part5の続きです。
最初に、マリアンヌが常習していたヘロインの恐ろしさについて触れておきます。
マーク・ハドキンソンの著書から、引用
常習者は利己的で、自分のことしか考えない。麻薬は寄生虫のように胃にとどまり、もっと欲しいと要求し、美しさをあざ笑い、破壊する。友情も情熱もセックスも創造性もイマジネーションももはや関係ない。そしてしまいには癌のように身体をむしばみ、その人間の死によって麻薬はやっと仕事を終える。
(文中の※引用※はすべてマーク・ハドキンソンの著書からです。引用ではない太字は、DVDの中で語られていることです。曲へのリンクは、別ウィンドウで開くようにしてあります。)
1972年の春、マリアンヌはオリヴァー・マスカー(アンティークを買い付け、観光客や仲間に売る商売をしていた)と知り合い、恋に落ちる。
マリアンヌはヘロイン中毒の治療を受け、その後、映画や舞台の仕事などをこなしていく。
マスカーとの交際は、2年続いたが、その関係は次第に消滅していった。
仕事の面でもフラストレーションを感じていたマリアンヌは、再び慰めを求めてドラッグに手を出すようになってしまった。
シンガーとしてのキャリアを再開しようとしていたマリアンヌは、音楽の仕事を探していたベン・ブライアリーと出会う。
二人は救いがたいヘロイン常習者で、手軽な喜びを得るために腕に注射をし、現実の世界から逃げ回っていた。
1979年6月8日、ベン・ブライアリー(27歳)とマリアンヌ(32歳)は結婚する。
「堕落した麻薬中毒の尻軽女と英国では中傷された」
ところが、
「そんな彼女をアイルランドが受け入れた」
シングルの「Deamin’ My dreams」がアイルランドで大量に売れ始めたのだ。
DVDより。
「アイルランドにとって、70年代はひどい時代だ。北部の内戦も激化していた。国全体が喪失感に覆われていたときに、突然現れた彼女が我々の気持ちを代弁したんだ。まるで国家のように聞こえた」
そして、マリアンヌは思ったそうだ、
「私にも人に与えられるものがあると気付いたの。
何かを変えるいい機会じゃないかって。このままだと、人が勝手に作り上げた私のまま、生きることになる。
今度は自分でイメージを作ればいい。だからアルバムの中で自分を表現することにしたの」
1979年 「Broken English」リリース。
この頃には、英国のマスコミも以前よりマリアンヌに対して好意的になっていた。
新聞記事の中には「生き残り」という言葉が何度か登場したが、マリアンヌはそういった哀れみを嫌った。
※引用※
「わたしは、とても、とても強いのよ。みんなにはわからないでしょ。だって、みんなはわたしのことを犠牲者、あるいは生き残り者とでも思っているんでしょ。そういう言葉は大嫌いだわ。何の生き残りってわけ? タイタニック号の沈没の? わたしは生き残りなんかじゃない、もっとそれ以上のものよ」
しかしカメラの前を離れたマリアンヌは、自らの芸術のために苦しんでいた。
※引用※
爪は噛む癖のために短くなり、右手の指は数え切れないほどのタバコをはさんだため黄色くなり、手のひらは汚れ、タイツには伝線が入っている。
「Broken English」はアメリカでも発売され、アメリカのTV番組に出ることになったが、生放送まであと一時間もない頃になって、マリアンヌの声は、ほとんど聞き取れないほどにしか出なくなってしまった。
※引用※
「エコーのつまみを上げたが、まったくのお手上げだった。非常に重要な機会だったというのに、彼女は前の日、一晩中起きていたせいで声が出なくなってしまったんだ。すべて水の泡さ。彼女が歌い終える前に、スタジオの外には一台の車も残っていなかった。彼女の声はまるで、うがいの音のよう、ガーガーいってるだけだったんだ」
これは、私が前にDVDで観た「Broken English」でしょうか。
確かに、あの彼女の声はひどかった……。
しかし彼女は不摂生のために声が出なくなってしまったのではなく、あまりにもプレッシャーをかけられすぎて、心身症で、声が出なくなってしまったのだ、という説もある。
「Broken English」の評判はよかったが、お金は一向に入ってこなかった。
一文無しだったが、少しでもお金が入ってくると、ドラッグ代に消えた。
マリアンヌはものすごい量のヘロインをやっていて、身体中、針の跡だらけだったという。
ベン・ブライアリーとの仲も互いに傷つけあうだけになっていき、1986年には離婚が正式に成立する。
「孤独感と喪失感、そして、一種の無意味さ。抑圧された怒りが激しすぎて、誰にも打ち明けられないの。
打ち明けてしまうとその人を、焼き尽くしてしまう。だから自分ですべてを引き受けていたの」
「最後にヘロインを打ったのは1985年。男とNYで暮らしてた。幸せではなかったわ。幸せなんて求めてなかった。そこを抜け出そうとも考えてなかった。打ってすぐに自分は死ぬんだと思ったわ。心臓も停止したと思う。
その瞬間、助けを求めてたの。気づいたら生きてた。
本当は生きることを望んでたの。死にたくなかった。気づいてなかっただけ。でもお酒もドラッグもなしで生きる術がわからなかった」
この二度目の自殺未遂の件は、マーク・ハドキンソンの著書の中では次のように書かれている。
※引用※
真っ暗闇の中で、彼女はもっとも手軽で、もっとも受け入れやすい選択肢は、自殺しかないと感じた。彼女は自分のフラットで薬を大量に飲み、混乱した状態で階段を転げ落ちた。薬のせいで運動機能がまともに働かなかったため、普通なら足や手から落ちるところを、彼女は頭から落ちていった。顎の左側を骨折した彼女がまもなく発見された。
マリアンヌは再び、ドラッグから足を洗うべく、治療を受けようと決意する。
「大丈夫、君はいい人だ。治るよ」
と言われ、
「素直に思った。「きっと大丈夫」 誰かを信じられるようになったの」
「両親が大好きだった。
母が父と離婚した時は、心が引き裂かれたわ。父を失ってしまったの。
ミックとの関係にも影響しているように思う。
私の知っている男性への愛は、たった一つだけだった。
報われない愛よ」
「ゆがんだ子供時代だった。
人を信じていたこともあったけど、裏切られたわ。
だから必要なことをしただけ。
自分が生き抜いていくためにね。
そして生き残ったけど、限界にきてた。すでに精根尽き果ててたの。あのまま生き続けるなら、死ぬ方がましよ。
治療を始めて気づいたの。違う生き方があるということにね。でも手遅れかもしれないと思ったわ。 間に合った」
入院中、同じ患者であるハワード・トーズと知り合い、恋に落ちた。
退院後、不安と絶望感に襲われた彼は、発作的にタワーブロックの36階から飛び降りてしまった。
友人、知人はこの大きな衝撃と深い苦しみから、マリアンヌがまたヘロインに手を出すのではないかと心配したが、彼女は乗り越えた。
3度目の結婚相手はアーティスト仲間のジョルジオ・デッラ・テルザだったが、1991年には結婚は破綻していた。
「ストレンジ・ウェザーのときは完治してた」
マリアンヌは仕事を再開する。
「三文オペラ」
「20センチュリーブルース」
「7つの大罪」
「誰も信じなかった。理由はわからない。ただできなかった」
「私にはとても難しいことなの。安心できないのよ。自分の心の中を他人に見せてしまうなんて。怖いわ」
「よく言う台詞だと思うけど、歌を通してなら自分を表現できるの」
DVDのラスト近くで、こう語ったときの、彼女の得意そうな笑顔は印象的だ。
「みんなに言いたかった、伝えたかったのよ。あなたに理解できない選択を誰かがしたとしても、間違いだとは限らないって」
マリアンヌは自分の生き方を通して、正に、このことを強く主張したかったのだと思う。
「いつの間にかおじいちゃんだ。彼女もおばあちゃんだ。孫が2人いる」
と、ジョン・ダンバーが言ったときには、泣けてきた。
いろいろあったけれど、ニコラスも立派に成長した。
マリアンヌも言う。
「息子と孫には感謝してるわ。夫婦ともに優しいし。息子は私のよき理解者なの。私の複雑な立場もわかってくれている」
彼女がこれだけ奔放にメチャクチャな人生を送っていても、見捨てない人々がまわりにいるのは、やはり彼女の人間性なのかな、と思う。
自殺未遂2回、救いがたいヘロイン中毒、世間からは叩かれ一文無しで住む家もない……、落ちるところまで落ちて、そして浮上してきた。
「本当の彼女は、レコードで聴く彼女とは違うんだ。伝説の中の彼女とも違う。自分で自分の伝説を守ってる。マリアンヌという偶像自体が芸術作品だといってもいい」
作家のデヴィッド・ダルトンは言う。
しかし、親友のパメラ・メイオールの話を聞いて、笑ってしまった。
「人生を生き抜いているのは彼女だけじゃないわ」
マリアンヌは大げさに「生き抜くためにはこういう道しかなかった」と語っていますが、みんなそれぞれ自分の人生を生き抜いている、なにも彼女だけが特別なわけじゃない、ということですね。
でも、大げさに「生き抜く」ことしか出来ない人もいるのだと思うし、激しさと頑固さと鋭い感性を持ったマリアンヌはそういった人なのでしょう。
さらにパメラ・メイオールはマリアンヌについて語ります。
「未だに問題が多いけど、それが彼女なの。同時に温かくて寛容で澄んだ心を持った人よ」
そして、ケイト・ハイマン(V2レコード 住み込みで彼女のために働いていた)は、マリアンヌについて言った。
「彼女を一言では表現できないと答えたけど、思いついたわ。
ひょうきんで痛々しい人。子供っぽくて、わがままで、悲しい人。でも美しい人」
これを聞いて、ハッとしたのです。
これって、ブライアンじゃない?って。
いえ、ブライアンじゃないけど、ブライアンにすごく似てる!って。
”ひょうきんで、痛々しい、子供っぽくて、わがままで、悲しい、でも美しい人”
キースはマリアンヌのことを、
「同調しながらも根性を持ってる子さ」
と語り、
マリアンヌは、
「冒険は好きよ。そんな生き方をしたわ。いい人生だと思う。これからも変わらない。準備はできてるわ」
と言う。
去年(2006年)には、乳がんを患い、闘病生活を送っていたようですが、今ではライブなどもやっているようです。
久しぶりにミックから連絡があったとか。
ヨリを戻すなんてことはないでしょうけれど、いろいろあって、会うこともなくなった相手と、時間を経て、憎みあうことなくいられるというのは、ステキですね。
長くなりましたが、連載のようになってしまった(?)マリアンヌのブログはこれで終わりです。
ブライアンのまわりにいた女性の中で、マリアンヌは好きだし、どことなくブライアンに似たものを持っている彼女について、書いてみたかったのです。
ブライアンのファンとして、ブライアンのことをもっと知るために、今後もブライアンの近くにいた人たちについても書いていきたいと思っています。
マリアンヌ、日本に来てライブ、やってくれないかなあ。
まるでマリアンヌ自身のことを歌っているような「Vagabond Ways」なんて好きです☆
↓歌詞↓
Oh, doctor please, oh, doctor please.
I drink and I take drugs, I love sex and I move around a lot,
I had my first baby at fourteen,
And yes, I guess I do have vagabond ways.
Yes, I guess I do have vagabond ways.
Oh, doctor please, oh, doctor please,
I think you’ve made a mistake, I’m fine and I don’t need people,
You don’t understand all my choices,
But yes, I guess I do have vagabond ways,
Yes, I guess I do have vagabond ways.
Please, don’t lock me up,
Please, let me stay free.
If you let me go I promise I’ll never come back,
I’ll take a ship across the sea.
I’m young and poor, and yes I’m afraid,
But I’ll stay myself and keep my vagabond ways.
It was a long time ago, they took her child away and she was sterelized.
She died of the drink and the drugs
And yes, I guess she kept those vagabond ways,
Yes, I guess she kept those vagabond ways,
Yes, I guess she kept those vagabond ways.
マリアンヌのホームページは、↓コチラです。
http://www.mariannefaithfull.org.uk/