ブライアン・ジョーンズな日々 part7

part6からの続きです。
前回に引続き、それほど重くない話題を。

文中の引用は特に記述がないものについては、全て「ストーン・アローン」からです。


まずはじめに……、
ちょっとおもしろいことに気付いたのですが、星座占いで12星座は3つずつ4種類の星座のグループに分けられます。

風の星座、水の星座、地の星座、火の星座。

簡単に説明しますと、風の星座というのは、情感よりも論理を重んじるクールなタイプ。

水の星座は、論理よりも情感を重んじるタイプ。物事の判断基準はそのことが好きか嫌いか、だけ。

地の星座は、五感を駆使するタイプ。理屈や感情によってではなく、何事も自分で確かめないと気がすまない。

火の星座は、情熱タイプ。火のように勢いはあるが、焼き尽くした後は潔くケロリとしていて根に持たない。

そしてプロフィールによると、ブライアン(うお座)とビル(さそり座)は、水の星座。

ミック(しし座)とキース(いて座)は、火の星座。

チャーリー(ふたご座)は、風の星座。

同じ星座グループはやっぱり通じるものがあるのかもしれないって思うと、これって、すごいと思いません?

やっぱり星座占いって当たるのかなって思っちゃいます。

ちなみに私はブライアン、ビルと同じく水の星座グループの、かに座です。^^

まあ、同じグループだとはいっても、それぞれの星座別に特徴はあるのですが。

あ、以前も書きましたが、私は別に星座占いを妄信しているわけではありません;

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1966年、ブライアンは自分の過去を振り返り、その半生が現実逃避の連続だったと認識した上で、次のように語ったそうだ。

「ローリング・ストーンズとおれは切っても切り離せないものだけど、イメージが今ひとつしっくりこない。反逆児と思われていた時代は去った。人生は矛盾だらけだ。おれはひどく混乱している。この気持ちを何とかして表現したいと思うのだけど、何をすればいいのか、わからないんだ。不安なわけじゃない。ただ自信がないだけだ」

私はブライアンは好き勝手に生きてきて、そういうつもりはなくても結果的にまわりに心配や迷惑をかけてきた、そして彼がそのことに気付き、自分の人生を見つめなおしたのはもっと先のこと――アニタと別れてから――だったんじゃないかと思っていたのですが、1966年の時点で、こういう心境になっていたというのは意外だった。

好き勝手にやって反逆児がカッコよかった時代は終わりを告げ、次にはやったことに対して責任をとっていくことをやらなくてはいけなくなる、時代はそんなふうに動いていくものだと思う。

反発・反逆→ある程度、反発の影響で変化が起こるが、反発し続けるだけでは何も変わらないと気付く→自分たちがやってきたことに対して責任をとっていくことをしなければならなくなる→抑圧されれば、また反発……、というふうに、時代はまわるものではないだろうか。

個人的なことと世間の動きを一緒に考えているような感じですが、たまたま世間の流れとブライアンの心境が似たような動きをしたということでしょう。

ブライアンはやはり物事を深く考えていた人なのだと思った。

しかし何が、彼をこのような気持ちにさせたのだろう。

アニタとの関係の中で心境の変化があったのだろうか。

ブライアンとアニタは仲がいいくせに、喧嘩もしょっちゅうだったという。

ブライアンがアニタを殴ろうとして骨折した後(ブライアンは、アニタを殴ろうとして骨折したとは認めていない。山登りをしていて骨折→訂正して、バスルームの床で足を滑らせて骨折したと語っている)、ふたりは険悪になり、9月、ブライアンはマリアンヌ・フェイスフルとベッドを共にしたそうだ。(マリアンヌはミックとはもちろん、キースともちょっとした関係になっていた、らしい)

――しかし、こんなことまでビルが知っているというのは、どうなってるんでしょうね?

険悪になりながらも、ブライアンは真剣にアニタとの将来を考え始めていたのだろうか。

男性は特に、結婚する際には自分の足固めをきちんとしてから、と考えるものかもしれないの

で、アニタとの仲を進展させる前に、仕事面でこのままではいけないと思ったのだろうか。

「in the beginning」の中に、こんなことが書かれていた。

1966年2月、ブライアンは『レコード・ミラー』にこう語っている。
「もうすぐ引っ越すつもりだよ。ロンドンに大きなフラットが欲しいんだ。その次には、演奏できる小さなホールがある大きな家に移って、庭にゴーカートのトラックを作る。アニタと俺の間に始まったゴタゴタをすっきりさせたいんだ。もうすぐ俺はロールスに乗るのをやめて、アニタと自分に1台ずつミニを買うつもりだ」

ブライアンとアニタの仲は、どちらが主導権を握っていたのかはわからないけれど、もしかしてアニタのほうが強かったのかもしれない。

後にアニタがキースと付き合い始めたときに、キースはアニタに言われて自動車を買い替えたそうなので、ブライアンが買った不気味なナンバーのロールスはアニタに言われて買ったものだったのかもしれない。

ブライアンは、このままアニタに振り回されるのではなく、自分が主導権を握りたいと思ったのだろうか。

そのために、まず車を買い替えようと思ったのだろうか。

そして、ストーンズ内でミックとキースに主導権を奪われている立場に甘んじているのではなく、もっと仕事面(音楽面)で、しっかりしていかなければと思ったのだろうか。
(全て憶測にすぎませんが)

どうにかしなくちゃいけないのはわかっていても、どうしたらいいのかわからない、という気持ちは理解できるように思う。

でも彼は「不安ではなく、ただ自信がなかっただけ」なのだという。

アニタが一緒にいてくれたから、不安はなかったということだろうか。(これも憶測に過ぎません;)

創作活動というのは、基本的に孤独なものだ。

アーティストに必要なのは、その作品にどれだけ情熱を持っているのか、どれだけ自分の世界を信じていられるか、そして自分の作品を「いい」と認めてくれる周りからの評価だ。

評価されないどころか、むしろ悪評を受けながら創作活動を続けることは、アーティストにとっては辛いことであろう。

自分が作り出す世界に自信が持てなくなったとき、その創作活動はまるで意味のないものに感じられてしまうだろう。

自分の世界以外は見えずに、どっぷりとそこに浸っていられるアーティストもいるかもしれませんが。

1966年(ミック&キースがソングライターとしての才能を伸ばし始めた頃)、ブライアンは言っている。

「おれも曲を書いてみたいんだけど自信がないから、誰かの励ましが必要なんだ」

グループ内で散々ないがしろにされていたブライアンは、自分の音楽的才能に対してすっかり自信を失っていたのだろう。

あの3月(1965年)、ブライアンの知らないところでの出来事をデイヴ・トムソンが証言している。
「アンドリューはブライアンをこきおろしていた。『あいつは追い出すべきだ……ついては、どういうふうにやろうか』みなはブライアンをばかにして、『あいつがしようとしていることを知ってるかよ』などといった。
トムソンはオールダム(アンドリュー)とはそりが合わず、後になってミックとキースにブライアン追い出し計画についてかまをかけた。
「『ブライアンをグループから追放するなんてこと真剣に考えられやしないだろう』とおれは訊いた。キースは考えられないと答えた。ミックは肩をすくめただけだった。いつも悪口をいっていたのはアンドリューだった。嫉妬していたのだ」

 ブライアンと一緒にエルムパーク・レーンに引っ越したデイヴ・トムソンはいった。
「ブライアンは周囲の連中が自分を笑い者にして、自分のいうことを真剣に聞いてくれないから、ますます真剣な話ができなくなってしまうんだといって悩んでいた。あるときふたりで曲を作っていると、彼はふいに曲を作るのをやめてこう言い出したんだ。『こいつをスタジオに持っていっても、みんなはきっと鼻先で笑って使っちゃくれないだろうな』ブライアンはすばらしい才能を持った男だった。新しい楽器をひと目見ただけで、演奏の仕方がたちどころにわかってしまうんだ。だけど、彼が家でギターを取り出すことは滅多になかった。家でギターを取り上げる気にはならなかったんだ。なぜって、曲を書いてみんなの笑い者になることを恐れていたからさ。それでも、ブライアンは天性の素質に恵まれた素晴らしいミュージシャンだった。一度、ジョージ・ハリソンがブライアンにシタール(ひどく難しい楽器だ)の手ほどきをしているのを見たことがあるが、ブライアンは教わってからわずか数分で弾き方をマスターしてしまった」

ブライアンが音楽の面で自信を取り戻すには、ストーンズ内の雰囲気を変えること、もしくは、自分がストーンズから抜けること、またはストーンズ以外での活動を多くこなしていくこと、などが必要だったのかもしれない。

しかし既にミックとキースが主導権を握っているストーンズ内の雰囲気を変えることは難しかったのだろうし、自分がストーンズから抜けるというのも簡単に決断できることではなかっただろう。

ストーンズ以外での活動を多くしていったとしても、結局ストーンズに帰るわけだから、そこでまた「笑い者の除け者」にされるという屈辱を受ければ、せっかく得かけた自信も揺らいでしまうものかもしれない。

結局彼は、「どうにかしなくてはいけない」と思いながらも「どうしたらいいのかわからない」という日々を送り続けてしまうことになったということだろうか。

才能はあるのに、自信を失っている彼に必要だったのはなんだったのだろう。

もしかしてブライアンが「ローリング・ストーンズとおれは切っても切り離せないもの」と思っていたのが、アーティストとしてのブライアンにとっては、よくなかったのかもしれない。

ひとりで演奏してても、ストーンズにいても、自分は自分。もしもストーンズが自分を認めないなら、抜けてやる、くらいの気持ちがあればよかったのかも。

「ストーンズのブライアン」じゃなくても、ブライアンにはやっていける音楽的力量があったのだから。

でもそう思えるようになるのには、もう少し時間が必要だったのかもしれない。

とはいえ、ストーンズの曲でもブライアンが作曲、または作曲に大きく貢献した作品はあると思うのですが。

ビルはそのあたりは、よく把握していなかったのでしょうか。

自分が大きく関わったJJFに関しては、「自分がリフを作った!」って主張しているのに。

ブライアンが深く物事を考えているなあと感じられる発言は他にもある。

ブライアンはティーンエイジャーの反抗について、
「世代ごとに新しい考えの波動が起きる。それを抑圧してしまったら社会と文化はおしまいだ。20年たてば、おれたちの子供がまったくおなじようにこちらに反抗してくるだろう」といった。

ブライアンは、自ら社会の構造的変化とみなすものについて、より深く考え込んでいた。その姿は、やつの繊細さを示していた。
「おれには人生を生きる上での掟があって、これを発展させようと思うんだ。不思議なこともたくさん学んだ。今は金儲けよりも、精神と肉体と健康の調和を図ることに関心がある。ポップスの世界は企業家やエージェントだらけで彼らとはうまくやっていけないから、こういう話もこれまではあまり表には出さずにきた。おれは、金儲けには大して興味を持っていない。数日前に、※映画音楽を作曲するよう、はじめて頼まれたんだ」

(※この映画音楽というのは「A Degree Of Murder」)

「SATANIC MAJESTIES」(1967年、イギリスにおける7枚目のアルバム)はたちまち、自己満足の、作為に満ち満ちた、悲劇的な失敗作、という非難を浴びたが、ブライアンは、このコンセプトとなったポップの風潮に――そしてストーンズ内部にも――起こりつつある変化を正確に指摘することが出来た。

「このアルバムは、とても個人的なものだ。でもビートルズだって同じくらいに内省的だぜ。これは覚えておいてくれよ。おれたちの生活全体は、近頃の社会や政治の出来事の影響を受けているし、それが仕事にも現れてるっていうこと。ある意味で、<2000 Light Years From Home>のような曲は予言的であり、まったく内向的なものじゃない。それは、起きるにちがいない、とおれたちが信じていることなんだよ。つまり、価値とか態度とかの変化さ。エンターテイメントは退屈だ。コミュニケーションがすべてだよ」

うわっ、すごいなブライアン。

そう、大切なのはコミュニケーションだと思う。

私はブライアンはコミュニケーション下手な人だったのかもしれないと思っていたのだけれど、その大切さにきちんと気付いていたっていのが、やっぱりすごいよ~、ブライアン。

どうしてそれまでこのような野心的な考え方が、ポピュラー・ミュージックに入り込んでいなかったのか、そしてなぜストーンズやビートルズといったグループが、ポップの形式やアプローチをそこまで大きく塗り替えたのだろうか、という質問には、ブライアンはこう答えている。
「それは戦争のせいさ。人々が自分の人生や、存在価値について考えはじめたときに、戦争が起こるものなんだ。そして戦争ほど、文化や芸術、あるいは考える時間の余裕という単純な人間の権利などを一網打尽にできるものは他にない。いったん戦争の恐怖を知ったら、人々はそこから逃避しなくてはならなくなる。月だ、6月だ、ロマンスだって囁くように歌う、逃避的なポップ・カルチャーが必要になるんだ。おれはそんな時代に知らずにすんだことを、神に感謝しているよ」そして、バラード歌手というのは「戦争に疲れ、ぼろぼろになったすべての人たちに必要なものだった」とブライアンは付け加えた。

本当にいろいろなことを広く考えていた人なのだと思う。

ブライアンの型にはまらない大きな世界観に魅力を感じる。

いろいろ語り合ってみたかったな。

いえ、語り合わないまでも、もっともっと彼が語る言葉をたくさん聞いてみたかった。

ただし恋愛観は聞きたくなかったかも。

語られたら、
「あなたは多くの女性に囲まれていたのかもしれないけど、本当は女性のこと、なにもわかってないのよっ」
なんて思っちゃいそうです。(反抗的でごめんね、ブライアン;)

とか言いながら、話聞いたら素直に納得しちゃうのかも。笑

さて、話は変わりますが、
1965年、アメリカ・ツアー中、マンハッタンのフォーン・ブースというクラブでボブ・ディランに出会い、ブライアンは気に入られ、朝方までグリニッチヴィレッジのクラブを連れまわされたそうだ。

ふたりはその後、ウィルソン・ピケットと一緒にレコーディング・スタジオへ行き、共同で歌詞を書き、レコーディングをしたそうなんですが、この曲はなんの曲なのでしょう?

発表されているのでしょうか?

ブライアンは、ボブ・ディランのグループに誘われたそうですが、もしも話にのっていたらどうなっていたでしょう。
(一緒に活動するのは、難しかった?or 案外うまくいった?)

同じく1965年、ディランはカーネギー・ホールでのコンサートで観客に向かって「Like A Rolling Stone」はブライアンのために作った曲だと語ったそうだ。

今、BGMはボブ・ディランですが、ブライアンは「Ballad Of A Thin Man」は自分のことだと思い込んでしまったそうですが、これって彼の妄想癖のせいじゃなくて、どう考えてもMr.Jones=ブライアンじゃないでしょうか?

なんでも妄想って言われちゃうのはキツイですね……。

ということで、長くなって疲れたので(^^;、また次回に続きます……(いつまで続くんだー)