ブライアン・ジョーンズな日々 part5

part4の続きです。
文中の引用は全て「ストーン・アローン」(ビル・ワイマン著)からです。

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ブライアンの死後、彼が喘息もちだったにも関わらず、実際の発作は見たことがないという人たちがほとんどのようだが、デビュー前の20歳の頃、数回同じバンドで伴奏した(ブライアンがギタリストとして参加)時のメンバー(ポール・ポンド、後にポール・ジョーンズという名で、マンフレッド・マンの創立メンバーになる)は、彼の喘息にすぐに気付いた。

オックスフォードに来るときは、ブライアンはポールの家のカウチで寝ることもあった。
ある朝、ポールはゼイゼイという音で目を覚ました。
ブライアンは喘ぎながら、前の晩ふたりで出席したパーティに吸入器を忘れたため、息ができないといった。
バイクに飛び乗り、彼のために取りにいったよ」

彼は子供の頃から喘息に悩まされていたはずなのに、喫煙をしている写真や映像がいくつも残っている。

喘息持ちの人に煙草は厳禁なはずだ。

自分の身体に悪いということに気付かなかったのだろうか。

それとも気付いてはいても、やめたくはなかったのだろうか。

何故だろう? 煙草に依存していたから? それとも煙草を吸うスタイルが気に入っていたから?

身体にいけないとわかっていても、彼は「普通」に振舞いたかったのかもしれない。

そもそも、もしも「側頭葉癇癪(てんかん)」の持病があって、発作の際に危険な目に遭っていたのだとしたら(本人の記憶には残っていなくても、まわりの世話をした人から話くらいは聞いていただろう)、何故水泳を趣味にしていたのだろう?

水の中で発作を起こすほど、危険なことはないというくらい想像できただろうに。

「ストーンズに加わるには強くなくてはならない」
とビルは書いている。

臆病なやつや極端に敏感なやつは、ミックとキースから浴びせられるあざけりに耐えられないだろう。おれはグループに入った瞬間から、彼らが誰かをおちょくらなくてはいられないことを悟った。ユーモアですませられることもあったが、意地悪で悪意に満ちていることもしばしばだった。彼らは犠牲者あるいは実験台を作らずにはいられなかった。

その犠牲者あるいは実験台が、初めの頃はビルだった。

しかしビルは冷静な人間だったため、そんなことにはびくともしなかったのだろう。

そして次にその標的がブライアンになっていったそうだ。
(ん~、このあたりはビルの個人的なミックとキースに対する恨み節みたいなものを感じますね。
ブライアンとミックとキースは3人でゴチャゴチャしていたみたいですから。
ある時はブライアンとキースがくっついてミックを仲間はずれにしていたり、とか。
ただビルは、ブライアンが除け者にされ始めてからの仕打ちに対して、そのひどさに怒りを感じていたようです)

はじめてブライアンに会ったとき、おれは彼の目の下の濃いクマにびっくりした。
「彼は重荷をしょっている」とおれたちはいったものだ。
彼はいつも寝不足のようだった。おれは彼のことを、非常に知性的で意見もはっきりとしているし、言葉遣いが洗練されていて、恥ずかしがりやで、とても繊細だと思っていた。
バンドに弾みがついて、彼がアンドリュー、ミック、キースからのけ者にされたとき、おれたちには知りようもない負担がやつにかかっていたのは間違いない。
彼がしばしばわけがわからない行動に出たのは、身体の状態が悪かったせいもあったろう。
でも、おれたちは心配していなかった。ブライアンはいつも吸入器を持ち歩いていたので、たまに喘息の発作を起こすだけだと思っていた。彼は気分が悪くなってギグを数回休んだが、疲れのせいだろうとあまり深くは考えなかった。彼は憂鬱症のようだったが、若い頃は他人の病気にかかずりあっている時間はないものだ。

いつもあっちが悪い、こっちが悪いと医者通いをしているブライアンのことは、いつのまにかバンド内で冗談のネタのようになってしまった。

バンドの人気も上がってきて、「さあ、これからだ!」というときに、いつも体調を崩して、スケジュールに穴をあけるようなメンバーが血気盛んな若者たちの中にいたとしたら……。

他のメンバーは本人の辛さに思いを馳せ同情するよりも、むしろ「関わっていられない」「足を引っ張られたくない」と感じてしまうのではないかということは想像できる。

ブライアンがリーダーとして、ブライアンがメンバー集めをして始めたバンドだったのに、次第にバンドの主導権をミックとキースに奪われ、ブライアンはただのバンドの貢献者のようになっていく。

彼がいくら音楽的に優れていても、いくら様々な楽器の演奏をこなしても、バンド内には彼の力量を認めないという暗黙の了解があったそうだ。

何故、彼はそんな立場に追いやられて、その状態に甘んじていたのだろう?

ブライアンは自分の健康状態をよく知っていたから、権力を求めるアンドリュー、ミック、キースと戦うのは無駄だと悟っていたのだろうか。彼がまったくの健康体だったら、自分が作ったバンドの支配権を維持するために戦ったのではなかろうか。

作曲活動を展開するのも可能だったろうに、彼は自信に欠けていた。インタビューを受ければ、彼はローリング・ストーンズのうちでもっとも明確な意見を持ち、思慮深かった。

身体の丈夫なふたりが向かってきたとき、彼は持ち場を守る代わりに引っ込んでしまった。おれたちのスケジュールはきつかった。ついていくには、ブライアンはスタミナ不足だった。キース、チャーリー、ミックやおれのように健康体でも、旅は疲れた。まして喘息で衰弱していて、娘によると癇癪持ちの可能性が強いブライアンにとっては、はるかに大変だったことだろう。おそらく彼は自分の抱える問題をおれたちよりよくわかっていたのだろう。そして、ミックとキースと争うよりは、ただ豊かな生活を送る方を選んだのだろう。

喘息の発作への恐怖だけだって充分恐ろしいだろう。

もしも彼が本当に側頭葉癇癪(てんかん)を患っていて、頻繁に前兆もない発作に襲われていたとしたら、その恐怖はどれほどのものであっただろうか。

不意に気を失ってしまうことがあったり、普通に暮らしているはずなのに時々記憶が途切れたり、頭が真っ白になって自分がなにをやっているところだったのかわからなくなってしまうなんて、しかもその記憶すら残っていないなんて……、想像するだけでも恐ろしい。

しかも彼は人の注目を浴びる仕事をしていたのだ。

もしもステージ上で発作が起きて、わけがわからなくなってしまったら……?

彼はたった一人でこの恐怖と戦っていたのだろうか。

そして彼は、発作がいつ起こるかわからない不安についてメンバーに相談することはしなかっただろう。

自分が作ったバンドが売れてきたっていうのに、「ステージをやるのがこわい」「厳しいスケジュールについていけない」なんてことが言えるだろうか。

平気な顔して、がんばりたかったのだろうと想像する。

バンド内での確執、また名声に酔いしれ、彼はドラッグやアルコールに溺れていったと言われている。

でも、こんなふうに考えられないだろうか?

彼は持病への恐怖と戦うために、ドラッグやアルコールに依存していくようになったのではないかと。

勢いだけでその恐怖を吹き飛ばせるゆとりがあるときにはまだよかった。

でも多忙を極めていく生活の中で、気の持ちようだけではもうどうしようもなくなっていたのではないか?

友人たちがやめるようにと言っても、ブライアンは、

危険だとわかっていながら、薬と大酒は自分にとっていいのだ、自分が現実に対処するために必要なのだと言い聞かせていた

お酒が好きだったから飲んでいた、ドラッグをやるのが楽しいからやめられなかった、ではなくて、「現実に対処するために必要」だとブライアンが言っていたというのは興味深い。

ブライアンはツアー中だと毎日ボトル1本半はウィスキーを開けていて、この調子で飲み続けていればあと2年しか命が持たないと言われていたそうだ。

そして1965年以降、ドラッグに手を出すようになっていく。

自分の近くにいる誰かが、例えばアルコールなどに溺れている時、まわりの人は「アルコールに溺れている」こと自体を責めはしないだろうか?

どうして、その人がそういう状態になっているのか、その問題をどうしたら解決できるのかを共に考えようとは中々思わず、ただその人の弱さを責めるのではないだろうか。

もしかしたらブライアンも、まわりから理解されようとすることなく責められるだけの人間の一人だったのかもしれない。

バンド内でただの貢献者のように扱われ、きついスケジュールについていくためにドラッグやアルコールに依存するようになりながらも、何故ブライアンは自分からバンドを辞めなかったのだろう、と私はpart3でいくつか考えられる理由をあげた。

今、私はこんなふうに思っている。

それでもブライアンはストーンズのメンバーであるという名声を愛していたから、だと。

当時のことはわからないけれど、たぶん「ストーンズのメンバー」であるということは、とても魅力的なことだったのではないだろうか。

だから彼は「ストーンズのブライアン・ジョーンズ」という肩書きを捨てたくなかったのではないだろうか。

いかにも快楽主義者のブライアンらしいという気がする。

もうひとつ考えられるのは、彼は一度信用した人とのつながりを、自分から切るということが苦手だったのではないかということだ。

基本的に多くの人に囲まれていたいと思っていたブライアンだったから、メンバーとのつながりを断ち切って一人になるというのは、彼にとって大きな勇気がいることだったのかもしれない。

ブライアンが「側頭葉癇癪(てんかん)」だったとして、きちんとした診断と治療を受けていなかったのではないかと思われるインタビューが載っていた。

世界規模で進歩してほしいことは何かと訊かれ、

「神経の研究にたくさん金をかけ、精神病の原因をつきとめてほしい。人間の脳を理解できたら何でも理解できるだろう」

と答えている。

つまりブライアンは、自分の原因不明の発作について、(多忙がゆえの)「神経性疲労」だろうと言われ、鎮痛剤や睡眠薬を処方されるだけだったのではないだろうか。

でもブライアンは自分の状態がただの「神経性疲労」だとは思えなかった。

ところが病名がわからず、治療のしようもないから、自分で自分の症状に対処するためにドラッグやアルコールに頼るしかなかった。

度重なる意味不明な行動から、ブライアンは全く信用がおけないやつだと思われていたかもしれない。

彼は頭がおかしいのだと。

しかし彼のまわりの決して少なくはない人たちは、
「(彼は)基本的に内気で繊細」な人間だったと証言している。

メンバーが他のメンバーに対して語るというインタビューで、チャーリーはブライアンについて以下のように言っている。

「はじめてやつと会ったとき、ブライアンはギターを持っていた。第一印象はギターがすごくうまいやつ、っていうひとことに尽きるね。基本的には、すごくおとなしい男だよ。大勢の輪からぽつんと離れているのが好きなんだ――といっても、ひとりっきりでじゃないけどね。本当はすごく穏やかな人物だよ。一番の欠点は、おれと同じ――誤解されやすいってこと。おれだって本当はやつのことを単なるバンド仲間としてしかわかってないんだと思う。けれど、その気になったときはメチャクチャ陽気だね。ちょっとでも具合が悪かったり疲れていたりすると、絶対に人前に出たがらないタイプだけど。ブライアンはあれこれ人から批評されるのをひどく嫌がるんだ。すごい短気で怒りっぽいけど、立ち直りも早い。他のメンバーと同じように、ちょっと気まぐれなところがあるね。これと思った相手に対しては、とことん優しいけど、初対面の人にはひどく警戒心が強い。こういう世界に身を置いていると、誰でもそうなるんだよ。とくにグループを結成したての頃、やつは何がなんでもストーンズを有名にするんだとものすごい執念を燃やして、頑張っていたよ。レコードが唯一の教材だった頃、ブライアンはよく何時間でも腰かけたまま、いろんなLPに聞き入っていたっけ。」

他のメンバー同士に対してのインタビューも中々おもしろいのですが、引用ばかり多くなってしまうので、今回はこれだけにしておきます。

そしてまた話が長くなりそうなので、続きは後日に。すみません……。

ちなみに私の最近の夜眠る際のBGMは「JAJOUKA」です。
月明かりをあびた空間の雰囲気につつまれながら眠りにつくのは、とても心地いいです。