「オルタモントの真実」

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。<(_ _)>

この写真、中々でしょう?
東京タワーと太陽と月です☆

あと、車窓から見た龍のように見える雲。

さて、新年最初のブログはブライアンでいきましょー

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オルタモントの真実 ~メレディス・ハンターはなぜ殺されたのか!?~

ザ・ローリング・ストーンズ オルタモントの真実 ~メレディス・ハンターはなぜ殺されたのか!?~
(サム・カトラー著、中央公論新社)
を読んだ。

この本はタイトル通り、「オルタモントの悲劇」とも言われ、映画「ギミー・シェルター」にもなった1969年12月6日に開催されたオルタモントでのフリーコンサートについて書かれている。

混乱の中で、観客の一人、メレディス・ハンターという青年が殺されたのだ。

オルタモントの悲劇について、以前のブログで触れていますので、
よろしかったらどうぞ。↓
「Gimme Shelter」を観て、”集団心理”について思う。

著者のサム・カトラーは、ブライアンの追悼コンサートになってしまったハイド・パークでのフリーコンサートをプロデュース、
オルタモントを含む全米ツアーのマネジメントをした人物。

オルタモントの悲劇の際にも、メンバーの近くにいたので、臨場感たっぷりに描かれている。

ブライアンが亡くなったときのこと

と、オルタモントについて語りつつ、
やはりこのブログではブライアンについて語りましょう。

本には、ブライアンが亡くなった時のことが書かれている。

1969年7月3日、自宅のプールで溺死したブライアンは検視官によって「事故死」と判定された。

イギリスの熟年層からは同情の声は皆無で、ドラッグ漬けのロックスターが命を落としたのは当然の報いだと受け止められていた。

無口で感情を表に出さないなかに秘められたイギリス人の本性は、時としてひどく残酷にもなりうる。イギリス人は、ヨーロッパ諸国における日本人だと考えたい。

え……、日本人のイメージって……^^;

著者のサム・カトラーによると、
ブライアンが亡くなった翌日、とある人物がトラックでブライアンの価値のありそうな私物を全て持ち去り、
その間、庭では金銭取引を照会する書類やメモ書きが全て、たき火の中にくべられていた。

警察は事件現場を封鎖しようともしなかった。

以後、ブライアンの私物は一切発見されていない。

ブライアンの私物を持ち出したのは、建築業者のフランク・ソロウッドの親しい友人だった。

フランクは映画にもなった通り、死の床でブライアンの殺害を告白したとされているが、その真偽はわからない。

サム・カトラーが知る紛れもない事実は、ブライアンが死亡した時に現場に居合わせた人々が、警察や検視官の取り調べに協力する前に、何者かによって脅迫されイギリスを出国したことだ。

この事実が明るみに出たのは、ブライアンの死から数年が経過してからだった。

ミックの想い

サム・カトラーが初めてストーンズの事務所に行くと、
ミックが、クビにした直後にブライアンが亡くなったことにひどく動揺していた。

ハイド・パークでのコンサートはブライアンの追悼コンサートにすることをメンバー間で決めたと言った。

サムが、
「誰がブライアンの面倒をみていたのか」
とミックに尋ねると、ミックは、
以前はキースに雇われていて、金の使い込みが発覚してクビになった、ブライアンの死亡時に席をはずしていたというボディガードをこき下ろした。

ミックはブライアンがどれだけ泳ぎが達者だったかを語り、ブライアンの遺影をステージに飾りたいと言った。

白い鳩を飛ばす代わりに、ミックは蝶を放つことを思いついた。

――これらを読んで思ったこと。

何度も思ったことですが、ブライアンの私物が一切見つかっていないというのは悲しい。
コッチフォードでブライアンは曲作りに励んでいたはずで、作りかけにしろ、その音源が残っていてもいいはずなのに。

また、全てフランクが悪者みたいになっていますが(殺したのはフランクで、私物を持ち去ったのはフランクの知人)、
ここまで周りの人間が敏速に動いたのは、何かの証拠隠滅だったのか?と疑ってしまう。

私物から違法ドラッグが出てきたら大変だから、ということだったのか。

でも、既にストーンズを脱退していたブライアンの私物から違法ドラッグが出てきたとしても、
「ドラッグがやめられなかったのか、やっぱりね」
で済んでしまうことではないのか。

とはいえ、私はブライアンは「事故死」だったと思っている。

例えそこに誰かがいたのだとしても、殺意などなかったのだと。

ブライアンがふざけて水に潜っているのかなと思って、放っておいたら、気を失っていて、溺死してしまったとか。

すごく疑って考えると、もしかしたらそこにいた人物は、そこにいてはいけない人物だったのかもしれませんが。

ブライアンのボディガードって、トム・キーロックのことでしょうか?

トム・キーロックはブライアン没後40年の2009年、ブライアンと同じ命日に82歳で亡くなっている。
(7月2日ですが、正確に言うとブライアンが亡くなったのは7月2日の深夜なので)

それと、
ああ、やっぱりミックって……、と思った。

私はメンバーの中でブライアンを一番理解していたのは、ミックだと思っている。
仲が悪かったとか、いじめていたとか言われているけれど、
なんのかんのブライアンを一番理解して、一番気にかけていたのはミックだったのではないかと。

だからクビにした後も、アレクシス・コーナーに頼んで、ブライアンの相手をしてもらっていた。

意地の悪い気持からではなく、ハイド・パークでのコンサートに呼んだ。

コンサートで蝶を放った演出について、本ではタイム誌の社説を取り上げているけれど、
私はミックの発言、
「あいつ(ブライアン)は蝶のような奴だった」
というのを思い出す。

だからミックは追悼コンサートで蝶を空に放ったのだと。

ブライアンは自分が好きだった人たちを守っていると思う。

スチュは亡くなってしまったけれど、その他のメンバーは元気だし、マリアンヌだって何度か自殺未遂はしたものの活躍しているし。
ブライアンの魂と共に、いけるところまで転がり続けてほしいですね☆

今年2012年はストーンズ50周年?
すごい!すごすぎるね~、ブライアン!!

コメント

  1. 小山 より:

    マリアンヌ フェイスフルの父親がスパイだった、、
    ストーンズを辞めたのち、そういう関係者との交流があったとか?

    少し考えられないくらいの距離の方が、、

  2. るか。 より:

    小山さま
    コメントありがとうございます!

    確かマリアンヌ自身の発言だったと思います。
    DVDだったか、本だったか、、、

    確かに「父親がスパイだった」というのは、違和感ありますね……