マリアンヌ・フェイスフル part3

part2を書いてから、間が開いてしまいましたが、マリアンヌのブログの続きを書きます。

まず最初に、以前にも書いた彼女のプロフィールのおさらい。
「1946年12月29日、ロンドン生まれ。

貴族の血を引き、17歳まで修道院で育つ。

1964年にロンドンで行われたローティーン歌手、アドリエンヌ・ポスタの誕生パーティーへ出席していたストーンズのマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムは、ミック&キースが書くオリジナル曲をポスタに歌わせようと画策していたが、会場で出会ったマリアンヌを見初め、作戦を変更。

数ヵ月後、マリアンヌが歌う「As Tears Go By」がリリースされた。

マリアンヌはその後1965年に、交際していた美術商、ジョン・ダンバーと、いわゆる”出来ちゃった婚”をし、11月に長男ニコラスを出産。

1966年、交際していたクリッシー・シュリンプトンと不仲になったミックが、マリアンヌに接近。

今回、参考にしたのは「マリアンヌ・フェイスフル」(マーク・ハドキンソン著、キネマ旬報社)と、DVD「マリアンヌ・フェイスフル」です。



マーク・ハドキンソンは本を執筆するにあたり、彼女を取り巻く多くの人にインタビューしたが、マリアンヌが直に協力したわけではなく、しかしインタビューに答えている人たちは、彼女の許可を得ているそうです。

DVDの方は多くのマリアンヌ本人のインタビューで構成されていて、本の取材を断った元夫のジョン・ダンバーも、そしてキースも登場してコメントしています。(さすがにミックは出ていない)
アニタも少しだけ、コメントしています。

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私がDVDで自分のことを語るマリアンヌを見て感じたのは、
「私の生き様を見て!」
という彼女の強い自己主張だ。

60年代のお人形のようにかわいいマリアンヌもいいですが、私はその後、いろいろな試練を経て生き抜いてきた今のマリアンヌに、より一層魅力を感じている。

マリアンヌ曰く、父親のグレン・フェイスフルはスパイ、母親のエヴァはダンサーだった。

まず思ったのは、マリアンヌは可憐で儚げなイメージがありますが、本来の彼女は、とっても強いということ。

”我が強い”という表現の方がいいかも。

私には、アニタよりもむしろマリアンヌの方が強いのではないかと思えるし、またマリアンヌとブライアンはどこか似たところがあるような気がすると以前書きましたが、2人の徹底的な違いは、この”強さ”だと思う。

ブライアンには、マリアンヌのような”強さ”はなかった。

例えば、インタビューにこたえる妖精のような容貌のデビュー当時のマリアンヌは、強い表情でこう言っている。

「周りが何をしようと、どう思おうと構わない。私はいつだって冷静よ」

そして、(たぶんミックと別れた後、1970年頃?には)

「助けなんて不要よ」
と言い放つ。

また、恋人だったジョン・ダンバーに内緒でデビューしたことについて、彼は怒ったそうですが、マリアンヌは、
「関係ないと思った」
と言っている。

デビュー前のマリアンヌは……、両親の離婚により、母親と一緒に暮らすことになる。
信者ではなかったが、修道院に入れられ、美少女だったために、尼僧たちに”悪女”のレッテルを貼られた。

16歳の頃には男の子たちの憧れの的になり、ボーイフレンドに誘われて大学のパーティーに行

き、最初の夫ジョン・ダンバーに出会う。

彼はいろいろな人を知っていて、その中にアンドリュー・オールダムがいた。

アンドリューは、マリアンヌを見て、「この容姿なら売れる」と確信し、ミックとキースに曲を作るよう指示。

その時、出来た曲が「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」。

1965年、妊娠したことにより、ジョン・ダンバーと結婚、ニコラスを出産。

ところが1年も経たぬうちに、2人は不仲になる。

ミックと付き合い始めた頃、マリアンヌの友人の多くは彼女の将来を心配して批判したそうだ。

※引用※
バリー・ファントーニは何度かローリング・ストーンズに会っているが、彼らに対する当時の一般の批判よりもさらに辛辣な言葉で、彼らへの嫌悪感を表している。「チャーリーとビルをのぞけば、やつらはみんな中流階級のチンピラだ。ブライアンは頭は悪くないが、苦悩を抱えている。彼は繊細すぎるんだ。ミックはひどく不愉快なやつで、あの性格はどうも虫が好かない。ひどく気取っている。彼は富に取り憑かれているが、大きなパワーも持っているので、そこにマリアンヌはいかれてしまったんだろう。そういう、ある種不安定な、富に支えられたパワーっていうのは、ひどく魅力的だろうからな」

「とてもステキな人だった」
と、インタビューでマリアンヌはミックのことを語っている。

「彼のために全てを捨てた。仕事も辞めた。自分の持つ知性と知識をすべて彼のために捧げたの。彼自身や彼の音楽、仕事に。でも入りすぎたのね」

その頃の彼女は、ドラッグの力(怖さ)を知らず、LSDは素晴らしいと得意気に話していた。

「思い上がっていた」と、マリアンヌは当時の自分を振り返る。

※引用※
ストーンズのギタリスト、ブライアン・ジョーンズとドイツ人のガールフレンド、アニタ・パレンバーグは、ドラッグをやりはじめたばかりのマリアンヌにより明白な影響を与えていた。彼女とストーンズはしばしばテレビで共演していたし、ロンドンを本拠にした似たようなマネージメントチームでやっていたこともあり、彼女は頻繁に彼らと会っていた。彼女が初めてLSDのトリップを経験したのは、ジョーンズとパレンバーグがキース・リチャードと一緒に住んでいたフラットでのことだった。

1967年2月、レッドランズで、ミックとキース、マリアンヌ、その他数人がドラッグを楽しんでいたところに警察が急襲。

マリアンヌはお風呂に入った後、着ていた服が汚れていたので、代わりにソファにあったエスニック風の敷物を身にまとっていた。

最初、マリアンヌは警察が突然踏み込んできたことを、LSDによる恐ろしい幻覚だと思った。

身にまとった敷物は何度もずり落ちたが、トリップしていた彼女は夢の中にいた。

マリアンヌがそこにいたという事実は隠されたが、マスコミにはバレてしまい、「X嬢」と書き立てられる。

「マーズ・バースキャンダル」というのが、どういうことなのか、やっとわかりました……。

あまりにもえげつないので、文章にも出来ませんが、そのことについてジョン・ダンバーは、
「ふざけていたんだろう」
と言い、キースは、
「でっちあげだ。あそこにマーズ・バー(チョコレート・バー)はなかった」
と言っている。

逮捕劇を通して、
「ミックとキースはワルのイメージに磨きをかけた。わたしのほうは、けなされ、踏みつけられた。女性としての品位もあの事件で完全に汚されたわ」

マリアンヌのイメージは壊され、これが彼女を変えてしまった。

しかし、ここからがタダモノではない、彼女の強いところです。

彼女はきつい口調で語ります。

「”裸の女”という悪女役を受け入れたわ。お望み通りになってやったの。構うもんですか」

そこで出演した映画が、全裸シーンもある「あの胸にもういちど」。

この映画のことは以前書きましたが、マリアンヌがそんな気持ちで出演していたとは知りませんでした。

しかし映画の撮影中も、彼女はドラッグをやっていたそうで、そのせいで、
「演技に身が入らず、ひどい脚本に文句を言う気力もなかった」
そうだ。

……長くなってきたので、続きは後日にしますが、ブライアンのことに触れておきましょう。

マリアンヌは中国の易占いをやっていて、ブライアンに「水死」の予言が出ていてショックを受けた。

そしてミックを説得し、しばらくレッドランズに滞在していたブライアンの元に向かう。

※引用※
だが、その訪問も、ジャガーがジョーンズの召使が用意した食事を断ったことから、口論になってしまった。マリアンヌはそれが激しいののしり合いになるのを見ながら、二人のあいだに憎悪が行き交うのを目にした。とうとう、息を切らして顔を真っ赤にしたジョーンズがジャガーにナイフをつきつけた。二人はナイフを取り合いながら、取っ組み合っているうちに、レッドランズを囲む浅い濠に落ちてしまった。二人は最後には話し合いに落ち着いたが、それは表面的で中身のないものだった。

私は2人は言い争っただけだと思っていたのですが、ミックがうまくよけなければ、血を見るようなことになっていたのですね。

しかし、ブライアンがナイフを持ち出すほどの言い争いとは、どんな内容だったのでしょう。
もしかして、これでしょうか。

サンチェスの著書に、打ちひしがれたブライアンの言葉として↓次のように書かれています。

「この前の晩、ミックとやり合った。奴がなんていったと思う? 俺なんか目ざわりなんだとさ。えらく目ざわりで、ストーンズの一員として音楽をやる資格がないんだと。冗談じゃない。ストーンズは俺のバンドだぜ。全部俺のアイディアじゃないか。俺なしでここまでやれたはずはないだろう? それが今じゃ、俺から何もかも取り上げちまおうっていうんだから……」

ということで、続きは後日。