあのころも今も彼らにとって好奇心の対象でしかないんだよ」

上流社会に憧れ、貴族になりたがっていたミック……、
2003年12月12日に、「ポピュラー音楽に対する貢献」で ”ナイト”に叙勲されたそうなので、ミックの夢は叶ったということでしょうか。

”ナイト”は”貴族”とは違うらしいですが。

今やミックは”サー”・マイケル・フィリップ・ジャガー、なのですね。

麻薬裁判とその余波がもたらした宣伝効果を取り込もうとしたデッカのアメリカ支社ロンドン・レコードは、アルバム「フラワーズ」をリリースし、このアルバムはアメリカン・ホット100で9ヶ月の間に3位まで上がった。
(新旧の曲の寄せ集めのようなアルバムといわれていますが、私はこのアルバム、好きです^^)

ミックとキースは、ビートルズのシングル「愛こそすべて」のバック・ボーカルを手伝い、そのお返しとして、ビートルズはストーンズの「この世界に愛を」のレコーディングを手伝った。

ミックはこの曲がトップになると期待していたが、実際には8位どまりだった。

ビートルズにヨガの導師マハリシ・マヘシュからの教えを乞う会に誘われたとき、ミックはすぐさま応じた。

しかしマハリシに会ったミックはがっかりし、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが騙されやすいということに気づき、更にがっかりした。

マハリシの説教を受けている間に、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインが睡眠薬の多量服用で死亡した。

ビートルズの「サージェント・ペパー」が高く評価され、ミックはストーンズもサイケデリックな方向に行くべきだと考え、「ゼア・サタニック・マジェスティース・リクエスト」を制作することにした。

ブライアンはこのアルバムがストーンズの音楽のルーツからそれていると反対した。

だが今ではバンド内で二番手の地位に格落ちしていた彼(ブライアン)は、おとなしくロンドンのオリンピック・スタジオに現れ、ギター、メロトロン、シタールまであらゆる楽器を奏でることのできるすばらしい技術で制作に貢献した。

そういえば、現在アルバムに入っているのとは違うブライアンが編曲した「Honky Tonk Women」があると、どこかに書いてあったと思いましたが、「ゼア・サタニック・マジェスティース・リクエスト」のブートなどで聴ける「majesties honky tonk」というのは、違うのでしょうか?

クラシカルな感じとか、ジャズな感じとか、ブライアンっぽいと思えてしまうのですが。この演奏には、ブライアンが参加しているような気がしますし。

「honky tonk」がタイトルに入っているからって、決め付けるのはあまりにも早計かとは思いますが。

「According to THE ROLLING STONES」という本の中で、
ミックは「ゼア・サタニック・マジェスティース・リクエスト」の頃は一番楽しかったと語り、キースは、このセッションのことはなにも思い出せないと言っている。

そしてこの頃、マネージャーだったアンドリュー・オールダムがストーンズから離れていく。
1967年の夏、あまりにもドラッグに慣らされたアンドリューの身体には、どんなドラッグもきかなくなっていた。

精神科医に、「典型的なうつ病」と診断され、電気ショック療法を受けていた。

オリンピック・スタジオに行ってみると、ミックがまるで自分を相手にしていないのがわかった。

このレコーディングに何度か立ち会った写真家のジェレッド・マンコヴィッツは、

「ストーンズのイメージとか演出のことになると彼らはいつもアンドリューの天才的センスに頼っていた。だがこの時は違った。これに関してはアンドリューに相談しないことで、ミックはおまえにはもう用はない、というニュアンスを伝えたんだ。アンドリューのあのときの表情は忘れない。彼は事態をのみ込んだ。そして、もうどうしようもなくなっていることも理解したんだ」
当時ジャガーは、グループ自身がもうオールダムを必要としなくなったんだ、と主張した。マンコヴィッツに言わせると「だれかがドアを開けてくれる。ドアの向こうには欲しいものがすべてある。そのドアを開けてくれた人をただのドアマンで片づけられるだろうか」

(暗に、アンドリューを簡単にお払い箱にしたミックを恩知らずだと言っているわけですね)

1967年9月の中ごろ、ストーンズはアンドリューの辞職を発表した。

ミックはアンドリューは手にあまるようになったと話し、「ぼくらは実際にすべて自分たちでなんとかしてきたんだ。アレン・クラインは経理を担当しているだけだ。ぼくらのマネージメントはぼくら自身でやっていくつもりだ」と言った。

しかしアンドリューはミックに裏切られた思いでいっぱいだった。

彼の妻のシェイラは、
「あれはアンドリューにとってたいへんな苦しみだったわ。彼はこのことに打ちのめされ、今でも立ち直れないのよ」
と言った。

これを読んだ時、ブライアンが脱退するよりも前に、アンドリューがこんなやり方で辞めさせられていたのか、ストーンズって(というかミックって)怖い、と思ったのですが、
「According to THE ROLLING STONES」の中でミックは、アンドリューは自分から離れていったと語っているし、キースは「アンドリューはドラッグのガサ入れのとき、いつの間にか消えてたんだ」と言っているのです。

前に紹介した2000年のアンドリューのインタビューでは、彼自身が「自分からストーンズを離れた」と語っています。

一体、なにがホント??

事実は時におもしろおかしく、ドラマチックに脚色されてしまうので、受け手側が真実を見極める目を持っていなければいけない、と思います。

アンドリューがストーンズから離れると、事実上のマネージメントはミックの仕事になった。
もしかして、ここからがミックの本領発揮だったのかもしれないですね。

ミックは純粋なミュージシャンというよりも、企画をしながら金勘定も出来るビジネスマン的な感覚を持ち合わせているのかもしれません。

音楽に専念しているだけだったら、物足りなくて、これほど長続きしていなかったのかも?

仕事を始めてから、周りの人たちの動く様子を観察して、業界のノウハウを身につけていったのかもしれません。

LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス/ロンドン経済大学)に通っていたミックが、ビジネスに興味を持つのは当然といえば当然ですが。

そしてミックは様々な方面から物事を見ることができ、自分(たち)がどう見えるのか、どう見せていったらより効果的なのか、どういうやり方がより儲かるのか、ということを計算できる能力を持っているのかもしれません。

それが行き過ぎると、計算が見えてしまって嫌味になってしまうところを、粗野で率直なキースの存在でバランスをとっているのかも。

あ、それでひとつ思いつきました。

ミックがマネージャー的な視点でグループを見た時、意見をはっきりと持ちすぎていて言うことを聞かない、しかも自分に敵意を持っているブライアンの存在が、ひどくやりにくく感じてしまった、というのはあるかもしれません。

ミックがグループの新しい本部になる新オフィスに見つけて、まだ日も浅い頃、ブライアン(と、もう一人の被告スタッシュ)の裁判があった。

ブライアンとスタッシュ。
スタッシュ(Prince Stanislaus Klossowski De Rola)。本名、プリンス~!ブライアンの友だちは貴族的な人たちが多いです。類は友を呼ぶ。ブライアンは他のメンバーと言葉遣いも違ったという証言もあり、反逆児だったとはいえ、根は育ちの良いおっ坊ちゃまだったのだと思います。

精神科医のブライアンの精神状態に関する証言にも関わらず、R・E・シートン裁判長は「懲役六ヶ月」の判決を言い渡した。

ストーンズのメンバーは誰も来ていず、ブライアンは自分が完全に見捨てられたと感じた。
ブライアンは手錠をかけられ、拘置所送りとなった。

傍聴していたミックの弟、クリス・ジャガーが警官隊に抗議したが、警察官侮辱罪で逮捕され、留置場送りとなった。

コーミン弁護士とヘンリー医師(精神科医)は、高等裁判所に上告し、ブライアンの保釈を認めるよう訴えた。

ワームウッド・スクラッブス刑務所の独房で一晩過ごした後、ブライアンは釈放された。

この夜、ブライアンは二人のティーンエイジャーの女の子をひっかけ、LSDを楽しみ、三人のベッドインを楽しんだ。

ブライアンが暴力をふるい、二人の女の子は血を流しながら、彼のアパートから逃げ出した。

……いくらブライアンびいきではあっても、ブライアンの女性に対する暴力については理解できません。

持病であった側頭葉てんかんの発作前の症状のひとつ、「攻撃的になる」の影響なのかもしれませんが、それだけとはいえないような。

ブライアンの暴力については、多少誇張されている部分もあるのかもしれませんが、あったことに間違いはないように思えます。

(ブライアンに好意的な)ビルやサンチェスまでも嘘を書くとは思えないので。

ただサンチェスやマリアンヌなどは、その暴力にも理由があり、ブライアンは決して暴力を楽しんでいたわけではない、とは語ってくれていますが。

また後日に続きます。(終わりが見えてこない~;)