映画を観て、「一体、この人はどういう人だったんだろう」と思い、ここしばらく「ブライアン・ジョーンズな日々」を送っているという話を先日書きました。
本を読んだりDVDを観たり音楽を聴いたりしてその世界に浸っていたのですが、その中で私が感じ取れたブライアン・ジョーンズという人について、書いてみたいと思います。
若くして亡くなっていると変に美化されがちですが、なるべく偏らず、でも彼のその時々の心境をなるべく理解するようにしながら、私なりに思うことを書いてみます。
(音楽の専門的な知識は無いので、その部分にはあまり触れないことにします)
Contents
ブライアン・ジョーンズの生い立ち
ブライアン・ジョーンズと妹のバーバラ
ルイス・ブライアン・ホプキン・ジョーンズ、1942年2月28日、イギリス、チェルトナム生まれ。
(「うお座かあ」
と思って、妙に納得してしまった。
いえ、私は別に星座占いを妄信しているわけではないのですが。)
保守的な町で、彼は中流階級の家庭に育つ。
厳格な両親は、枠からはみ出た行動ばかりをとり、クラシックよりはジャズを好む息子に手を焼いたようだ。
IQ135という頭脳明晰な彼だったが、ついに大問題を起こしてしまう。
当時付き合っていた14歳の彼女を妊娠させてしまったのだ。
(子供は養子に出され、以後、ブライアンは彼女にも息子にも会わせてもらえなかった)
お堅い町で、お堅い学校で、厳格な両親が、そんな行為を許すはずがなく、彼は10代にして学校をやめざるを得なくなり、家からも追い出されてしまう。(学校は18歳で卒業したという話もある)
両親は、息子を愛していたというが、それはブライアンが望んでいた愛情ではなかったのだと思える。
両親には理想とする息子像があったが、ブライアンは決してその理想の息子像の枠の中にはいなかったからだ。
彼がいかにローリング・ストーンズで成功しようと、女の子に金切り声をあげられて演奏するミュージシャンというのは、彼らが理想とする息子像ではなかったのだ。
彼らは「かたい仕事ついて、真面目な生活を営む息子」というのを望んでいたのではないだろうか。
そういう意味でブライアンは両親の期待に応えることが出来なかったし、彼が望む両親からの愛情というのを受けることができなかった。
彼自身もどこかでそのことを感じていたのではないだろうか。
ブライアンの弱いというか、やさしいところは、それでも両親とのいい関係を望み、その期待に応えようとしていたところだ。
デビューが決まったときにも、大喜びで父親に連絡をしたそうだし、ドラッグでつかまったときも、ストーンズをやめることになったときにも「心配しないで」と、実家に連絡を入れている。
そして、彼が住むことになったお気に入りの家にも、両親を招待している。
彼はその家のプールで27歳という短い命を終えることとなる。
招待された週末は、両親が息子と会った最後となった。
ブライアンがいなかったらローリングストーンズはなかった
私が思いつく、彼を表すキーワード。
・繊細でナイーブ
・芸術家肌
・感情の起伏が激しい、情緒不安定
・執着心が強い
・自信がなく、臆病
・自意識過剰
・気が小さい、弱い
・妄想症(パラノイア)
就職し辞めたりを繰り返しながら、音楽にのめりこんだ彼は、時折バンドの一員として演奏をするようになる。
そして彼はバンドの一員でいるのではなく、「自分のバンド」を作りたいと思うようになる。
メンバーを募集し、そのときに応募してきたのが、今でもローリング・ストーンズのメンバーであるミック・ジャガーとキース・リチャーズだ。
ブライアンのまわりのブルース仲間は、
「あんなロックンロールの変人とつきあうなんて」
と非難したとされるが、ブライアンは、
「オレはこいつらとうまくやってみせる」
と言い返したという。
ローリング・ストーンズというバンド名をつけたのもブライアンで、活動の場がないバンドのために演奏できる場所を見つけてきたのも、くさりそうになる他のメンバーを引っ張っていったのも彼だと言われている。
つまり何もないところから「ローリング・ストーンズ」の形を作り上げたのは、ブライアンの功績なのだ。
仕事が無い頃は、ブライアンとミックとキースは暖房も無いような安アパートで、厚着をしながら肩を寄せ合うようにして暮らしながら、毎日練習に明け暮れた。
地道な活動でファンを増やし、1963年、デビューにこぎつけるが、有名になるに従い、バンドはブライアンが思い描いていたのとは違う方向に向かっていく。
リーダーだった彼は、いつの間にかバンドの中心人物の座をミックやキースに奪われるようになる。
ブライアンはカバー曲を演奏することにこだわったが、バンドはオリジナル曲を必要としだしたので、少しずつオリジナル曲を作るミックとキースに主役の場を奪われてしまうことになったのだ。
(初期の頃、リーダーだからといって他のメンバーに内緒で5ポンド多くもらっていたのが、ずっと尾を引いていたとも言われている)
彼はうまくやっていこうと頑張っていたのだと思うが、それは空回りし、ますますメンバーとの間の溝は深くなっていった。
バンドが転がりだしてから……
ブライアンは時に、人の弱みを攻撃するような意地悪で陰険なところがあったそうだ。
つまり、サバサバしているタイプとは遠かったのだろう。
自分にそういう部分があるにも関わらず、逆に自分がバンドの中で孤立してしまうようになり、バンド内の苛めの対象にされると、彼はひどく気にして落ち込んでしまったそうだ。
そういう時の彼は、自分のやってきたことなど頭にないのだろう。
ただ自分ばかりが被害者のような気になってしまい、自分がみんなから嫌われていると思い、言い返す強さも無く、泣き出してしまうのだ。
ミックとキースによるブライアン苛めがひどかったと言われているが、確かにそういうことがあったにしろ、私はこの件についてはミックとキースを責める気にはなれない。
人が何人か集まれば派閥が出来、諍いが起きてしまうのはよくあることだ。
個性が強い人間の集まりなのだから、尚更だ。
特に忙しくて自分のことだけで精一杯の時に、人のことにまで構ってられないということだってある。
ブライアンはたぶん、必要以上に傷つきやすく、被害妄想に陥っていただけなのではないか、と思える。
「そんなの適当に流しちゃいなよ」ってことまで、深刻に受け止めてしまうタイプなのだ。
自分だって、結構陰険なこと、やっちゃってたりするのにね。
バンドにおける貢献度
音楽的なことはよくわからないけれど、例え彼が人間関係において様々な問題を抱えていたにしても、彼の音に対する感性は素晴らしかったと思う。
様々な楽器を操り、曲を色づけていく。
ブライアンのマリンバがない「under my thumb」の、なんて味気ないこと!
また彼はバンドの中でも異質な雰囲気を放っていたと思う。
他のメンバーとは違う不思議なオーラがあったというか。
それを「バンドとして、まとまりがない」と受け取るか、「そのアンバランスが面白い」と受け止めるかは人それぞれですが。
女性問題とドラッグ、友情
ブライアンは知られているだけでも、パット・アンドリュースとリンダ・ローレンスとの間に息子を残している。
その他にも彼には私生児が何人かいると言われており、女性に暴力を振るうことがあったにしては、モテたようだ。
(ここでひとつ、個人的な意見を言わせてもらうならば、どんな理由があるにせよ、女性に暴力を振るうという行為は決して誉められたものではない。
それは間違ってる。絶対いけないことなんだ。)
1965年、アニタ・パレンバーグと出会う。
2人は交際を始め、「ヨーロッパ1美しいカップル」などと言われるようになる。
アニタと付き合うようになって、ブライアンは自尊心を満足させられる。
自分を除け者にしようとするミックとキースに対して、すっかり立場が弱くなっていたが、美しいアニタと付き合うことで彼らをも見返すことが出来たからだ。
また強い性格のアニタの発する一言は、何かを言ってくるミックとキースを黙らせることが出来た。
ブライアンは言われても、ただメソメソしているだけだったのに。
アニタは心強いブライアンの味方であり、彼を守ってくれる鎧でもあった。
アニタを支配し、暴力を振るいながらも、ブライアンは強く彼女に依存していたのだと思う。
自分の存在そのものが、彼女の存在に支えられているのだというほどに。
ブライアンの転落のきっかけは、まずドラッグだ。
彼のような性質の人間には、ドラッグは厳禁なのだ。
彼が患っていた「妄想症」は、ドラッグによって悪化するとされている。
最初は興味半分に、そして少しでもラクになるためにと溺れていったドラッグによって、彼はひどい状態になっていく。
決定的だったのは、最愛の恋人アニタがバンド仲間のキースと付き合い始めてしまったことだっただろう。
ブライアンの暴力に耐えられなくなったアニタは、モロッコへの旅行中、彼1人を残して、キースと逃げてしまったのだ。
(旅行の同行者は他にも何人かいたらしいが、全員がブライアン1人を残して姿を消した)
想像するだけでも大打撃だったろうと思える。
恋人と別れるだけだって、打撃だ。
しかし結局は別れることになろうとも、何もこんな形で彼1人を置き去りにして逃げていくことはないだろう。
その上、最愛の恋人を奪ったのは友人でありバンド仲間であるキースだ。
精神を患っていなくても、おかしくなってしまいそうな出来事である。
正気を失いかけつつも、彼はロンドンに戻ってくる。
しかし仕事場に行けば、恋人を奪ったキースと顔を合わせることになる。
その上、彼はドラッグ所持で逮捕されてしまう。
有名人である彼は見せしめのために逮捕されたとも言われている。
まるで世の中の全てが、彼をつぶしにかかっているような状態である。
判決は罰金刑で済んだが、彼は既にボロボロになっていた。
狂気に支配されそうになり、精神科にも自ら行き、入院もしている。
アニタを失った衝撃の大きさは、彼がその後付き合った女性たちが皆どこかアニタに似ていたということからも推し量れる。
ブライアンが言ってほしかったこと
1968年11月、ブライアンは郊外のコッチフォード・ファームを購入する。
その家はかつて「クマのプーさん」の著者であるA.A.ミルンが所有していたものだった。
小さい頃、「クマのプーさん」が大好きだったブライアンは、この家と土地を大変気に入っていた。
1969年6月、ミックとキースとチャーリーがコッチフォードを訪ねてきて、ブライアンにクビを宣告する。
彼は「ローリング・ストーンズ」という自分が作ったバンドから追い出され、一人になり、新たな道を探さなければならなくなったのである。
こんなエピソードが「ブライアン・ジョーンズ ストーンズに葬られた男」(ローラ・ジャクソン著、大栄出版)に載っていた。
ブライアンが妹のように可愛がっていたヘレンの証言。
ある日、コッチフォードに招待されたヘレンは、ブライアンと久しぶりの再会を果たす。
散歩をしながら、お喋りをし、その中でバンド脱退の話題になった時、ヘレンが「バカなことをしたわね」と言うと、ブライアンは彼女を見つめて、それ以上なにも言わなかったそうだ。
その後、家に帰る道すがら、ブライアンは、
「自分が死んだらここに埋めてほしい」と言い出した。
深い意味はないと言っていたそうだが、私はこのことから、この時期、ブライアンがどんなに、
「前向きになろう」という将来をみつめようとする気持ちと、
「でもうまくいくだろうか」という不安と恐怖との間に揺れ動いていたのかが伝わってくるような気がする。
彼は基本的に臆病なところがある。
それでも一人で放り出されてしまった以上、そこからどうにか進んでいくしかない。
自分を奮い立たせ、覚悟を決めながらも、言いようも無い不安に襲われていたのではないだろうか。
彼が必要としていた言葉は、
「辞めてよかったのよ。これで自由に自分の音楽ができるじゃない。きっと素晴らしいものができると思う。楽しみにしてるわ。もし何か出来たらまっさきに教えてね。駆けつけるから!」
というような、彼のこれからを心から信頼し、応援するものだったのではないだろうか。
「(バンドをやめるなんて)バカなことをしたわね」
と言われて、彼は言葉を失い、そして抑えていたマイナスの感情が彼を支配し、それが、
「もしも自分が死んだら……」
という言葉につながったと想像する。
だって、もしも彼が心底、自分の才能と将来を明るく見ていた自信溢れる人間だったのなら、クビになる前に自分からバンドを辞めていたはずだ。
ブライアンがやりたかったこと
「あなたはどうしたいの?」
と問われて、ブライアンはこたえられなかったという。
ブライアンはなにを求め、どこに向かい、本当はなにをしたかったのだろう。
音楽が好きだった。
才能もあった。
その世界に入り、有名になりたいと思い、それを実現した。
周りの人たちからはチヤホヤされ、女の子にはモテ放題。
お金も得ることが出来た。
望んでいることは全て手に入れたかのように思える。
でも、彼の心は空虚だったのだ。
だって、彼は本当のものをつかんだ実感を感じられていなかったから。
彼がつかんだと思ったものは、みんな儚く彼の手の中からすべり落ちてしまったかのように感じていたから。
音を奏でることが好きだったんでしょう?
その音で伝えたいものがあったんでしょう?
音楽を通して、コミュニケーションをとることが心地よかったんでしょう?
あなたがローリング・ストーンズの一員だからといって近付いてくる人々じゃなくて、欠点だらけのあなただとしても受け入れてくれる愛情が欲しかったんでしょう?
人からどう思われるかなんて、関係なかったんだよ。
人々は無責任に非難したり賞賛したりするんだから。
大切なのは、自分がどう思うかだったんだよ。
見かけ倒しのものではなくて、本物と偽者を見極める目を持つべきだったんだ。
その気になれば、きっと出来たことだと思う。
そして彼は中身がある本物だってつかんでいたのだと思う。
ただ気付かなかっただけ。失ってしまったものに執着してしまっていただけだ。
ブライアンが見せた笑顔
彼のストーンズでの最後の演奏となる「Rock’n Roll CIRCUS」(1968年12月)を観た。
収録の際、キースはドラッグでヨレヨレの状態で現れ、ブライアンはステージの横で泣きっぱなしだったという。
ライブ中は痛々しいほど冴えない表情をしていたブライアンが、ラストに出演者たち全員で声を合わせて歌うシーンで笑顔を見せる。
隣にいるキースと目が合いそうになり、途端に表情をかたくする場面もあったが、音楽に合わせ身体をゆらせていくうちに笑みがもれるのだ。
画面上の、彼の笑顔の演技だったのだろうか。
確かに彼はあの時、心も身体も限界の状態で、メンバーともうまくいっていなかったのだろう。
メンバーとステージにいることは苦痛以外の何物でもなく、心中は「バンドをやめるしかない」瀬戸際にいたのかもしれない。
でも音楽に合わせて、リズムに乗りみんなで身体を揺らすうち、自分は言葉ではムリでも、音を通してなら他者とコミュニケートできるんだ、とそうあらためて気付いたのではないだろうか。
ミック、キースと並んでいる様子は、デビュー前に安アパートで3人が肩を寄せ合っていたときの様子を彷彿とさせ、彼は「孤立した自分」ではなくて、「ローリング・ストーンズのメンバーである自分」を感じられたのではないだろうか。
それはほんの一瞬のことだったかもしれないけれど。
サーカスが終わってみれば、彼はやっぱり一人で、淋しい現実しか待っていなかったのだから。
長文になりすぎたので、続きは後日にします。スミマセン。
冒頭の画像は、ブライアン・ジョーンズを描いてみたのですが、中々いい写真が見つからなくて困りました。
メンバーの中で彼ほど、デビューしてから5年ほどの間に容貌(服装もですが、基本的な顔つき)が変わった人はいないように思います。
27歳で亡くなった彼は若い頃の写真しか残していないはずなのに、亡くなる年に近付くに従って、(写真写りの問題もあると思いますが)とても老け込んだような様子になっています。
その上、前髪を伸ばしていた彼は、目が隠れている場合が多いのです。(選んだ画像も、片方の目は隠れています)
険しい表情よりは少しでも穏やかな表情を描きたいと思い、選んだ画像を見ながら描きました。
(白黒ですが)自慢だった金髪のキラキラ感が少しでも出せればいいなと思いました。
似ていないかもしれないけれど、気持ちだけは込めました。