「BEGGARS BANQUET」part3

「BEGGARS BANQUET」のブログも、part3になりました。
さて、今回ご紹介するのは、「1968年のブライアン・ジョーンズ」という記事から。(Text by 中村隆宏さん)

ロンドンのオリンピック・サウンド・スタジオで68年3月に録音された<ジャンピン・ジャック・フラッシュ>は、ぼくの心に最も美しく響くロックンロールです。ギターのリフ、ハーモニー、リズム、歌詞、なにもかもが素晴らしい。ミックとキースの作る曲をあまり好ましく思っていなかったブライアンでさえも、<ジャンピン・ジャック・フラッシュ>は本当にすごい曲だと認めています。
ブライアンには<ジャンピン・ジャック・フラッシュ>の価値が心の底から分かったと思います。そして、その曲を書いたのが自分ではなく、自分からストーンズの主導権を奪ったミックとキースであったことに、ブライアンは打ちのめされたことでしょう。彼の愛する黒人ブルースにさえも引けを取らない曲をミックとキースが作ったのです。ふたりに対する嫉妬からブライアンが自暴自棄に至ったとしても不思議ではありません。

(・-・)/(ハイ! 異議あり!)

この解釈は、ちょっと違うと思うのです。

何故なら、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」は完全なミックとキースの作品とは言えないからです。

ビルの著書「ストーン・アローン」には以下のように書かれています。

<Jumpin’ Jack Flash>の重要なリフはおれの考えたものだった。すばらしいアイディアの曲にはときどきあることだが、そのリフは非正統的な方法で展開していった。ある晩、モーデンでリハーサル中、おれはミックとキースが来るのをピアノの前に座って待っていた。おれがエレクトリック・キーボードを弾きはじめたときに、チャーリーとブライアンが来た。そのとき、おれは自分で見つけたすごいリフを、あれこれいじくっていたのだ。チャーリーとブライアンがおれに合わせて演奏をはじめると、とてもいかした、タフな音になってきた。ミックとキースは入ってきたとき、こういった。「続けろよ。絶対忘れるんじゃないぜ……すごくいかしてるんだからな」
数週間後オリンピック・スタジオで、おれのリフの出番が来た。ミックの「ハリケーンが吹き荒れるなかで、おれは生まれた……」(”I was born in a crossfirehuricane…”)という見事な歌詞のバックボーンになる部分だ。おれたちは全員でメロディを作り上げた。おれが作曲した部分は完璧な出来だった。だが、おれたちのこれまでの曲の中でも1,2を争うこの曲のクレジットは、ジャガー/リチャーズになっている。

キースも、この曲はビルの作曲だとインタビューで認めているにも関わらず、クレジットは「ジャガー/リチャーズ」。

ついでに書かせていただくと「Ruby Tuesday」だって、ミック自身が曲作りには関わっていない、と言っているにも関わらず、クレジットは「「ジャガー/リチャーズ」。

――どうなってるんでしょう、これって。

えーとつまりなにが言いたかったかといいますと、ミックとキースがJJF(ジャンピン・ジャック・フラッシュ)を作ったから、ブライアンが打ちのめされ、二人に嫉妬した、なんていうことはなかったということです。

メンバーが認めるとおり、JJFのメロディは、ほとんどがビルが作ったもので、少なからずブライアンも曲作りに参加しているのですから。

この後、ビルはクレジットについて、メンバーで話し合いをしようとしたそうです。

おれはチャーリーとブライアンに、一緒に自分たちの権利を守ろうと持ちかけた。ミックとキースが未完成のままスタジオに持ち込み、バンド全体の協力で完成した曲については、おれたちにも報酬を受ける権利がある、とおれは主張した。おれたちはスタジオの使用料を均等に払い、レコードの印税を均等にもらっている――ストーンズの収入はいつも5等分されていた――のに、おれたちが間違いなく協力してできた曲の作曲と出版に関して、びた一文受け取ることができないのはなぜなのか、おれにはわからなかった。おれは一度この問題を全員が出席したミーティングで持ち出したことがある。だが、ブライアンとチャーリーは途中で援護をあきらめてしまった。おれはひとりでアンドリュー、ミックそしてキースに反論したが、あいつらはおれのことを欲張りだと、けちょんけちょんにけなした。だが欲張りなのは、いったいどっちなのだろう?

チャーリーが援護をやめてしまったのは性格的なものがあるのかもしれないけれど、ブライアンが援護をやめてしまったのは、ある意味、もう悟っていて諦めていたからではないでしょうか。

それまで、ブライアンは散々、アンドリュー、ミック、キースを相手に話し合いをしていたはず。

音楽的なこととか、その他諸々。

最初の頃は元気だったブライアンは、話し合いでも必死に自分の意見を主張していたと思われます。

でも3人は少しもブライアンの意見を尊重してはくれなかったのでしょう。

そんな理不尽な状態を受け入れなければ、ストーンズでやっていくことは出来なかった。

ブライアンには、この3人とはどんなに話し合いをしてみたところで無駄だってことがわかっていて、だから、早々にビルの援護をやめてしまったのではないでしょうか。

中村さんは更に次のように書いています。

ブライアンとストーンズが本当に幸せな関係にあったのは、初期の3枚のアルバム《ザ・ローリング・ストーンズ》《12×5》《ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!》をリリースした63年から65年までだと思います。3枚とも極端にセンスのいいブルースとロックンロールのカバー・アルバムです。きっとブライアンが中心になって選曲していたと思います。
ブライアンの歯車が狂いだしたのは、ミックとキースがオリジナル曲を量産しはじめた66年頃からです。65年にリリースされた《アウト・オブ・アワ・ヘッズ》には<ラスト・タイム>や<サティスファクション>などの強力なオリジナル曲が収録されていましたが、それでもアルバムの半数以上の曲はオーティス・レディングやマービン・ゲイらのリズム&ブルースのカバーでした。ところが66年に発表された《アフターマス》になると、ミックとキースが書いた曲でアルバム全体が固められてしまいます。ここに至って、ブライアンの音楽性がダイレクトにストーンズの音楽に反映されることはなくなりました。
66年以降のブライアンは、卓越した楽器奏者としてストーンズの楽曲に彩りを添えて行きます。ハープ、ピアノ、シタール、マリンバ、マラカス、なにを弾かせてもブライアンは様になりました。

何人かが集まって仕事をしようとするとき、「この中で自分ができることはなんだろう、自分の役目はなんだろう」と考えることってあると思います。

もしかしたらブライアンは、音楽性について自分の意見を主張しても無視される、作曲しようと、曲作りに協力しようと、クレジットはみんな「ミック&キース」になってしまう、という状況を見て、「それなら自分は、それらの曲にいろいろな楽器で彩りをほどこしていくことをしていこう」と思ったのかもしれません。いろいろな楽器を演奏することに、興味もあるし・・・みたいな感じで。

ブライアンが本当にそう思って、様々な楽器を演奏していたのかはわかりませんが、ブライアンが奏でる音でストーンズの曲たちがすばらしいものになったのは事実だと思います。

ただ、そういったブライアンの貢献を認めない、というのがバンド内の暗黙の了解だったそうですが。

JJFはミック&キースの作品とはいえないわけですから、JJFが出来たとき、それでブライアンが打ちのめされたりすることはなかったでしょうけれど、でももしかして、ブライアンはこう思ったのかもしれません。

「(こんな素晴らしい曲が作れるなんて)もう俺がいなくても大丈夫なんだな」
って。

バンド結成時は、ブライアンの音楽的力量は他のメンバーよりもずっと強くて大きかったから、
「俺がバンドを引っ張っていくんだ」
っていう気持ちがあったと思います。自分が作ったバンドでもあったわけですし。

でも、JJFができたとき、
「こいつら一人一人、いつのまにか随分、力つけたな」
って、あらためて実感したのではないでしょうか。

そして、既にバンド内に自分の居場所が、すっかりなくなってしまっていることに気づいたのではないでしょうか。

「ノー・エクスペクテーションズ」は2番目に好きなストーンズ・ナンバーだと語る中村さんは、文章中で次のように語ります。

キースのアコースティック・ギターとブライアンのスライド・ギターは、奇跡のアンサンブルです。かつて、ふたりは固く握手を交わし、二本のギター・サウンドに夢を託してストーンズをスタートさせました。月日は流れ、恋人を奪い合い、バンドの主権を奪い合い、このときは反目し合いながらも<ノー・エクスペクテーションズ>を奏でているのです。
『ロックンロール・サーカス』でストーンズが<ノー・エクスペクテーションズ>を演奏する場面に目を凝らしてください。キースは立派な男です。ギブソンJ-200をかき鳴らすストロークは、キースの力強さそのものです。ブライアンはだらしない男です。ギブソン・ファイヤーバードのネックを滑るスライドは、ブライアンのガラスの心そのものです。そして、キースとブライアンのコンビネーションは、悲しみに震えるロックンロール史上最大のサーカスだったのです。

ブライアンびいきな私としては、
「そうですね、ブライアンはだらしない男ですね」
と同意できないところはありますが、このような意見も多いのでしょうね。

ブライアンびいきとして、肩をもたせてもらうならば、ブライアンはあの時、ひどい精神状態だったんですってば。

フラフラになりながらもステージに立ち、感動的なスライド・ギターを披露しているじゃないですか。

「ロックンロール・サーカス」の中で、ブライアンが本当に嬉しそうな笑顔を見せる場面があって、あれを観て、
「ブライアンは、こういうのが大好きなんだろうな」
って思いました。

こういうの、っていうのは、みんなで集まって大はしゃぎするような、パーティーみたいな雰囲気が。

ブライアンらしい、って気がします。

そろそろまとめようと思っていたのに、また、まとめきりませんでした。
続きは後日。