東京渋谷の「ギミーシェルター」にて、『ザ・ローリングストーンズ研究会 Vol.2』が開催された。
テーマが”ブライアン・ジョーンズ”だったので、「行きたい!」と思ったけれど、
「行けるかな、間に合うかな、その日は空いてるかな……」と、ちょっと不安だった私。
結果、無事に行くことが出来ました~v
司会はギミーシェルターの金子ヒロムさん。
小松崎健郎さん(ライター・音楽評論家)を迎え、お話を伺おうというイベント。
まず、なにしろ、ブライアンについて、詳しい専門家のお話を直接伺うっていうチャンスが今までなかったので、それだけでもわくわくした。
録音していたわけではないので、全部を覚えていないのですが、覚えている部分だけ、私の感想も含めて(忘れないうちに!)書いてみます。
(あれ? これって別に違反行為じゃないですよね?)
*太字部分が主に語られていたことです。
Contents
ブライアンだけがプロになろうと本気だった
ビルが入る前にメンバーだった、ディック・テイラーのインタビューを何度かしたことがあるという小松崎さん。
ディック・テイラー曰く、
「デビュー前に、ミックもキースも本気でプロになろうなんて思っていなかった。でもブライアンだけは本気だった」
映画(「ストーンズから消えた男」)の冒頭に、ブライアンがマネージャーの役割をして、ストーンズを売り込んでいる場面が出てくるけれど、実際もあんな感じだったのだろう思う。
↓45秒くらいからの部分ですね。
私は他のメンバーは、例えミュージシャンにならなかったとしても、他の職業をしながら、それなりに暮らしていけただろうという気がしている。
でもブライアンだけは、音楽でなくてはダメだったのだと思う。
それだけ必死だったことを考えると、ブライアンが最初の頃、5ポンド(?)多く他のメンバーより貰っていたというのも、それなりのことをしてたのなら、それでよかったんじゃないの、と思えたりもする。
もしかして、ブライアンはメンバーをまとめる上で、全員が一線に並ぶのではなく、差をつけておくべきだと思ったのかもしれない。
オトモダチバンドにはなりたくなかったのかも。
――もしもブライアンがビートルズのメンバーだったら、どうだったか?
「ビートルズのメンバーだったら、生きていたかもしれない。弱いジョン・レノンみたいな感じで、ジョージ・ハリスンと仲良くしながら」
――ミックとブライアンのハーモニカの違いは?
わかりやすいのは、ミックのハーモニカはスローで、ブライアンのはスピード感がある。
あれ? 「Dear doctor」は? あれはブライアン、ですよね?(アヤフヤ;)
――「a degree of murder」の映画やサントラが正規に販売されていないが?
これが発売されたら、「R&Rサーカス」が発売されたときのような感じになるでしょう。
ブライアンは、作曲能力がなかったと言われていますが、作曲してますよね。
映画のほうはブートで字幕入りを入手することができますが、相変わらずサントラのほうは、映画から音楽部分だけを抜き出したものしかありません。
台詞がかぶっていない、キレイな音で、聴きたいものです。
でも、これが発売されたら、今まで、
「ブライアンは作曲が出来なかった」
と言っていたのが、覆されることになるわけですから、ストーンズとしては出したくないのかもしれません。
自分らは嘘ついてたんだよ、って認めることになっちゃいますから。
そして、「実はストーンズの曲の中でも、コレとコレはブライアンが作ったんだよね」みたいなのが出てきちゃったりして。
「ジャジューカ」に関しては、ブライアンが作曲したわけではないので、割りとすんなりレコード化されたのでしょう。
ああ、生前のブライアンの周りに、つよーい力を持った奥さんでも家族でも友達でもいたらよかったのにって思います。
そしたら、もしかして亡くなった後に「ブライアン作の未発表の音源!」なんていうのが発表されたかもしれません。
そのほうがよかったのかどうかはわかりませんが、とりあえず聴いてみたかったです。
「生きていて欲しかった」が、もちろん一番ですけど。
「a degree of murder」のサントラは、どうしたらきちんとしたのを聴けるのでしょうね……
案外、あっさり発売されたりして?
「Beggars Banquet」や「Let It Bleed」こそ、本当にブライアンがやりたかった音楽だった
――ブライアンがかわいそうだったのは。
「Beggars Banquet」や「Let It Bleed」こそ、本当にブライアンがやりたかった音楽だったのだと思う。
その前のサイケ路線の音楽についてはブライアンは不本意だったはず。
でもバンドのために、自分が出来ることをやり、貢献した。
そしたら、今度は「原点回帰」すると言われた。
ブライアンは「Beggars Banquet」(や「JJF」)が出来たとき、
「あいつらの今度のアルバムはすごいぜ!」
と言ったという。
「俺たち」じゃなくて、既にブライアンにとってストーンズは「あいつら」であり、自分はその中にいなかった。
もしも、ブライアンがビートルズにいたら、その大きな貢献は認められ、高い評価をされていたでしょう。
どうでもいいことかもしれませんが、個人的に『GIMMIE SHELTER』は、ブライアンは演奏していなかったんだろうと知りつつ、ゾクゾクするほど好き(大げさですが;)です。
「ブライアン、ごめんなさい」と心の中で思いつつも、前奏が始まるだけで、うわ~っ、って思います。
『Country Honk』も好きですが、そういえば、ブライアンが編曲した「Honky Tonk Women」があるはず。(ブライアンパパ談)
どういう感じだったのか、聴きたいですね。
――もしもブライアンがストーンズを辞めなかったら?
ストーンズはこれほど続くバンドにはならなかったでしょう。
「60年代に、こういうすごいバンドがいたよね」っていうバンドになっていたでしょう。
あの時、ブライアンを切ることによって膿みを出した、そのことによって、ストーンズは生き永らえることができた。
ブライアンがもし、あの時、メンバーから切られなかったとしても、たぶん自分から辞めたんじゃないかなっていう気がしている。
ストーンズには愛着も執着もあっただろうけれど、自分はここではやっていけないって悟っていただろうし。
だってブライアンはバンド内でやれるだけのことをやってきたんだもの。
それでもダメだったら、もう自分はここにいる人間じゃないんだなって、思うしかないでしょう。
ブライアンは初期におけるリーダーで、アルバムジャケットでも、その存在感をアピールしているものが多いという話も出ましたが、以前ここで書いたストーンズへのインタビュー(64年)で、ミックは「リーダーはいない」と答えているんですよね。
なんだか、これも悲しい気がする。
本気でプロになりたかったのはブライアンで、必死に売り込みもやって、だけど念願叶ってデビューしたら、リーダーだと思っていたのは本人だけだったなんて。
そもそもブライアンは、自分のバンドが作りたかったんですものね。
そこで自分の好きな音楽をやりたかったんですものね。
グループの中の1メンバーでいいのなら、バンド作りなんてしなかったはずだ。
チェルトナム=熱海の例がわかりやすい(笑)
また、ブライアンはオシャレで、そういう点でもモッズ系バンドに近かった、と語られていた。
あ、面白かったのは、ブライアンが故郷チェルトナムは、例えると「熱海」のような温泉街で、そこから毎週新宿までアレクシス・コーナーの演奏を聴きに通っていたようなもの、ミックとキースがいたダークフォードというのは、このへんで例えると王子or赤羽みたいな感じ、って話されてたのが、わかりやすくて、つい頭に思い浮かべてしまった。
記憶の範囲で書きましたが、同じように今日のイベントにいらっしゃった方で、
「そんなこと言ってなかったんじゃない?」
とか、
「そんな意味じゃなかったんじゃない?」
と思われる部分がありましたら、指摘してくださいませ。