「ロック・スターの女たち」リンダ編

ストーンズのツアーが再開したようですね。
一度行ってみたいものです。(チケ代高そうだけど)

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さて!
先日書いた通り、「ロック・スターの女たち」(音楽之友社)のインタビューにこたえている女性のうち、ブライアンと付き合っていたのはアニタ・パレンバーグとリンダ・ローレンスですが、「アニタ編」に続き、今回は「リンダ編」を書きます。

ブライアンと付き合っていた女性の中でも、個人的にリンダには好感を持っています^^

普通の女性らしい、ほんわかとした優しさを感じられて。


リンダのインタビューを読んでいたら、生身のブライアンを身近に感じられたように思いました。

ブライアンがスターになる前から、近くにいた女性。

スターになって、作られたイメージで覆い隠されてしまっていることも多いのでしょうけれど、リンダの言葉からは素顔のブライアンが感じられます。

彼女はインタビュー中、ここまで寛大になれるのかと思うほど、一言もブライアンを責めていません。

絶対的にブライアンの味方なのです。

1962年、イギリスの女学生だった15歳のリンダは、ウインザーにある小さなジャズ・クラブへローリング・ストーンズという新人のリズム・アンド・ブルースのバンドを聴きに行った。彼女は、その夜のたった十人の観客のうちの一人であった。
コンサートが終わってから、リンダはブライアンに、彼らの音楽が大変気に入ったことを伝えた。それがきっかけで、ブライアンとリンダは2年間付き合うことになるのだが、その関係も、1964年、二人の間にジュリアンという男の子が私生児として生まれてまもなく、破局を迎えた。

1962年に15歳だったということは、リンダはブライアンより5歳年下なんですね。

それにしても10人しか観客がいないクラブでストーンズの演奏を聴けたなんて、羨ましい!!

その頃、ブライアンはミック&キースと、イーディス・グローブのボロアパートで共同生活をしていた。

ストーンズファンならご存知の方も多いと思いますが、そこでの生活は悲惨なものだった。

電気代も払うことができず、洗っていない服、汚れた食器、タバコの吸殻、割れたカップが散乱し、水道管は凍りついていた。
(それでもブライアンは毎日シャンプーすることを欠かさなかったという)

食べるものもなく、あまりの寒さに、一日中毛布にくるまってギターを弾いていた。
アパートには電話もなく、

「ブライアンは朝起きると、道のはずれの電話ボックスまで走って行って、ロンドンのエージェントのエリック・イーストンといった人たちに電話をしていたわ。彼がどうやってそのエージェントを知ることができたのかわからないけど、オフィスがリージェンシー・ストリートにあったので、ブライアンはドレス・アップしてそのエリック・イーストンに会いに出かけなくちゃならなかったのよ」

この時期、ブライアンが他のメンバーより高い報酬をもらっていたことを、リンダは責めてはいない。

実際に、ブライアンは他のメンバーよりも多く働いていたのだから、と。
(後にバレたとき、他のメンバーから不信感を持たれることになるのですが)

マネージャーとなるアンドリュー・オールダムが現れるまで、ブライアンは思うようにストーンズの音楽面をコントロールしていた。

リンダは、

「もう少し、お互いに時間をかけていれば、二人はうまくやっていくことができたと思うのよ」

と言う。

それまで自分がやりたい方向に音楽を持って行けるという自信があったブライアンは、アンドリューの強引なやり方に強く反発してしまったのだ。

アンドリューもブライアンも若かったから、熱かったのでしょうね。(アンドリューは1944年生まれなので、メンバーの誰よりも年下。マネージャーになった時、まだ10代だった!)

リンダと付き合い始めたブライアンは、リンダの実家に居候することになる。

作曲は出来なかったと言われているブライアンだが、リンダは、ブライアンが部屋で一人きりで曲を作っていたのを覚えている。

「おかしなことだけど、彼は自分が作る曲を誰にも聴かせたくないといった様子で、不安気にギターを弄んでいたわ。あたかも、考え事を整理しているかのように」

ブライアンは、ガールフレンドに対して暴力的だったといわれているが、リンダは「彼は紳士だった」という。

リンダの家に住み込んでいたブライアンは、「自分で洗濯をしたり、(リンダの)兄のシャツを借りて着たり」していたのだそうだ。

リンダの両親もブライアンのことを気に入っていて、父親は車を貸してあげたり、その他何でもしてあげていた。

他のメンバーはスチュ(初期のメンバーだったが、容姿が”ストーンズらしくない”という理由でメンバーからはずされた。メンバーではなくなっても、ストーンズと活動を共にしていた)の車に乗り込んでいたが、ブライアンはみんなとは少し離れたがっていたという。自分だけの時間を持ちたかったのかもしれない。

ブライアンは厳格な自分の家族と違って、あけっぴろげで賑やかなリンダの家族を気に入っていたようだ。

ある日、ブライアンはリンダを連れて、チェルトナムの実家に向かった。

家が近づいたとき、喘息の発作が起きた。それくらい、ブライアンは自分の両親に会いに行くことに神経質になっていたのだ。

リンダとブライアンは、実家に2、3日泊まることになったが、リンダの印象では、

「彼らは息子がロックン・ロール・バンドをやっていることにも不満気で、全くブライアンを理解していなかった。でもブライアンは誇りに思ってもらおうと一生懸命だった」

有名になっていくにつれて、少しずつ息子に親しみを持つようになったそうですが、ブライアンはいつだって両親に認められたくて必死だったように思います。

2人が付き合い始めて1年ほど経ったとき、リンダは妊娠した。

喜んでくれると思っていたリンダの両親はうろたえ、ブライアンの両親の反応は冷たいものだった。

妊娠のことを切り出そうと、ブライアンの両親を2人で訪ね、パブに誘い出したが、結局言い出せず、リンダの親が手紙で知らせることにした。

その返事は、『そんなことはあり得ません。なぜ、そのような事態になったのか、理解しかねます』。

1964年6月、初めてのストーンズのアメリカツアーを境に、ブライアンの彼女に対する態度が変わっていく。
(このツアーのことについては、以前のブログ「CHICAGO Chess SESSIONS」で書きました)

ブライアンから「愛している」と書かれたカードや手紙を受け取ったが、ツアー中、ありとあらゆるドラッグをやったらしく、帰ってきたときには別人のようになっていた。

アンドリューたちから、「結婚したらおしまいだ」と言われ、「マイホーム主義者」だと笑われているように感じてしまったのだ。

リンダはブライアンと、当時ミックと付き合っていたクリッシー・シュリンプトンとチャーリーの奥さんのシャーリーと産婦人科に行った。まだ中絶できるかどうか調べるために。

医者に諭され、子供を産むことにしたが、お腹が大きくなってきたリンダを、ブライアンは人目から隠そうとした。

2人の息子、ジュリアンは1964年7月に産まれる。(この時、リンダは17歳!)

その数ヵ月後、ストーンズは二度目のアメリカ・ツアーに出る。

ツアー中、ブライアンは父親になったことで以前よりももっとからかわれることになり、

「ツアーから帰った彼は『結婚なんてできないよ』と言い残して、私の家から自分の持ち物を全部持ち出してアパートに移ったわ」

ブライアンは、リンダの両親に感謝の気持ちを伝えたくて、ハンドバッグと掛け時計を買ってきた。

リンダは心の中で、ブライアンが自分を傷つけたことで責任を感じていたのを知っていた。

「『君は僕にはできすぎた人だ。君をこんな世界に引っぱりまわすことはできないよ。でも僕にはやらなくちゃならない仕事なんだ』と言おうとしていたのよ」

……リンダ、優しすぎです……。

全然、ブライアンのことを疑ったり、責めたりしないんですね……。

ブライアンのファンではあるけれど、客観的に見て、この時のブライアンには”ずるさ”を感じます。

”君は僕にはもったいない”というような台詞は、自分が悪く思われないような、体のいい別れ文句ではないですか。

お腹が大きくなってきたリンダを隠そうとするなんていうのも、ブライアンの自分勝手さが見え隠れしています。

とにかく、なにがなんでもブライアンは仕事(ストーンズ)だけは失いたくなかったのでしょう。

リンダのことが嫌いになったというよりも、「どちらかを選ばなくちゃいけない」となったとき、ストーンズを選んだということなのでしょうね。

そして、自分によくしてくれていたリンダの両親には、本気で申し訳ないと思っていたのだと想像できます。

それらのことを振り切ってまで、ブライアンにはストーンズが大切だったのだと思います。

一体ブライアンはなにを求めていたのでしょう。

多くの人から愛され、人気者になること。

でもスターに向けられる賞賛は、気ままで無責任だったりするのに。

そういう無責任な聴衆は調子がいい時はチヤホヤして、調子が悪くなると去っていくものでしょう?

求めていた本物の愛情には、責任というものがつきものなのに。

責任を放棄しては、何事も本物は得られないと思います。

あ、そうか。

きっとブライアンが心から欲していたのは、両親からの愛情だったのですよね。

両親から認められるためには、普通に結婚して平凡な生活を送っているくらいではダメで、スーパースターになり、多くの人に賞賛され、そんな自分を誇りに思ってもらうことが必要だと感じていたのかもしれません。

ブライアンはリンダをモロッコ旅行に連れて行く。

2人がイギリスに戻ったとき、ブライアンはリンダに「たぶん、二度と会うことはないだろう」と言い残して去って行った。

深い悲しみに打ちひしがれたリンダだったが、
「アメリカに行って、ブライアンをすっかり変えてしまったものはなんだったのか見極めよう」
と思い、1965年を最初に、ジュリアンを両親に預け、その後数回アメリカに行く。

アメリカでは、アルバイトをして過ごしながら、いろいろな経験をして、イギリスに帰ってくる。

イギリスにいる時には、リンダはいつでもブライアンの居場所を探し出して、ジュリアンを連れて会いに行った。

リンダはブライアンの死をカリフォルニアで知り、気が狂いそうに取り乱したが、ジュリアンを連れて、お葬式に行った。

「お葬式のあとにブライアンの両親の家を訪ねたら、2人ともしっかりとジュリアンを抱きしめてくれたの。うれしかったわ」

1970年、リンダは音楽家のドノヴァンと結婚する。

ドノヴァンはジュリアンを養子に迎え、リンダとの間には2人の娘が生まれた。

このインタビュー当時、ドノヴァンとリンダは、ミュージシャンと暮らした女性三人の生活態度や意見を基にしたミュージカルを企画していた。

「私は妥協することなく、自分を自分の手で解放してきたわ。私たちが言おうとしていることは、音楽業界では通じにくいことかもしれないけれど、やってみる価値はあると思っているわ」

21歳になったジュリアンは(このインタビューは1985年に行われたものなのでしょう)カリフォルニアの町にある小さなクラブで歌っている。

コンサートでの彼は、ミックにそっくりなのだそうだ。

「16歳の時、ミックが彼をツアーに連れて行ってくれたの。ジュリアンは楽屋でミックがやったとおりのことを真似してみせたそうよ。シャーリーが言っていたけど、ミックはブライアンの幽霊がついてきてると感じて気が動転したらしいわ」

「彼(ジュリアン)はブライアンを全面的に尊敬しているわ。ブライアンと、彼に関係した暴力が本ではかなりゆがめられて書かれているけど、ジュリアンは全部読んでいるし、彼が父を憎む原因になるようなことは、いっさい与えていないのよ」

父親としての責任をとることを放棄し、結婚をすることを拒否したブライアンに対して、なんて寛大なのでしょう!

ブライアンが「敵を作りやすい」というのは、こういうところにあるのかも、と思います。

同じような冷たい仕打ちを受けたり、それを見たりして、ブライアンを嫌う人は「嫌な奴だ」と徹底的に嫌うでしょう。

でも、彼の混乱している内面を理解しようとする人は、彼の思いを自分のことのように感じ取り、決して彼のことを憎んだりしないのでしょう。

ブライアンが本当に欲しかったものは、もしかしたら、自ら手放してしまったものの中にあったのかもしれません。

愛した女性に、こんなふうに思ってもらえるなんて、しあわせね、ブライアン。

ジュリアンのホームページは、コチラです。

26歳の頃のジュリアンの写真は「ストーンズに葬られた男」(大栄出版)で見たことがありますが、ずいぶん変わってしまいましたね……。

この本の中で、ジュリアンは次のように言っています。

「とっても小さいとき、父親に会ったことを覚えてるんだ。ぼくは怖がって泣いていた。すると父親が、高く抱き上げてくれたんだ。ぼくを抱き締めてくれたときの彼の顔をぼくはいつでも思い出せる。たまにどうしてもと思うときは、目を閉じるんだ。すると、あの瞬間が戻って来る。それで気持ちが楽になるんだよ」

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