ブライアンとニコ(nico) part3

キースのブログが途中のままですが、nicoのブログpart2の続きです。

まず初めに、このブログでも名前が出てきたジミー・ペイジのこと。

当時の彼は日雇い仕事をこなす21歳のセッション・ギタリスト(ブライアンの映画音楽作りにも協力したんですよね)だったそうですが、
「このひ弱な喘息持ちのセッションマンが、後にロック・グループ、レッド・ツェッペリンを結成し、ロック・ミュージックに大きな影響を与える呪術師的ヒーローになろうとは、当時はほとんど誰も想像することが出来なかったであろう」
と書かれているのを読んで、
「ジミー・ペイジもブライアンと同じ喘息持ちだったの??」
と思い、ちょっと調べたところ、「ジミー・ペイジ語録」(シンコーミュージック)に次のように書かれていました。

グループでプレイしないかという誘いには、体力がついていかないからと断っていた。ニール・クリスチャンズ・クルセイダーにいたころ、ツアーの連続でバンの中で寝るような生活をつづけていたせいで、腺熱の発作が悪化していたんだ。それに、栄養不良でもあったし。

ジミー・ペイジは自分の体力を考えて、仕事をセーブしていたのですね。

ブライアンも自分の体力のなさはわかっていたはず。

たぶんブライアンは、自分の好きな音楽を自分のグループでやりたいと思っていただけで、ストーンズがそれほど売れるとは思っていなかったのではないでしょうか。

少なくとも、自分の体力ではついていけなくなるほど多忙になるとは思っていなかったのでは。

ちなみにジミー・ペイジがニコのファーストシングル(B面)のために書いた「The Last Mile」。↓

ギターもジミー・ペイジ、作詞はアンドリュー・オールダムです。

いい曲です[E:notes]

Nico & Jimmy Page – The Last Mile


川は流れるためにある
それなら流れさせてやれば?
人はショーをやるためにある
それならショーをやらさせてやれば?
笑顔を見せてよ 微笑を見せてよ
だって私たちは最後の道のりを歩み始めたんだから

そしてブライアンもジミー・ペイジも、オカルト的なものに興味を持って研究していたそうです。

ニコは、あるライターに言った。
「ブライアンが魔女だったって知ってる? わたしたちはそういったことに興味があって、彼はそれにはまっていたの。ミックもそれを知っていて、彼はブライアンの敵だった。時にはそれが危険なこともあったわ」

ジミー・ペイジはアレイスター・クロウリー(魔術研究などを行っていた。ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ」のジャケットに写真が載っている)の家を買い取り、彼の関連物を収集したそうですが、この件について、ジミー・ペイジは前出の「ジミー・ペイジ語録」の中で、

ぼくの家は以前アリスター・クロウリー(この本では”アリスター”となっています)のものだったんだ。引っ越ししたときから知っていた。魔術っていうのは、ちゃんと受けとめられるならとても大切なものなんだ。

と語り、またオカルトへの興味について、

オカルトに興味を持ちはじめたのは、15歳のころだ。悪魔をあがめたりはしないよ。
~中略~
誰だって何らかの才能を持っている。別にそれが芸術の才能である必要はない。自分が自信のあるものでいいんだ。
~中略~
彼の言ったことすべてに賛同してるわけじゃないんだ。夢想家だったしね。それにこれはあくまでぼくの個人的な関心であって、日常生活に彼のシステムを取り入れているとはいえ、ミュージシャンとしてのぼくがやることとはかかわりのないことだよ。

と語っています。

――オカルト的なことは、よくわかりませんが、こういうのって面白半分に中途半端に入り込んでいくと、とても危険のような気がします。

ジミー・ペイジはしっかり考えて入り込みすぎてはいなかったようですが、ブライアンはどうだったのでしょうか。

この後、付き合うアニタは黒魔術をしてましたし……

「NICO~伝説の歌姫~」には、

”ブライアン・ジョーンズは入手できる書物を読んで、オカルトの異常性を愛するようになった”

と書かれています。

その点、ニコとブライアンは似たもの同士だったのだと。

実際は、二人ともそういった哲学よりはドラッグに興味があったらしいですが。

もしかしてブライアンがジャジューカに惹かれたのも、あの呪術的な雰囲気と関係があったのかも?

でも、ジミー・ペイジがアレイスター・クロウリーの家に住んだのとは対照的に、ブライアンはプーさんの作家の家に住むことになるわけですからね……。

これを読んで、アレイスター・クロウリーの著書(魔術―理論と実践)をパラパラと見てみましたが、別にそれほど危険な香りはしませんでした。私はハマりそうにはありませんけれど。

それにしても、「ジミー・ペイジ語録」を読むかぎりでは、ジミー・ペイジは穏やかな人です。過激なロック・ミュージシャンという印象は全くありません。
誰のことも悪く言ってないし。(悪口言うくらいなら、何も言わないことにしているのかも、と思えるくらい)

ストーンズのメンバーの中では、キースのことを、

「キース・リチャーズはすごいよ。でも、プライベートな部分ばかり大きく取りざたされるのは気の毒だ。彼はローリング・ストーンズの音楽を代表してるのにね」

と語っています。(1977年の発言)

さて、ニコの話に戻ります。

アンドリュー・オールダムのレーベル「イミディエイト・レコーズ」の第一弾の3枚のシングルの中の1枚として、ニコの「I’m Not Sayin’」が発売されたが、シングルのチャート順位がふるわず、ニコはアンドリューのやり方に不満をもらした。

「彼はドアホだったわ」

彼女は20年間、文句を言い続けたのだ。
(ああ~、アンドリューに任せておけば大丈夫、みたいなアドバイスをしたブライアンの立場ないですね;)

ブライアンはニコを、ウォーホルの「ファクトリー」に連れて行った。

手土産として、自分のレコードを持って行ったのが、アンディ・ウォーホルの新たなスーパースターへとなるパスポートになった。

ファクトリーにいた中で、最も華やかだったモデルのイーディ・セジウィックが”ファクトリー

のファースト・レディ”だったが、やがてその座にはニコが就くことになる。
(イーディのことは、「イーディとウォーホルと、いきなりブライアン」、「ファクトリー・ガール」に書きました)

ウォーホルのマネージメントをしていたポール・モリッシーが、売り出そうとしていたバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のシンガーとしてニコを使ったらどうかと思いついた。

「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」には個性のないシンガー(ルー・リード)しかいなかったので、彼らにはカリスマ的な人間(ニコ)が必要だと考えたのだ。

ルー・リードは不機嫌になったが、「ヴェルベット・アンダーグラウンド――アンド ニコ」という、ニコをバンドから切り離したバンド名にすることでOKした。

ルー・リードとニコは、束の間の恋に落ちた。

ファクトリーのスーパースター、イーディ・セジウィックは、差し出されるドラッグを全て受け取り、そしてボブ・ディランとデートを重ねていた。

イーディは、
「ボビー(ディラン)は私と一緒の映画に出る」
と言っていたが、ディランの映画が作られる予定などなかった。

ニコはファクトリーの女神となり、イーディは厄介者になった。

その後、イーディは28歳の若さで亡くなることになる。

ニコは、

「人は外側か内側どちらかで生きていてドラッグの中には内側で生きる手助けをしてくれるものがあるの。イーディ・セジウィックは内側で生きたかったんだわ、だって外側にはもう、彼女が見るべきものは何もなかったんだから。でも彼女は空っぽだった。彼女が死んだのは、内側に何もなかったからよ。ブライアン・ジョーンズが死んだのは内側が詰まりすぎていたから。知ってのとおり、死んだときの年齢は二人とも同じだったわ」

と言った。
(実際にはブライアンは27歳でした)

ニコは自分が二つの人生を平行して生きていることを、はっきりと悟った。

「スーパースターのニコ」として金を稼ぎ、「良き母クリスタ」として、それを使おうと思ったのだ。

ニコに2つのサイケデリック・ドラッグを教えたのはブライアンだった。

ひとつは自然物のマッシュルーム、もうひとつはLSD。

1967年の夏、ニコはジム・モリソンと共に過ごし、またブライアンと一緒に過ごし、またはアンディ・ウォーホルと映画を作るか、トム・ウィルソンとレコードを作っていた。

「私はヒッピーではなかった。ジム・モリソンもそうじゃなかったし、ブライアン・ジョーンズも違ってた。私たちはボヘミアンだったのよ」

ニコ曰く、ヒッピーとボヘミアンの違いは、
「ボヘミアンは自分たちがヒッピーじゃないことを知っているが、ヒッピーは自分たちがボヘミアンじゃないってことを知らない」
ということ。

また、「ヒッピーはいつも何かを人に売りつけようとしている」

息子のアリが不潔な食事と不規則な生活のせいで病気になり、アラン・ドロンの両親がアリを引き取ることになった。

アラン・ドロンはこれを知り、両親に「自分とアリ、どっちをとるのか」と選択を迫ったそうだ。

ドロンの両親は、まだ一人では生きていけないアリを取った。

パーキンソン病を患っていたニコの母親は、亡くなる前に、ドロンの両親に「アリのことを頼みます」と手紙を書いた。

母と息子(ニコとアリ)が再びきちんと会うようになったのは、アリが19歳、ニコが43歳のときだった。

ニコはジム・モリソンのことを「ソウル・ブラザー(魂の兄弟)」と呼んでいた。

「ジムはブライアン・ジョーンズとミック・ジャガーを一緒にしたみたいだった。でも本当はコブラだったのよ」

また二人を比べて、
「ブライアンは作曲家というよりはミュージシャン的で、ジムはもっと詩人的だと思う」
と言った。

――”ブライアンは作曲家というよりはミュージシャン的”……、妙に納得してしまいました。

ブライアンは曲作りもしていたのだろうし、興味もあったと思うけれど、でも基本的に音楽を聴いたり演奏したりするほうに興味があったのではないでしょうか。

無から何かを作り出すことよりも、既存のものを自分流にアレンジする(それが結果的に新しいスタイルになる)ほうに興味があったし、得意だったのでは。

……また長くなってしまいましたので、続きは後日にします。

最後に、この曲も好きです。「Afraid」
ピアノのイントロがたまらないです。


知ることも 言うこともやめ
見ることも 自分であることもやめて
誰かの意見を身にまとい
自分のもののようにふるまって
きれいなのに ひとりぼっち
きれいなのに ひとりぼっち

続きは後日。

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