ジャジューカ・プロジェクト part2

ジャジューカ・プロジェクト はじめの一歩」というブログを以前書きましたが、それ以来、ちょこちょこといろいろやってきました。

一時期、あまりの忙しさに何も出来なかったりもしましたが、少しだけ時間に余裕が持てるようになりましたし。

頂いたアドバイスの中の、いくつかと、それを検討した結果。

「日本にモロッコの友好都市があれば、そこのイベントとして企画してもらう」→日本には(モロッコの)友好都市はない。

「学生で、こういう音楽を研究している人たちを探して、そのイベントとして企画してもらう」→出来そうな気配もあったけれど、結局立ち消え。

その他頂いたアドバイス。
「とにかくプロモーターがいればいいのだから、プロモーター探しをする」
「ジャジューカに詳しい、または興味のある評論家などの助言を求める」

プロモーターに(メールにて)問い合わせをしたところ、興味がありますと、お返事を頂いたのは一社。(名前は出しませんが)

「すぐに実現しましょう!」ではありませんが、気にとめて頂いただけでも、とっても嬉しかったです。

それに返事はくれないまでも、もしも担当者が目を通してくれて、「ジャジューカ」の存在を知ってもらえるだけでも充分だと思っている私です。

評論家関係でお返事をくれ、更に民族音楽に詳しい方を紹介してくださった方、お一人。(やはり名前は伏せておきますが)

これもとっても嬉しくって、紹介された方からもアドバイスを頂き、そのアドバイスに基づいて、またいろいろな問い合わせをしました。

ジャジューカは、ポール・ボウルズ、ウィリアム・バロウズ、ブライオン・ガイシンなどに気に入られ(国に雇われてもいて)、特に前にも書きましたが、ブライオン・ガイシン(ロンドン産まれでアメリカ国籍を持つ。父親はスイス人、母親はカナダ人。1986年に70歳で逝去)は、画家で同性愛者で、ジャジューカの演奏を聞かせる「千夜一夜」というレストランを経営していました。

そのブライオン・ガイシンの紹介で、ブライアンはジャジューカの音楽を知ったわけです。

これだけの有名人に支えられていたのなら実力と、それなりの知名度はあるのだと思うのですが……、
ここに名前が出ている方たち、みんな亡くなってしまっているというのが、悲しいというか。。。

でも今でも彼らは、カナダやヨーロッパ(この7月にはアメリカ・ツアーの予定もあったが、ビザの手違いで中止に)で演奏をしているようなので、日本にもきてくれてもおかしくない、というか、ぜひ来てもらいたいものです。

と、ゴチャゴチャ考えながら、ここまできて。

そろそろネットを使ってのことだけではなく、実際の行動も必要になってきたと気付きました。

そもそも私は、民族音楽のことも、ワールドミュージックのことも、ほとんど知りません。

なので、そういう音楽のイベントに参加すること、聴くこと、知識を増やしていくことも大切と思ったのです。

そこから新たな情報を得たり、人脈がつながっていくかもしれませんし。

「ジャジューカ、ジャジューカ」とだけ騒いでいるのもどうなのかと。

そんなわけで、今回はニャティティの演奏を聴きに行くことに。

ニャティティ(Nyatiti)とは8本の弦からなるケニア、ルオー民族の伝統弦楽器、だそうです。

男性しか演奏することを許されなかったというニャティティですが、日本人女性が世界初の女性ニャティティ奏者になったということです。その名もアニャンゴさん(向山恵理子さん)。

ケニヤからアニャンゴさんの師匠、ニャティティ奏者のニャムング氏、ダンサーのアドヨ氏を招いてのイベントでした。

最後には、ケニアダンスを参加者全員で踊ることになり、楽しいやら、汗だくやら。

まあ、滅多にできない体験をさせて頂きました。

それにしても、もっと長い時間ニャティティの音を聴いていたかった!

独特のリズムに惹き込まれました。

以前、モンゴルの馬頭琴の演奏を聴いた時にも感動しましたが、世界にはまだまだ私の知らない楽器があるのですね。
(私が知らな過ぎるのかもしれませんが)

これからも時間が許す限り、民族音楽(とりあえず特にアフリカ系)に触れていきたいと思います。

ブライアンがジャジューカに興味を持ったのは、ストーンズの音楽にこの音楽性を取り入れようと思っていたかららしい、という話もあります。

ジャジューカの音の編集時、「ブライアンはあとで、ストーンズがオーバーダビングできるようなモロッコ音楽をプロデュースしたがってたよ」という証言もあるので。

ブライアンがこのように考えていたのなら、1989年にストーンズがジャジューカと組んで作った「CONTINENTAL DRIFT」でブライアンの考えていた音楽が実現したことになりますね。

この映像の冒頭は、ブライアンが録音したアルバムの音です。

「CONTINENTAL DRIFT」は1分頃から始まります。

60年代より後のストーンズには詳しくないですが、この曲は好きです。

すごくカッコいいです^^!

キースが、鳥井賀句さんのインタビューで次のように答えています。
「”コンチネンタル・ドリフト”は、ブライアン・ジョーンズの死の20周忌のために作った曲ですか?」
――そうさ。ブライアンは20年前、ジャジュカのミュージシャンたちと一緒にレコーディングしているからな。そのうちの一人がバシアという、今ではグループのリーダーさ。当時ブライアンがモロッコで彼と会った時、彼はまだ7歳で子供だったから、ブライアンのことをおじさんかおやじのように思っていたんだろう。その時バシアはレコーディングを見て感激し、ミュージシャンになろうと決心したのさ。彼は貴重な存在だよ。何しろブライアンと深い交流があったんだからな。

バシアというのは、現在でもリーダーのバシール・アタールのことでしょうね。
来年はブライアンの死後40年になるわけですが、ストーンズとしても、なにかやってくれないでしょうか。

とりあえず、「ジャジューカ・プロジェクト」続行中です。

気の長い話になるかもしれませんが、よろしくお願いします。