ブライアン・ジョーンズな日々 part1

先日、「ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男」という映画を観て、『ブライアン・ジョーンズをまるで知らなかった私なのに、とっても彼のことを知りたくなってしまった。』などと書きましたが、その後、私はブライアン・ジョーンズな日々を過ごしている。

どういう日々なのかっていうと、最初はCDを買っただけだったのに、少しずつ知っていけばいくほど、一体彼がどんな人だったのか、どんな音を奏でていたのかがもっともっと知りたくなり、CDを初めとして、DVD、写真集、本などを観たり聴いたり読んだりして――、つまり、ブライアン・ジョーンズにハマッている日々を過ごしているのだ。

オススメCDがあると知れば買いに行き、その店で見つけたDVDを買ってきて観て、動いているブライアン・ジョーンズに感激する。

そしてますます、彼がどんな人であったのかを知りたくなる。

彼は既に亡くなっているので、彼を知るのには生前のインタビューや周りの人たちの証言を参考にするしかないのですが、今回私はあらためて、人の証言ほど真実なのに嘘のものはないと感じている。

例えばAという人が、彼に対してプラスの証言をする。

また別のBという人が、彼に対してマイナスの証言をする。

食い違う証言。

Aの証言が真実だったら、Bの証言は嘘なのか?と、一瞬疑問に思う。

でも、どっちかが正しくてどっちかが間違っているということではないと気付く。

それらの証言はAにとってもBにとっても真実なのだ。彼らは真実だと思っていることを証言している。

しかし、それらには彼らの主観が入っており、必ずしも証言の全てが真実だとは限らない。

なので、見ている側が、どれが真実に近いのかを判断していかなくてはならない。

では、生前のインタビューなどで彼の口で語られている言葉は全て真実なのかというと、必ずしもそうではないと感じている。

ミュージシャンである彼は、自分を演出していた部分があったと思う。

プライベートトークならともかく、マイクを向けられての言葉が全て本音であったとは考えがたい。

本音の部分もあったと思うけれど、全てが素で本音を話していたわけではないと思う。

一人の人間を一言で「こういう人だ」と表現できるほど、人は単純ではないということはわかっている。

でも、少しでも彼のことを理解したい、と思う。

中々、手に入らない写真集をネットで探していたら、ある本屋さんにあることがわかり(どの棚にあるのかまでわかるなんて、本当にネットって便利ですねー)、その本屋さんに出向き購入。

彼の本が図書館にあるということを、またネットで調べて知り、閉館間際の図書館に飛び込んで行き、書庫から出してきてもらう。

私が持っていた利用者カードは、それこそ子供の頃に利用していた時のもので、
「これ、このカード、まさかもう使えないですよねえ?」
と、ゼイゼイいいながらカードを出すと、
「さすがに、これは……」
と苦笑いされる。

新しいカードは住所の確認が出来るものがあれば作れるということだったのですが、保険証には住所が入ってないし、バッグに入っていた免許証は何故か2年前に切れていたもの。

「更新はしてあるんですが、すみませんっ、持ってくるのを忘れました!」
と、閉館ギリギリのため大慌てだった私は、「一体どうしちゃったんだろう、この人」って感じだったと思う。

幸いにも図書館の方は親切で、イヤな顔はされませんでしたが。

無事に本を借りることも出来、読んでいる途中。

もしも少しでも自分の中で感じ取れるものがあったら、彼について思うことを何か書くかもしれません。

とりあえず今は、「RUBY TUESDAY」のリコーダーの音色にズキュン!ときてます。

ラッキーなことに、演奏している映像も観ることが出来、彼のコスチューム(というかビジュアル?)にもドキュン!ときました。

※冒頭の画像は、まるでブライアン・ジョーンズには関係ないのですが、私が活けた花です^^;