ニコのDVDを買いました。
一応国内向けで、インタビューの字幕もついているライブ映像なのですが、ブートなのかと思うような不鮮明な映像と音^^;
でも、生ライブの感じが出ていてよかったです。(実際に生で観たかったー)
「All Tomorrow’s Parties」のアカペラには、思わず聞き入ってしまいました。
インタビューを受けている様子を見ていたら、存在感がありながらも、ニコが背負っていた影を感じられたように思えました。
抑えつけているけれど、叫びだしたくなるような魂の。
「チェルシー・ガール」のレコーディング後、ニコはロンドンに滞在していた。
ボストンで行われるヴェルベット・アンダーグラウンドのコンサートを口実に、ウォーホルとモリッシーが迎えに来て、3人はロンドンを旅立ったが、バンドは既に新しいマネージャーを雇っていて、バンドの連中はニコをステージに上げようともしなかった。
ニコはこの仕打ちにもめげず、太陽が輝く西海岸に飛び、ブライアン・ジョーンズの胸に飛び込んだ。
6月16日、初めてのロック・フェスティバルとなったモンタレーへと出かける。
(記事のアイキャッチ画像がそのときの写真です)
ブライアンとニコはシーラ・オールダム(アンドリューと結婚した)と一緒だった。
ブライアン・ジョーンズは洋服がいっぱい詰まったトランクを携えて来ていた。「まるで<ビバ>をそっくりそのまま旅行鞄に詰め込んできたみたいだったわね」とニコは言った。「彼は毎日、全部の服を試着していたわ。彼はよく、このスカーフとこのベストは合うかなとか、あらゆる組み合わせについてあれこれ聞いて、私を悩ませたものよ。私は彼をからかったんだけど、彼は、私も同じことをやってるくせに、女なら男より時間をかけていいのか、なんて言ってたわ。私は簡素なものを正しく着こなすために時間をかけているのに、あなたはすべてのことをやって時間をつぶして、結局大して変わりばえしてないじゃないの、って言ったの。彼は怒ったけど、正直言って、私はそういうことをするのが好きだったわ。彼は自分の容姿の悪さを服で補おうとしてたんだと思う。彼の体は大量のドラッグを受け付けず、ブツブツができていた。顔に吹き出物がね」。彼にはよき母親が必要だとニコは思った。
――うわ~、この二人の会話の雰囲気、いいですねー
なんだか想像できてしまいます。
ブライアンは”怒ってた”って言っても、たぶん口尖らせて、ブツブツ言ってたって感じなんだろうなって思います。
でもブライアンは、やっぱり子供っぽい人だったんですね。こういうところも彼の魅力なのでしょうけれど。
持病の喘息の薬ですら、アレルギーを起こしていたというブライアン……、
そして”彼にはよき母親が必要”……、さすがニコ、ブライアンのこと、よく理解しています。
私もブライアンには母親的な存在が必要だったのではないかって思っていました。
母親的な愛情を注いでくれる、母性的な、心が大きな、信頼関係が保てるような女性がいたらよかったのに、って。
たぶんそういう人が近くにいたら、行き過ぎてしまうブライアンを上手にコントロールできたのではないでしょうか。
ブライアンもそういう存在を求めていたような気がします。
ニコはジム・モリソンと血の交換をした。
二人で砂漠に行って親指をナイフで切り、互いの血を混ぜ合わせたのだ。
また、ニコに曲を書くように勧めたのは、ジム・モリソンだったという。
彼はニコの容姿と心、両方に愛情を注いでくれた。
ニコは彼と結婚すべきだと心に決めたが、ジム・モリソンは笑い転げた。
彼はニコと写真一枚すら一緒に撮ろうとはしなかったのだ。
ニコは人から”美しい”と言われることを嫌うようになる。
それは”アーティスティックではない”ことだと考えたからだ。
(うう、もったいない。”美しさ”だって表現の武器になるのに。でも美しすぎるがゆえに、”外見ばかり”もてはやされることに、うんざりしていたのでしょうね)
そして彼女は嫌っていたヒッピーから、極めてピッピー的なもの――小さなインディアン・ハーモニウム――を買った。
ニコはそれを独学で演奏し、どこに行くときにも持って歩き、曲を作るのに使った。
1968年10月2日、ニコはアラン・ドロンのボディ・ガードが死体で発見されたという新聞記事を見て、息子のアリを預けているドロンの母親に電話をした。「アリは大丈夫?」と。
アリは人里離れた私立学校に避難していた。
ドロンの妻、ナタリーも殺されかけたことがあり、「アラン・ドロン、ナタリー、彼の子供らも生かしてはおかない」という脅迫状が新聞社二社に届いていた。
それ以前、1965年にもドロンのボディ・ガードが死体で発見されていて、ニコはその犯人が誰であるかを知っていると、ある友人に打ち明けていた。
ニコはドロンかアリ、どちらかが死ねば、その情報を明かすと言っていた。
まさか二人よりも自分の方が先にこの世を去ることになるとは思っていなかったのだ。
1969年3月、「マーブル・インデックス」がレコード店に並んだ。
ニコはもはや”ウォーホルのスーパースター”ではなかった。
”孤独な歌姫”、”氷の女王”、そして”月の女神”になったのだ。
しかしマネージャーも、ツアーを企画するエージェントもいなかったニコには、レコードの売り上げをどうやって伸ばしたらいいのか、わからなかった。
彼女は不安で、混乱していたが、それをひとつの美徳としていた。
この頃、ニコは3つ年下の若い監督、フィリップ・ガレルと出会う。
ニコに劣らず変人だったガレルと、その後9年、共に過ごすことになる。
7月3日、ブライアン・ジョーンズが亡くなったことを知って、ニコはブライアンについての曲を書こうと決意した。
(このことはpart1で触れました)
7月5日のハイド・パークのブライアン追悼コンサートで歌っていいと言われて向かったが、到着が遅れてしまった。(これもpart1で書きましたが、そのときにはまだ曲は出来ていなかった)
ニコはハイド・パークの楽屋で、自分に色目を使う若い美男子に出会った。
「デヴィッド・ボウイは可愛い妖精みたいだったけれど、真の両性具有になるにはちょっと女っぽくて痩せぎすだったわ。彼に太刀打ちできる人間は一人もいなかったけれどね。彼はあの時代を映すいちばん完璧な鏡だった。ブライアンは彼にとって<洗礼者ヨハネ>だったの。(彼らが実は同じ名字だってこと、知ってた? ボウイの本名はジョーンズよ)」
これは、デヴィッド・ボウイはブライアンを崇拝していたということでしょうか?
「ブライアンとミック・ジャガー part11」にも書きましたが、初期の頃のデヴィッド・ボウイって、なんとなくブライアンに似ています。
ニコはブライアン・ジョーンズに捧げる曲「Janitor of lunacy」を、ニューヨークのチェルシー・ホテルで書き上げた。
1970年2月の初め、ニコの母親グレーテは娘と和解しないまま、孤独の中で病気に蝕まれてこの世を去った。
母親が亡くなった今、ニコは自分の姿が見苦しく映るようにしなければならないと決めた。自分の過去を切り離したいと思ったのだ。
カルロス・デ・マルドナド=ボストック 「初めて知り合ったときの彼女は汚れというものを知らなかったけれど、今や想像を絶するほどに汚れきっていたんだ」
ポール・モリッシー 「彼女を変えてしまったのはあのガレルという野郎だよ。彼女は芸術的になっていて、アーティストならこうするだろうと思うことをやった――狂ったことをやり、奇抜なことをやり、地獄に堕ちていったんだ」
――ここで、私がニコについて思うこと。
ニコって付き合う男性の影響を、大きく受ける人だったんですね。
相手の色に染まってしまうというのが、とても素直で純粋で可愛い女性という感じがします。
それに「大人子供だった」という証言もわかるような。
ニコはヘロインをやるようになる。まさか自分がそれの中毒になるとは思わずに。
「ヘロインがドイツ語だってこと知ってた? これって皮肉なことじゃなくて?」
ニコがどれほど苦悩に満ちた人生を歩んでいたか、そして爆発しそうになる感情を抑え付けていたかが、次のエピソードでわかる。
1970年のある夜、チェルシー・ホテルに隣接するスペイン・レストラン「エル・キホーテ」で、若い黒人女性が、「黒人の人生は辛く、白人にはこの苦しみが何もわからない」と言った時、ニコはその女性の顔にビールグラスを叩きつけた。
ニコはきっと、「じゃあ、あんたには私が受けてきた苦しみが理解できるのか」と言いたかったのでしょう。自分だけ、被害者ぶってるんじゃないよ、と。
ニコは一年のうちに4人の家族を失った。
最初は母親、そしてジミ・ヘンドリックス、イーディ・セジウィック、……ジム・モリソン。
ジム・モリソンは1971年7月3日に亡くなった。命日がブライアンと同じということになる。
ニコにはジム・モリソンの葬儀に出席することも、墓を訪ねることも耐えられなかった。
ヘロインは次第にニコにとって、なくてはならないものになっていった。
ヘロインを買うために仕事をし、仕事をするためにヘロインを必要とした。
ニコのマネージャーになるアラン・ワイズは、かつて「月の女神」だった彼女が、一文無しの40歳のジャンキーになっているのを見てショックを受けた。
数少ない友人も失い、ニコは自分が何者かさえわからなくなっていた。
アラン・ワイズは彼女のために仕事をとってきたが(1980年~1988年にニコがやったコンサートの数は1200回以上と推計されている)、稼いだお金は全てヘロインに使ってしまった。
22歳になったニコの息子アリは、母親を探し回り、自分と同じ年くらいの男たちとドラッグやベッドを共にしているニコをイギリスで発見した。(あれ? part3では19歳のときに再会したと書いたのですが;)
ニコとアリは一緒にヘロインを打つようになった。
そうする以外に、息子に対処する術がわからなかったのだ。
「私はアリになにをしてあげられるの? 全て私の責任よ」
ニコは涙ながらに、アラン・ワイズに言っていたという。
1987年、ニコは生活の建て直しを図り始めた。
「彼女は自分の中の地獄からゆっくりと抜け出す、辛い道をずっと歩んでいたんだ」
とアラン・ワイズは思った。
(ヘロイン治療の)メタドンと自転車によって、ニコは生き生きとした気分を味わっていた。
1988年、ニコとアリはイビサの町に別荘を借りて過ごしていた。
7月17日昼過ぎ、ニコはアリに、「すぐに戻るわ」と言って自転車に乗って丘を下っていった。
その夏一番の暑さの日だった。
アリは言う。
「バイバイって手を振って、それきりさ。次に会ったのは死体置き場だった」
丘を下った坂の脇で倒れているニコを、タクシー運転手が発見した。
彼は車の後部座席にニコを乗せ、病院に急行した。
最初の二つの病院は、ニコを外国人だといって受け付けてくれなかった。三番目の病院はニコを急患だとはみなさなかった。
四番目の病院が、運転手がしつこく頼んだ末、やっと彼女を受け入れた。
意識はあったが喋ることができなかったニコは、日射病と誤診され、放っておかれた。
翌朝、医師が診察し、ニコが脳内出血を起こしていることがわかった。
ニコの公式死亡時刻は7月18日午前8時。
病院に運び込まれたときに、適切な治療が施されていれば、彼女は助かったのだ。
「医者が彼女のところに来た頃には、すでに大量の血が脳の中に流れ出していたんだ。彼女がゆっくりと死んでいったことを考えると、ぞっとするね」
アラン・ワイズは言う。
「あの辛い年月を生き抜いた末に自転車から落っこちて死ぬだなんて、ちょっと残酷な気がする」
女優仲間のヴィヴァは言う。
アラン・ワイズは遺された息子のアリに相続の手続きをした。
自分を見失っていたアリは、母親の印税をヘロインに使った。
ドラッグとアルコールに溺れ、袋叩きにあったり殺されそうになったりもした。
ニューヨークに戻り、路上で冬を過ごし、ハドソン川に落ちているところを発見された。
一文無しで、パスポートも持っていなかった彼は、精神病院に連れて行かれた。
友人が彼をパリに連れ帰り、パリの精神病院で二ヶ月、その後南フランスで治療を受けた。
「僕はまだ充分に強い人間じゃないけど、いつかそうなったときに、僕は父と対決するつもりだ。きっとやるよ。母のためにもね」
――この後、アリはどうなったのでしょうか。現在、どうしているのでしょうか。
「NICO ICON」に登場するアリは、絶対的に母親の味方です。
例え自分をドラッグ中毒にする母親であろうと、「母はアーティストだ」と誇らしげに語り、「ニコを知っているのは僕だけだ」と言い切ります。
たぶん多くの男性にとって母親が大きな存在であるように、アリにとってもニコは大切で大好きな存在なのです。
ブライアンに捧げた曲「Janitor of lunacy」は、ニコの代表作のひとつと言えるようです。
はじめ「Janitor of lunacy」……、”狂気の番人”って……、それがブライアンのイメージ?と思いましたが、歌詞をあらためて見ると、ものすごく深いです。
以下、歌詞です。↓
Janitor of lunacy
Paralyze my infancy
Petrify the empty cradle
Bring hope to them and me
Janitor of tyranny
Testify my vanity
Mortalize my memory
Deceive the devil’s deed
Tolerate my jealousy
Recognize the desperate need
Janitor of lunacy
Identify my destiny
Revive the living dream
Forgive their begging scream
Seal the giving of their seed
Disease the breathing grief
狂気の番人よ
私の幼年時代を麻痺させて
空っぽのゆりかごを石に変えて
彼らと私のところに希望を運んできて
独裁の番人よ
私の虚栄を証言して
記憶は死にゆく
悪魔の行いを欺いて
私のジェラシーを受け入れて
破れかぶれになってしまうことを許して
狂気の番人よ
私の運命を見定めて
生きる糧になる夢をよみがえらせて
願うために叫ばせて
病のごとく息づいている深い悲しみが
あふれ出ないように封をして
ニコのブログは今回でラストです。
ニコから見たブライアン、ニコとブライアンの関係を知り、また少しブライアンを近くに感じることができたような気がしています。
そしてニコが、とっても魅力的なアーティストだったということを知りました。
苦悩と孤独を抱えながら、必死に生き抜いた人生だったということも。
ニコの世界……、癖になりそうです。
7月3日はブライアンの命日ですが、ジム・モリソンも同じ命日で、ニコの命日も7月です。
7月を目前に控えた今、こういうブログを書いているって……、偶然?
いえ、ここは何か不思議な力が働いているのだと思ったほうが、ニコ的考え方かも。
最後になりますが、↓この曲↓もステキです。「Reich der Träume」
ご冥福を祈りながら、心静かにニコの世界に身をゆだねましょう……
眠りよ 私を運んでいって
私一人きりの
終わりなき 夢の中へ
生きさせて
死なせて
愛させて
飛ばせて
ニコについて、こちらでも書いています!
息子のアリ、父親のアラン・ドロンより先に亡くなっていました・・
コメント
waiting for next post
管理人様、お久しぶりです。
「Nicoの命日なので」欄に書き込みましたさばとらです。
色々気になって調べましたが、
アリはその後立ち直ったようですよ(^ ^)
2001年に自伝を書いた時のインタビュー映像を動画サイトで見ましたが、表情も落ち着いていて知的な雰囲気があって素敵でした。
因みに、「ニコ/ラスト・ボヘミアン」の作者さんは今ヨボヨボのおじいさんになっています・・・。数年前のニコ関係のイベントでピアノを演奏したようですが・・・。ニコってやっぱり魔性の女・・・。
さばとらさん、お久しぶりです。
そうですかー、アリは立ち直ったんですね!
よかったです[E:happy01]
ニコは突然ひとりにしてしまったアリを見守っているのかもしれませんね。
アリの自伝、読んでみたいです。
ヨボヨボのおじいさん……
ニコに対してきついコメントをしながらも、ニコのイベントでピアノを弾いているなんて、
やはり彼はなんのかんのニコに好意を持っていたのかもしれませんね。
ニコには忘れられない、惹きつけられる魅力があるのでしょう。