「悪魔はもう歌わない」

「悪魔はもう歌わない」(藤岡改造著、審美社)を読んだ。
1987年に発行された表題作を含む短編集。

表題作は1980年に書かれたものらしい。

この「悪魔はもう歌わない」は、なんとブライアン・ジョーンズが実名で物語に出てくる。
一瞬、ノンフィクションかと思ったけれど、著者が出版されているストーンズ本などを参考にして書いたフィクションだそうだ。

物語の中のブライアンは、
「本当にブライアンはこういう人だったのかも」
と思える雰囲気で、読みながらドキドキしてしまった。

主人公は1968年から1970年までイギリスに遊学していた日本人の女性。

ロックが好きで、雑誌などに投稿するうち採用されるようになり、雑誌社からブライアンのインタビューをしてくるようにと連絡があり、ブライアンに会いに行く。

ブライアンに会いに行ったのは2回。

1回目はブライアンが亡くなる1年ほど前にモロッコで、二回目はブライアンが亡くなる10日ほど前、コッチフォードの彼の自宅で彼に会う。

1回目に会いに行った時、グループ内ではミックの力が強くなり、その上、ブライアンはドラッグ問題で保釈中という状態だった。

主人公が日本人の女性ということもあってか、ブライアンに会いに行く時の心境を臨場感たっぷりに感じることが出来た。

女にだらしないという噂のブライアンに会いに行くと聞いて、まわりから、
「女一人でそんなところに行ったら、たちまち好色魔の餌食になるよ」
と脅かされ、
「いいわよ、そしたらブライアンの子供を産んで、大ミュージシャンに育てるから」
と軽口をたたく。

モロッコに着き、ブライアンが滞在しているホテルにチェックインする。

夕方には帰るというブライアンを待ちながら、主人公は街をぶらつき、ブライアンはなにを求めてここに来たのだろうと思う。

このへんは読んでいて、一番、自分が主人公になったような気持ちになった部分です。

初めて会うブライアンへの期待、と、ちょっぴりの不安。

主人公がブライアンに会えたのは、日が暮れて、広場の一隅のカフェに入った時。

3人のイギリス人が卓を囲んでおり、そのうちの一人がブライアンだった。

主人公は、ブライアンに声をかける。

「私はあなたに会いに日本からやって来ました」
「ええ、あの東洋の、神秘の国から? 僕も一回日本へ行ってみたいと思っている。ほら、あのホークサイ、彼の絵は素晴らしい。現実を超越した独特の空間的秩序がある……」

”ホークサイ”というのは、葛飾北斎のことでしょう。

フィクションとわかっていながら、ブライアンが日本のことをこんなふうに言ってくれるなんて、そういうイメージを持っていてくれたなんて……、と思って、嬉しくなった。

ブライアンへのインタビューを申し入れる主人公に、一緒にいた男性は困った顔をしながら、ブライアンを見る。

「こんなに可愛いレディが東洋の神秘の国から訪ねて来てくれた。大いに歓待しなくては」

ブライアンは主人公の申し入れにこたえる。
そして翌日、民族音楽をとりに行くのだが、一緒に行かないかと誘ってくれる。

「勿論! こんなハッピーなことはありません」
「僕もハッピーだ。明日は愉しい一日になることだろう」
ブライアンは立ち上がって、私の両肩に両手をあて、わたしの体をひきよせて、額にキッスをした。私はその瞬間、何十人もの女性と関係をもった男を感じた。

ブライアンはモロッコは素晴らしいところだと言い、目の前の広場を”死者の広場”だと教える。

広場で歌っている老婆を悪魔だと、秘密を洩らすように主人公の耳元で言う。

ブライアンはホテルまで歩きながら、老婆のように歌い続けた。

それはあの老婆よりも、もっと気味わるく、挑みかかるようだった。ブライアンは悪魔になって、生ある者をのろっているようだった。彼はおそらく凡俗なるもの、常識的なるものへの烈しい嫌悪、憤怒を老婆にことよせて吐き出したのではあるまいか。

その後、歌い続けながら、ブライアンは自分の部屋に入っていく。
主人公が自分の部屋に入り、しばらくしてから電話が鳴る。

「日本の可愛いレディにおやすみをいわないで失礼した。明日は愉しい日になるだろう」
ブライアンの声であった。私はまた、何十人もの女性と関係を持った男を感じた。

翌朝、ブライアンと主人公を含む4人は、車で町の郊外にある山村に向かう。

ブライアンははしゃいで、「ウォーキング・ザ・ドッグ」を歌いだす。

目的地に着くと、ジャジュカという土着民たちが待っていた。

彼らは長い長い演奏を始める。

ブライアンは少しも疲れを見せず、食い入るような眼は、音楽に生命を賭けた人の、ひたむきさで輝いていた。

帰りの車中で、ブライアンは、きっと素晴らしいレコードが出来る、もしかしてストーンズの名は消えても、このレコードだけは後世に残るに違いないなどと、ご機嫌な様子で喋った。

題名は「JOUJOUKA,」に決まっているという。

主人公は、何故、こういう音楽に興味を持ったのか、と質問する。

「西洋音楽は僕たちを骨抜きにした。機械文明、そして煩雑な法則、それらが芸術のなかから神と悪魔を追い払ってしまった。それがこのモロッコにはある。君は僕にインタビューに来た。どうだろうか。この”ジャジュカ”について語っては。ブライアン・ジョーンズの新作”ジャジュカ”の第一報が東洋の日本の雑誌に載るなんて愉快ではないか」
「いいニュースになります。日本の雑誌は、ミックやキースとあなたの関係、それからドラッグのことなど聞きたがっているらしいのですが」

主人公が思い切って質問すると、ブライアンは一瞬表情を曇らせ、「今はそういうことは考えたくない」と答え、ジャジュカの音楽とめぐり合ったことを、僕の再生の力にしたいと語る。

また主人公は、ブライアンにとって女性とはなにか、子供とはなにか、と質問する。

「君は”僕にとって”という規定をして訊ねた。これは極めて意義深いことだと思う。女性は、女性自身としては一人の人間として考え、生きていったらいい。子供にしたところで、やはり一つの人格であろう。しかし僕にとって、それはロックであり、ドラッグであり、民族音楽だということになろう。女性は僕の精神に幻覚作用を及ぼし、意識をかえさせる。そうした存在なのだ。現代は女性の人権などと面倒なことを言う。僕の発言は女性蔑視、男性横暴と批判されるだろう。僕は良識者にとって女性の敵ということになっているようだ」
「女性は子供を産んで母親になり、男性は父親にならなくていいのですか」
「だいたい母親とか父親とか、そういう言葉自身に僕は疑問を感じる。僕は子供には興味はない」
「あなたは日本に関心をお持ちのようですが、来られる予定はありませんか」
「行きたいと思うのだが、日本はなにしろ法律の厳しい国、僕のようなものは入れてくれないだろう」

これはあくまでもフィクションなのですが……。

どうなのでしょうね、ブライアンの女性観、家庭観、というものは。

案外、もっと単純で普通だったような気もするのですが。

別に家庭を否定していたわけではなく、状況が家庭を持つことを許さなかったというのもあるでしょうし。

自分が女遊びをする割には、相手には誠実さを求めていたような気もします。

あとは、女性に対して、「自分に何らかの影響(刺激)を与えてくれること」を大切に考えていたような。

こう書いてしまうと、自己中な人、みたいになってしまいますが、ブライアンは優しさも持っていた人だと思うんですけれどね。

そのへんの気持ちのギャップが、彼の中でゴチャゴチャして、混乱の素になっていたのかもしれません。

表面的に望んでいることと、心の底で望んでいることの違いが。

本当に大切なことに気付かせてくれるような女性との出会いがあればよかったのかもと思います。

主人公が2回目にブライアンに会ったのは、ストーンズを脱退してからのことだ。

そのことについてのインタビューをしてくるようにと依頼され、コッチフォードへと向かう。

ブライアンは思ったより元気そうで、ジャジュカのレコード化はいつになるかわからないと話した。

敷地内を案内されながら、主人公は浦島太郎の話をブライアンに教える。

プールの近くに来て、水の話になったからだ。

主人公が浦島太郎の童謡を教えると、ブライアンはギターを持ち出し、寸分違わないメロディーを弾きだした。

「リューグウジョのオトヒメサマは、ひょっとすると魔女だったのかもしれない。彼女はウラシマ・タロの命をうばってしまったのだ。しかしウラシマは満足であった。なぜなら、彼は現実の世の中では得られない、夢のような快楽を味わうことができたのだから。こんな快楽を味わった人間は、老人になってしまうのが当然だったであろう」
私はブライアンの、いかにも彼らしい浦島伝説の解釈を面白いと思った。そして彼はオトヒメとドラッグを重ねているのに気付いた。

約10日後、ブライアンはこの世を去った。
主人公は、ブライアンはプールの中に竜宮城と乙姫を見たのではないかと思う。

ブライアンはもう生きられない人間であったに違いない。彼は強烈な刺激がなければ生きていられない状態にあった。そして彼を満足させる刺激はなくなってしまっていた。

主人公は、2日後に開かれたブライアンの追悼コンサート(ハイドパーク)にも出かけていったが、人が多くて、ミックの朗読もよく聞こえず、蝶が舞い上がったのも見えなかった、というような感じで物語は終わる。

物語だとわかっていながら、今まで知らなかったブライアンの素顔が見えたような気持ちになった。

本当に、初対面の人と接するブライアンはこんな様子だったのかもしれない。

とてもおもしろかったし、わくわくして、読んでよかったと思ったけれど、ラストの方で主人公が思う「ブライアンは生きられない人間だった」っていうのには、少し納得がいきません。

いえ、いろいろな解釈があっていいのだとは思うのですが。

でも、これを読んであらためて、私も私なりに思う物語を書いてみたいと思いました。

以前、書いた、知り合いの占いで出たブライアンの死の真相についても、調べれば調べるほど、しっくりきてしまっているし。

なんの証拠もないし、なにが真実かなんて、わからないのですが。

でも、私の中の真実をひとつの仮定として書くのは別に悪いことではないでしょう。

もちろん、実名では書けません。

ノンフィクションをフィクションとして設定を考えて、でも元になったノンフィクションを感じさせるようなモノにするのは、中々大変そうです;

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