ブライアンとミック・ジャガー part1

はじめに……、
今発売中のRolling Stone日本版(8月号)で、ミックとキースが60年代について語っています。
ブライアンのことは出てきませんが……、中々おもしろかったです。お二人ともお元気そうで、なにより。

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ブライアンのことを知るため、ブライアンの周りにいた人たちについても書いていきたいと思っているのですが、ここではずせないのは、やはりストーンズのメンバーでしょう。

そこで今回はミック・ジャガーについて書きたいと思います。

参考にしたのは「ミック・ジャガーの真実」(クリストファー・アンダーセン著、福武書店)。

ちょっと疑問に思ってしまうところもあり、他の本も読もうと思っていますが、とりあえず今回は、この本を参考に書きたいと思います。

確執があったという二人の間には、なにがあったのか、どこがどういうふうに合わなかったのか、そしてミックは一体どういう人間なのか等々が、少しでも理解できればと思う気持ちで書きます。

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I was born in a cross-fire hurricane“(俺は十字砲火の嵐の中で生まれたのさ)
というのは、ストーンズの有名なヒット曲、「JUMPIN’ JACK FLASH」の出だしですが、マイケル・フィリップ・ジャガー(ミック・ジャガー)は、1943年7月26日に生まれ、第二次世界大戦で痛めつけられたダートフォードで少年時代を過ごした。

爆弾の炸裂、対空砲火の閃光、上空では独空軍と英空軍の空中戦、バラバラと落下する榴散弾の雨、目もくらむ閃光とともに一瞬にして消える隣家(家人ともども)――ミックの幼いころの記憶はこうした音とイメージでできている。

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の作詞はミックですが、これを読むと、あの詞は多少実体験からイメージした、というふうにもとれます。

ミックは世間体にこだわる母親と、厳しい肉体派の父親(体育教師、のちに保健体育専門家としての地位を確立し英国スポーツ評議会入り)に育てられた。

キースとは同じ小学校に通ったが、その頃はそれほど親しくはなかった。
その頃からキースは「大きくなったらギターを弾くんだ」と言っていた。

キースの家はジャガー家とは対照的に、貧しさにあえいでいた。

英国の強固な階級制度の壁をなんとか突破したと思っているものにとって、唯一のそして真のチャンスは11歳になったときに訪れる「イレブン・プラス」という一連のテストなのだそうだ。

合格者はエリートの行くグラマー・スクールへの入学を認められ、大学教育を受けられる道が開かれ、高収入の立派な職業に就くことができる。

不合格者は、より基礎的なレベルの公立学校である「セカンダリー・モダーン・スクール」へと格下げになり、一生にわたって労働者階級にとどまるはめになる。

ミックはこのテストに合格した。

裕福で趣味の良い人物になりたいと夢を抱き、「一番なりたいのは、金持ち」と言っていた。

1957年にはアメリカの音楽に興味を持つようになり、レコードを買うためのお金は、新聞配達などのアルバイトで稼いだ。

そして3人のブルース愛好仲間(クラスメイトのディック・テーラー、ボブ・ベッグウイズ、アレン・イーサーリントン)と一緒に「リトル・ボーイ・ブルーとブルーボーイズ」を結成する。

成績はこの年を境に下り坂になる。

ミックは裕福な英国エリート社会に入り込んでいくため、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス)に進学する。

1961年12月のある朝、ダークフォードの駅でミックとキースは再会した。

ミックがチャック・ベリーの最新曲のレコードを持っていたのをきっかけに、二人は急接近する。

目的に対して打算的で野心的過ぎ、相手をまず値踏みし、分析した上でこの人間にはどういう顔をすればよいかを判断するミックに対して、キースは正反対の率直さを持っていた。

キースはディック・テーラーに誘われ、ブルーボーイズに参加するようになる。

1962年3月、アレクシス・コーナーがロンドンの西の郊外イーリングに無名のタレントを集めたライブハウスをオープンしようとしていた。

「イーリング・ジャズ・クラブ」(ブルース専門)が3月17日にオープンするという広告を見て、ブルーボーイズのメンバーは週末、イーリングに向かった。
(数週間の間に、この店のステージに上がったアーティストの中には、エリック・クラプトン、エリック・バートン、ジェフ・ベックなどがいた)

イーリング・ジャズ・クラブに通いつめていた者の中にもうひとり、背の小さい、顎の張ったサックス奏者がいた。ラムロッズというロックンロール・バンドで演奏していたブライアン・ジョーンズで、ダートフォード出身の若者たちと同じように優雅な生活環境の郊外育ちだった。ジョーンズの出身地チェルテンナムは、ロンドン周辺のベッド・タウンのなかでもかなり裕福な町である。広い並木道に19世紀初頭の、どっしりとした石柱のある荘園領主の邸宅が並ぶチェルテンナムは、キース・リチャーズの言葉をかりれば「お上品な上流ばばあがのんびり暮らすところ、とってもきれいだが、死ぬほど退屈な町」だった。
ジョーンズは音楽的才能を発揮する可能性を両親にもらったといえる。母親はピアノの先生、航空学のエンジニアの父親は教会のオルガン奏者でもあった。彼は14歳でチャーリー・パーカーを知り、16歳で、14歳のガールフレンドを妊娠させて放校となった。
その後3年間、ジョーンズは二階バスの車掌、トラック運転手、建築士見習い、店員、ガイド、眼鏡屋の助手などの仕事を転々とした。その間ずっとビートニクのたまり場の喫茶店に出入りして、ラムロッズに拾われるまでトラッドなジャズ・バンドでアルトサックスを吹いていた。
1961年、別のガールフレンド、パット・アンドリュースがブライアンにとってはふたりめとなる子供を生んだ。その子はジュリアン・キャノンボール・アダレーにちなんでジュリアン・マークと名づけられた。ジョーンズが結婚してくれるものとパットが信じたのも無理はなかった。なぜなら彼は赤ん坊が生まれた日、病院を訪れて彼女に育児に関するいろんな計画を熱心に話していたからだ。そしてミュージシャンとして生きていくんだといって彼がロンドンへと旅立っていったとき、彼女は彼がそのうち呼びよせてくれるものと思い込んだ。ところが風の便りに聞こえてきたのは彼がほかの女とつきあっているという話、しかも何人もの女と。パットはすぐさま子供をかかえ、ブライアンを捜すためにロンドンに旅立った。

ミックとキースは、このイーリング・ジャズ・クラブで、アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレーティッドのオーディションを受ける。

ミックは緊張をほぐすために飲んだアルコールで少しふらつきながら、マイクをにぎり「アラウンド・アンド・アラウンド」を歌った。

(ある本には、ミックは”あがる”ということを知らないところが、ブライアンとは正反対と書かれていましたが、ミックだって緊張するときはあるということですね……)

キースの評価は芳しくなかったが、ミックは評価され、アレクシス・コーナーのバンドの代打ボーカリストになった。

ブルーボーイズの他のメンバーはミックにとってのチャンスだからと理解を示したが、いとも簡単に仲間を見捨てたことに対する腹立ちは中々消えなかった。

さて、いよいよ、ミック&キースとブライアンの出会いです。

ある晩、ミックとキースがイーリング・クラブに入っていくと、P・P・ポンドという名の若手の歌手が<ダスト・マイ・ブルーム>を歌っていた。だが、彼らの視線はこのポンドではなく、伴奏していたスライド・ギター奏者にくぎづけになった。シャープなイタリア製スーツにボンド・ストリートの靴をはいたブロンドで赤ら顔のこの男はエルモ・ルイスといった。
リチャーズはこの男のテクニックとフィンガリングとその演奏の自由奔放さに仰天した。ジャガーはこの新顔が、聴衆の中に入り込んで彼らをからかい、さっと身を引くそのやり方を観察していた。ジャガーはエルモ・ルイスのなかにひそむ官能的でエキサイティングな暴力性を感じとった。この夜ミックはこの若者のあぶない表現力を自分もとり入れることに決めた。
エルモ・ルイスがステージから降りるとすぐにミックは彼のところに行って自己紹介し、一杯ごちそうさせてくれと言った。それじゃあこれからぼくのことを本名のブライアン・ジョーンズと呼んでくれるならごちそうになろう、と彼は言った。
ミックとキースはこのジョーンズに恐れ入ってしまった。ふたりは、なんだかんだ言ったところで、まだ親と一緒に住んでいて食事も洗濯も母親の世話になっていた。ところがジョーンズはすでに私生児ふたりの父親で、すでに二つのバンドでプレイしたキャリアがあり、このロンドンで自活しているではないか。実際は、ジョーンズはホイットレー百貨店のトースターと真空掃除機売り場で働き、パットは洗濯女をしていた。収入はふたり合わせて週に40ドルだった。

客席からステージで歌うミックに拍手をおくるだけだったキースは、ブライアンが結成しようとしていたバンドの誘いを受ける気になった。

バンドのオーディションに最初に現れたのは、郵便局の配送係をしていたイアン・スチュアート。

彼のピアノを聴いたブライアンは即、彼をメンバーの一員に決めた。

続いてボーカルのブライアン・ナイト、ギターのジェフ・ブラッドフォードが決まった。

キースはブライアンに自分に類似した精神性を感じ、ブライアンはキースの音楽性を讃えてはばからなかった。

ミック不在の場で、ブライアンとキースの関係は深まっていった。

キースと他のメンバー(ブライアン・ナイトとジェフ・ブラッドフォード)が言い争ったとき、みんなはブライアン(ジョーンズ)がキースをクビにするものかと思ったが、ブライアンはキースの横に立ち、ナイトとブラッドフォードに対して、
「イヤなら辞めてもいいんだぜ」
と言った。

7月12日、ブルース・インコーポレーティッドはBBCの番組「ジャズ・クラブ」に出演が決まり、全国ネットでデビューすることが決まったが、その際にミックははずされた。

しかし、その前座のバンドとして、ブライアン・ジョーンズのまだ名もないバンドが現れることになる。

ここにブルーボーイズとブライアンのバンドが一緒になる要素が生まれた。

アレン・イーサリントン、ボブ・ベックウイズ、ブライアン・ナイトとジェフ・ブラッドフォードは離れていった。

後にキンクスのドラムスをやるようになったミック・エイボリーがまとめ役になった。

ブライアンがバンド名を「ローリング・ストーンズ」と決め、彼らは初めてお金を払った客と向き合うことになった。

見た目にはグループのメンバーはおかしなくらいちぐはぐだった。ビールを何杯かあおって度胸をつけたミックはいつもの派手なブルーのセーターを身につけ、キースはぴったりした黒のビジネス・スーツ、ブライアンはコーデュロイのジャケット。ディック・テーラーときたらまるで楽器がつっ立っているようで、彼のベース・ギターはほとんどチェロぐらいの大きさに見えた。
リチャーズが狂暴にギターをかきならし、ジャガーが長髪を振り乱すと、ほとんどの観客は嫌悪感をあらわにした。ディック・テーラーは言う。「拒絶反応ってヤツだった。マーキーの常連のジャズ正統派はアレクシス・コーナー印のブルースなら週に一回は許していた。だがぼくたちが登場して、とくにミックが姿を現すと、もう我慢の限界を超えてしまったんだ」

しかし全員が彼らを攻撃したわけではなく、彼らを賞賛する観客もいた。

彼らが出演する木曜日の夜にはたくさんの客が押しかけて、たいへんな騒ぎとなった。

ブライアンとミックとキースは、チェルシーのイーディス・グローブ102番地で同居生活を始める。

この二部屋のアパートはまず暖房がなく、キッチンと風呂場は兼用で共同トイレは階段を上がって2フロアー上にあった。天井からは裸電球がぶらさがっていた。すすけた天井は塗料も石灰もはげ落ちていて、壁と床はカビで緑色になっていた。借主たちは勝手気ままに暮らしはじめた。まもなく部屋の中は腐った食べかけのサンドイッチ、汚れた衣類、コップやせともののかけらなどが散らかるようになり、鼠が煙草の焼け焦げだらけのカーペットの上を走りまわった。部屋を飾るかわりにジャガーとリチャーズとジョーンズは壁に糞をなすりつけ、そこに署名した。キースの母ドリスは「あそこに爆弾を投げ込んだってあんなにめちゃくちゃにはならなかったでしょうね」と言っている。
ディック・テーラーも思い出す。「空気全体が臭かった。こんな生活がはたしてありえるのかと思ったね」

1962年の厳寒の冬、彼らは毎晩ひとつのベッドで身体を寄せ合って眠っていた。

ミックが学校に通っている間、ブライアンとキースは絆を深めていった。

ミックはブライアンとキースが食べ物を買うお金もなく残飯あさりをしている間、奨学金や親からの小遣い、ブルース・インコーポレーティッドで歌っていたギャラを使い、こっそりレストランで食事をしていた。

一方、ブライアンはミックに隠れて、ミックをバンドからはずそうとしていた。

そのことに気づいたミックは、ブライアンの妻(正式に結婚はしていなかったはずですが)パットをそそのかしてベッドに連れ込んだ。ミックはその浮気の現場をブライアンに見せつけたかったのだという。

その現場を見ることはしなかったが、そのことを知り、ブライアンはその屈辱に耐えられなかった。

更にミックは、キースとブライアンの仲に楔を打ち込もうと、ブライアンまでも誘惑した。

キース、ブライアン、ミックとそれぞれ肉体関係をもったアニタ・パレンバーグは「ブライアンはミックと寝ることによってたくさんのことをぶちこわしたのよ」と言う。ブライアンはジャガーとの関係を彼女にしゃべっていた。「ミックはブライアンがいろいろバラすのには頭にきていたようね。何年かあとになってミックがゲイだという噂がしょっちゅう流されていたけど、あれはブライアンがミックの弱点を暴露して彼のプライバシーを侵害していたのよ」

この著書は、ところどころ「ホント?」と思う部分があるのですが、最後の部分は特に「ホント?」って感じです。

本当だとしたら、なんだか異常な関係に思えますが……。

この違和感は、時代の違い? 国の違い?
(この本によると、ミックはブライアン、キース、アンドリューとも関係があったってことになってるのです;)

というわけで、とても1回ではまとめられませんので、また後日に続きます。